「こうしないと嫌われる」
「人は信じられない」
そう思い込んで生きてきた私を、
何もできなくてもALL OKで包んでくれた夫と夫の両親。
私は実家に帰らなくなり、母と会うことがなくなった。
でも、自分と、母と、向き合わざるを得ない日がやってきた・・・
(その4)です。
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自分にだんだんOKが出せるようになり、
仕事も少しずつ前向きに取り組むことができるようになった私。
そんなときに、様々な状況から、
私は2年間、大学院に入って研修することになる。
「心理学」の分野で。
2年間のうち1年目は、職場から離れて院生として授業を受け、学ぶ。
2年目は、職場で仕事をしながら大学院に通って指導をうけ、修士論文を書く。
1年目、一般教養の心理学程度の知識しか持ち合わせていない私は、
大学院の講義はもちろん、空いている時間に学部の講義も受けて
とにかくどんどん勉強した。
実は、大学に入るときも心理学の分野に進みたかったのだが、
受験のさいに点数が足りず、志望の大学に入ることができなかったのだ。
もともと学びたかった分野。
働き始めてから10年たってからの学びということもあり、
これまでの経験と心理学の理論がパズルのピースのようにはまることがよくあって、本当に楽しい。
何を学んでも新鮮で、楽しい毎日だった。
県外の研修会や学会にもできるだけ参加した。
その中の一つの研修会で、私は予想外の事態に陥った。
そこでは、参加者一人一人が、自分の人生をふり返って一本の線に表すというワークを行った。
生まれたときをゼロとして一本水平な線を引き、
そこから上にいくか下にいくかは自分が決めて、かいていく。
心のライフライン―気づかなかった自分を発見する
作者: 河村 茂雄
出版社: 誠信書房
発売日: 2000/07
私は、大学院で学んでいる自分が大好きだったので、
現状が大きく上の位置にあった。
(その3)に書いた時期はずいぶん下だったが、
そこから現在まで上がってきている自分が分かった。
ライフラインを過去にさかのぼって書きながら、
私は、愕然とした。
生まれた時点が0。
ものごころついた3歳くらいまで急激に下降し、
大学に入って夫と出会う時期まで、ずーっと、ずーっと、底辺を這っているのである。
「そんなはずない。私は、私は・・・。」
何度も書き直そうとするが、ペンが動かない。
上にラインを伸ばそうとしても、
どうしても、どうしても、
最低レベルから上に行かない・・・
それを目の前につきつけられたとき、
私は
涙が止まらなくなった・・・
特に下がったのが、12歳のあたり。
そのときの私には、忘れられないエピソードがある。
日曜日にスポ少に通っていた私は、5月の第二日曜日の練習で、
周りの友だちがみんな「母の日にプレゼントをする」ということを知った。
私は母の日にプレゼントなんて今まで考えたこともなかったが、
母は花が好きだし、喜ぶかもしれないと思った。
帰りにちょっと回り道をして花屋さんに寄り、カーネーションの花を3本買った。
いつもの練習よりも1時間ほど遅れて帰り、
家にいる母に「これ・・・。」と花を渡したとき
母は、私にこう言った。
「何してたの。花?こんな余計なことして。」
「こんなことしなくていいから、早く手伝って!」
それをまざまざと思い出し、
研修会場のみんなの前で、私は声を上げて泣いていた・・・
本当は、お母さんに喜んでほしかった。
「きれいだね。」って、いってほしかった。
だって
だって
だって
お母さんが、大好きだったから・・・
私は、ずっと、母が大嫌いだった。
大嫌いだと、思い込んでいた。
でも、本当は
母が
私のことを
大嫌いなんだと思い込んでいたのだ。
そう思うのがいやだから
悲しいから、
「私の方が母を嫌いだ」と、思っていただけだった・・・
(この文章を書いている間も、涙が止まらない。)
そして、私が大学院で研修している1年目、母は病に倒れる。
(その5)「言えなかった」へ続く・・・
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