贅沢かな。海と山のある空気が恋しい | 今日もゆるっと♪ アーユルヴェーダサロンVIHARA 埼玉県坂戸市東武東上線

今日もゆるっと♪ アーユルヴェーダサロンVIHARA 埼玉県坂戸市東武東上線

ヘナとアーユルヴェーダのサロンvihara です 心身イマイチ、毎日の暮らしがくすみがち。なんとなく続く小さな不調は あなたが気づくべきドーシャバランスの増悪からくるのかも。大気や宇宙、持って生まれた性質を味方に 輝けるエッセンスをお伝えしています。


坂戸市

アーユルヴェーダとヘナのサロン

おはなし毒だし&滋養サロン

VIHARAヴィハーラ かわみなみです






久々に旅行にきています

5時間あれば用を済ませて帰れるけど

せっかく久々の鎌倉だから



お泊まりにしましたニコニコ



長谷駅から5分の裏道 ゲストハウスSHIBAFUにいます




鎌倉は久しぶり






サロンを始めると決めた

7年前までは…




花火大会に呼ばれて遊びにいったり

ボード遊びしたり

1日のんびり浜にいたり





ほんの10分、海を見る目的だけでも

訪れていた場所です




あれから何十年経ったかな

と思うくらい今は遠い場所になっちゃって。





今回じつは

なぜか迷子になって 倍の時間かけて



命カラガラ やっと辿り着きました笑

久しぶりの電車、だったからかなあ







海沿いに住みたい

鎌倉、藤沢、逗子、葉山に住みたい




そんな想いを叶えるために

埼玉県の片田舎、

坂戸に越してきたはずだった事を 

最近ふっと 思い出すのです




温泉満喫してビールとお食事が

いい感じに染み渡ってきたので




今日はそんな徒然話を きいてください



夫さんと結婚したのは

1995年春


会社の同期入社

長崎ハウステンボスや 地方博など

各地遠方プロジェクト専門部署に

配属された夫さんと

遠距離恋愛のままゴール



新婚当時すんでいた

千葉県 船橋の安アパートは




職場が秋葉原だったから




総武線一本で通勤出来ることと

当時実家が心配で遠く離れたくない、

そんな条件で選んださいしょの家。



社内結婚しても1年勤めていました

でも毎日ある男性からのハラスメント



子供はまだか?昨晩はどうだった?

あーすればこーすれば妊娠する


スルーしても段々耐えられなくなり退職

(今なら十分訴えられるレベル)



専業主婦期

生花を習ったり実家に顔だしたり

ボーッと暮らしてました



新築公団賃貸が当選

稲毛海岸駅近く 海まで徒歩圏




休日はウィンドサーフィン三昧の夫は大喜び

しかし彼はほぼ 単身赴任状態だった



知人もなく 暇で 寂しくて。

海までいってのんびりしても寂しくて

見つけた近所のドーナツ屋のパート。



チェーン展開を野望とする 個人店で

共同経営のオモシロ夫婦に雇われる



ドーナツ屋に勤めて2週間たったとき

2号店としてマフィン屋がオープンし

店長となる。パートの分際で、です。



とくに腕を見込まれたわけじゃなくて。

パソコンがさわれるか?と面接で聞かれて



毎晩パソコンでソリティアしていたから

単純に ハイさわれますと答えたら

(スキルは全くない!)

新店舗の店長にと雇われたのでした爆泣き笑い

考えられな〜い!



美大出、パソコンオッケー

というおおいなる勘違い目論見



やったことのないプライス作りやら 

チラシデザインなど一から全投げされました



携帯やアプリがまだない時代です

いまだったらcanvaつかって

だれでもアプリで作れちゃうけど当時は。

専門家がやる事、だったの( ;  ; )




たしかに美大出だけど

パソコンとか実務全くやってなくて…



会社員時代は 

店舗デザインや内装外装施工会社。


でも職種は 総務部秘書課 事務職です



わたしの就職時代は30年前のバブル期

女性だけは入社前に

総合職、事務職と希望職種選択がありました



短大卒は基本、事務職という

暗黙の了解的な流れもあった時代



男女雇用均等法なんてものができても

実際は "腰掛け"という言葉が存在した時代



腰掛け、つまり

結婚するまでのつなぎ。

結婚の出逢いの場を探すための就職。



という目で新入社員の女性を見る

風潮がありましたね




"オンナはすぐに辞める" という観点から

バリバリ働く総合職か 

腰掛けの事務職か

で応募から分けられてました



デザイナーとしての総合職に

落ち続けて焦っていたある日



ディズニーランドやディスコを手がけている!と

ミーハーなワタシがたまたま

事務職で受けてみた会社でした





総合職は実務です

デザイン、企画、営業、制作、人事経理、管理部など。


事務職は事務、お茶汲み、雑用です



わたしの仕事は

本社一階の受付業務と 会長社長秘書補助

接客雑用、社内電話庶務だったから

パソコンも簡単なデータ入力くらいしか

したことがない。




ああ 汗かいてきた

だんだん蘇ってきた…30年前の記憶




とつぜん店長。ドシロウトが全て手探り。

パートの身で新店舗のオープンに

雇われ店長と古いパソコンをあてがわれる



指導するひと、相談できるひと

ナシ!

指示だけは夫婦(社長と専務)から

別々に少しずつ違って命を受ける…



26歳のタマミは

毎日 吐きそうなプレッシャーのなか

七転八倒していたなぁ〜




パートさんやバイトの子達の面倒もみて

面接もして

人が足りないから当然 店頭も立ち



駅前だからとにかく目に止めよう!集客!

イベント立ててぬいぐるみかぶって

ヘリウム風船配りあるき



製粉会社に視察や勉強にいって

業務用のめちゃくちゃ重たい粉袋担いだり

家がすぐそばだったのと

ほぼ一人暮らし状態だったから

店開けから店締めまでこなし

毎日目の前のことを片付ける日々。


売れなくなってくると

ジェラートや 他の菓子まで手を出して

一緒に売るからさぁ大変えーん



よーく粉まみれ卵まみれで労働したよー




最初は美味しくて可愛くて。

持ち帰ってまで食べていたマフィンは 



味見しても何も感じなくなり

何千通りもの味を試作しては

店に並べて 試食もだしたり

接客中に感想も聴いてました




作って作って 作りまくって

食べて食べて 食べまくった




稲毛海岸マリンピアの思い出は

ビーターの回転音と

焼き菓子の匂いの記憶



社長と専務に

次は中国に出店する構想を聞いた前後から

ストレスから激しい花粉症になり

鼻が壊れてジャージャー出てるか

詰まって口が閉じられない



口でしか

息できないようになってしまった




不摂生な生活にくわえて 朝昼晩と

小麦粉ばかり食べていたせいもきっとある



マフィンの匂いが猛烈にイヤになって

鼻がつまってる方が都合良くなってた



面接でも伝えてた旅行の5日休暇

母を連れてバリ島にいった後から

休みが全くもらえなくなり





2週間の微熱とダルさがつづいていた




このままいくと

中国店マネージャーになる可能性が大きい

気乗りしないのー。

体調もなんだか全然調子戻らないし。



と友人に愚痴ると





もしかしたらさ アレなんじゃない?

といわれた

 




夫さんは仕事で現場泊り込み

数ヶ月離れて暮らしてた

1ヶ月に1度 会うか会わないか




言われるままに検査薬試したら

まさかのアレ



妊娠反応がでて真っ青!

わぁ わたし、薬、飲んじゃってる!!





微熱とダルさでつい

市販の風邪薬、アレルギー薬を

3日ほど飲んでしまっていた

しかもお酒も…


自己嫌悪。 まったく想像してない妊娠。

不摂生な生活  毎日マフィンがごはん



社長に事情をはなすとしばらくは

事務所でパソコンだけやるように言われたけど



パソコンできないのに

本を色々買って独学で進めているなかふと




海の空気を吸いに 夕暮れの海岸散歩にいった

波の打ち寄せる音が

ザパーン ザパーーン

もういいよ もういいのよーって聞こえた

気がして。泣けた。




そのまま戻って 退職を 伝えたっけ。




それからしばらくしてパート店長をやめた。



そして海を眺めに 毎日浜辺へ通った。




波の打ち寄せる音と煌めきには

いつまでも癒されて飽きがこなかったから

お腹の赤ちゃんとまったり過ごした






日に日にお腹が大きくなり

股関節や膝が痛かったのと

つわりがなくて食欲旺盛だったことから




一人でゆっくり海までいって

海沿いの住宅地の庭を色々ながめては

寄り道して帰ってくる

2、3時間が

シアワセなルーティンだった




そして

子供が無事産まれて。




マフィン屋のパートで

仲良かった女性も妊娠して辞めていた。

木村拓哉の同級生だった




ミーハーなワタシは彼の実家の場所まで

連れてってと一緒に散歩したこともあった

怒られそうだけどお家の前でピースして

写真とって帰ってきたっけ



そのそばに 売り出してる新築の戸建が。

庭があって

海がすぐそばで

波の音もはっきり聞こえる…



妊娠中 いつも散歩して

なんとなく気に入ってるエリア

ここだ!




何度も見に行って

夫さんにも見せたら

すごく気に入ってくれて。





でも金額は高かった。




ローンを組むことはまだ

考えたくない夫さんだった




とても手が出せなくて。





その頃、

坂戸の義父母が 自分達のふるさとに帰る

(福井)本家を守りながら畑やりたい

だから坂戸にきて住んでくれないか?



ということを言われていた。




夫さんは出張が多く早朝や深夜の便に

乗れないと困るからと坂戸に住む事を

最初っから嫌がっていた。



住むなら 交通の便がよく、

早朝深夜の飛行機や新幹線の利用に

支障がない事が 彼の棲家の条件



夫さんは


稲毛にステキな戸建を見つけたことと

坂戸に帰る気がないこと。

田舎に帰るなら坂戸の家を売って

そのお金を家買うことに少し援助してほしい 

話をしたのでした




義父母の答えはNOでした

大切な家だから売る気はない

だから住んで欲しいと言ってると



二人で気に入った物件は諦めることに。




その後も

同じ海沿いなら 逗子や藤沢、鎌倉とか

なんかいいよね〜、手が届くのもあるねと



物件情報をFAXで集めるうちに

神奈川へ住む妄想がひろがっていきました







新築公団の賃貸で 家族は3人になったけど

ほぼ毎日住んでるのは赤ちゃんと二人だった



だからはじめての家賃更新がきたとき

駐車場、家賃ほか全て上がる金額に驚愕



たまーに電話かけてきて

様子を心配してくれていた義父母。

あともう少しで 田舎に移れるんだよと。



もし 少しでも

たまみさんが安心するなら

坂戸にきて



私たちが出て行くまでの2ヶ月くらい

一緒に暮らしてみない?



あの子はいつも留守で

ほとんどいないんだから寂しいでしょう



物価も安いし、家賃はかからないし

貯金が出来るから


↑↑↑


この言葉はタイムリー、胸に響きました




子供が小学生、中学生になるまでのあいだ

埼玉で節約して暮らすかな?くらいの

気持ちになってやってきました





夫さんはあまりの忙しさで

公団に帰ってこなくなっていたから

ワタシの一存で決め

彼に聞かずに引っ越ししてきました。





今住んでいる埼玉県坂戸市は

旦那さんの実家です




1歳になったばかりの娘を連れて

越してきた日と翌日は記録的な

寒波と 大雪になりました



あまりの寒さと

海ぞいの空気との違いにショックを受け


(未だに実家の海の香り嗅ぐとホッとします)



引っ越し早々 風邪をひいて

赤ちゃんをジジババにみてもらって

横になったものの



畳にひいた布団があまりに冷たくて

泣いたことを思い出しました 



たまたま偶然、いま、Tverで見つけたのです 

懐かしすぎる。テンション上がってしまう




だめだ、観てから寝ます。飯島直子がいいわぁ



しょうもない徒然バナシ

長くお付き合い頂きありがとうございますキメてる