今日は施設外就労でした。
2フロアで2時間づつのベッドメークでした。
朝にSさんから「水曜日、MFですか?」と聞かれました。
私が「違うよー、室内作業だよ」と言うと、うつむいて「午後2時におわるかな」
と心配気にしていました。
体調も良くなかったらしく、途中からシーツやカバーを剥がす『剥がし』や、
枕の作製をしていました。
仕事は午後2時5分ほどで終わりました。
なので、『3・11』の時間は、バスの中で迎えました。
あの日は大変でした。電気はすぐに復旧するだろう、と思ってたらなかなか復旧しないし、
地震の後に、ウジエに食料を買いに行ったら、職員さんが「ダメダメ、ガラス割れて入れない」
と来る人来る人に、帰ってもらっていました。
仕方がないので、近くのローソンが営業していたので、パンなど少し買いました。
たくさんの人が来ていて、行列ができていました。
1万円札が「使えません」と言われたので、千円札を結構持っていて良かったです。
地震中は、台所の食器棚が倒れて、器が割れてガラスが飛び散るのを覚悟しましたが、
なんと食器棚も冷蔵庫もレンジを置いてる棚も倒れませんでした。
縦揺れだったのが良かったのでしょうか?
当時は、登米市に住んでいたので、仙台に仕事に行っている母は会社に泊まるだろうと思って、
弟と、居間のコタツで災害ラジオ放送を聞いていました。
夜になって真っ暗になった頃に、母がなんと帰ってきました。
そして「避難するよ」と言います。
まず、車でスグの役場の派出所に避難しました。ガスストーブがついていて、暖かったです。
2時間くらいいた後、佐沼町の体育館に避難することになって、移動しました。
しかし、体育館は満員だという事で、同じ敷地内にある、赤ちゃんや幼児を集めていた建物へ避難しました。
ここでは1人に1枚お布団も用意されて、それでも夜は寒かったのですが、なんとか寝ました。
母は、携帯のテレビで地震情報をこっそり見ていました。
翌日、ローカル紙の『河北新報』の新聞が配布されました。
1面には【津波で死者300人】と書かれていました。ビックリしました。
私のいた所は、内陸部なので津波の被害は無かったので、本当に驚きました。
4日後、山形の親戚の家に行って、暖かい部屋とお布団とTVを用意してもらえました。
お風呂にも入れました。
そこで、初めて津波の動画を見て、酷い被害になっている事を知りました。
Yahoo!で、【3・11】と検索すると、10円寄付出来るそうなので、検索しておきました。
ゲームは、『転生したらスライムだった件』の『スラ転』と呼ばれてた方のゲームの
サービス終了が告知されました。
このゲームは最初は一生懸命やっていたのですが、ガチャがあまり出ないのと、
キャラを強くするのに、素材を揃えるのが無課金では辛くて、今ではただのログインゲー
となっていました。残念ですが、まぁ良く耐えたほうかな?と思います。