私は漠然と悩んでいる。 | 夢は小説家ですと本気で宣ふブログ

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文章の世界に魅入られた小娘が、妄想を書籍化しようと奮闘する日記。

 飲食店のホール店員と、ネットライターの二重生活を始めてひと月が過ぎた。6月は、興味のある仕事に提案をだし依頼をされたら受けるというサイクルで仕事をしたが今月は「6月はどうもありがとうございました。7月もどうぞよろしくお願いいたします」という調子でどんどん仕事がはいってきている。いまのところは、全部断らないぞと意気込んでいる。「オイオイ。そんな調子じゃ、本業に支障をきたすんじゃないか」と問われれば「いいえ、悪しからず。わたしの好きな人の名台詞に『人事を尽くして天命を待つ』というものがあります。何ごとにも人事を尽くして、いい結果がでるよう最善の努力をしていますよ」と答えるだろう。「わたし、欲張りなの」でもいい。13時間飲食店で労働したあと、3時間ほどライターの仕事をするというと「よくできますね」なんて言われるが、これがわたしのやりたかったことかと思うと妙な説得力がある。ライターの仕事は思っていたよりもずっと地味だ。もうなんだったら「お前が書けよ!」と言いたくなる、ひとつのテーマに対して、おそらく編集の方のほうがよく知っているであろうテーマに対して、調べて規定文字数書き上げる。わたしの得意なテーマだったら「しめしめ、お主も目利きよのう」と思うものの、「知りません。わたし、1ミクロンも分かりません。このテーマで広げられる自信がないのでどなたかよくご存知の誰かに代わったほうがいいんじゃないでしょうか」と泣き言がいいたくなるテーマももらえるお金は一緒なわけで、それでも苦労は違うわけで、でも選り好みしないからこそ知識は増えて、今の状況を楽しめているなと感じる。
 ルーチンワークなんて軽々しく口にするけれど、金持ちになれるイメージなんて全然沸かない。1日に130人とか240人の人に会って愛想を振りまいてお料理を提供して、常連のお客様も増えたし状況は開店当時よりもずっとよくなっているしこれから先、売り上げの対策で新規導入の間口を広げたら売り上げは安定するだろう。それでも、1年後2年後3年後と労働年数を増やしていったところでわたしの生活はいまの生活に毛が生えた程度なんじゃないだろうかと思う。仕事に不満があるとか将来が不安とか、そういう具体的な感情じゃなくてもっと漠然と、「このまま何年たったって何も変わらないのかもしれないな」と思うのだ。これは、なんだ。アラサーの陥る思春期みたいなものか。わたしが一体何の役に立つのだろう。わたしが口にしなければ生きていたかもしれない有機物を口にして、生き長らえて、何か特別なことを成し遂げたわけでもなくただ世の中に溢れる人間という72億分の1として存在している。死にたいわけじゃない。転職したいわけじゃない。生きとし生けるものとして、もう少しマシな生活はできないもんかなとは考えている。海がきれいなことを、空の色が変わることを、草木が成長し花を落とし枯れることを考えている。すこし美化しすぎた。つまりは、当たり前の日常をもう少しクローズアップして広角レンズは投げ捨てて接写レンズで生きていきたいのかもしれない。毎日の濃度をあげたい。休みの日だけ楽しいパーティーピーポーになりたいんじゃなくて、毎日が変化に富んだ生き生きとした人生というものを送りたいのかもしれない。それは人の夢なのでしょうか。そんなことを考えながら、明日の営業をどこか楽しみにしている自分がいる。もうなんだってよく分からない。そんな日々だ。