町は濛々たる砂塵が隈なく籠もっていて、恰も半透明の薄紗を被ったように見えた。窓外に立っている木々の葉はすべて砂塵に覆われて、かすかにうなだれていた。風が渡ると、木々の梢が葉についた砂を払うようにざわざわと揺れていたが、葉先から落とした砂はずっと空中に軽くふわふわと浮かんでいた。現実に戻り窓からマスクをかけている人々が無言でひたすら道を急ぐ光景を見詰めると、砂嵐に襲われた街にはまたなんとなく沈滞の気が漲っているのを感じた。実に感慨無量万感こもごも至るばかりである。

疲れた目を癒すため、しばらくぼんやりと窓外の景色を眺めてから、図書館の中へ目を戻した。外で舞い上がっている砂塵を厭い、この図書館で砂嵐から身をかわしている人々がたくさん見えるのであった。雑誌を読むともなしに読んでいる人がいた一方、勉強に精一杯頑張っている人もいた。しかしながら、見回すれば、一番多いのは居眠りしている人であった。穏やかな寝息を聞けば聞くほど、私の意識もだんだん朦朧としてきた。宿題を抱えて砂嵐をくぐり抜けて、せっかくここまで来て精を出そうとしたのに、結局、砂塵をかわすことができても、睡魔から逃れることができなかった。

12時をちょっと過ぎたところ、読んでいる本を片付けて昼ご飯を食べに行く人々が次々に立ち上がった。私は一瞬乱れた気を取り直して、読みきれないほどの大量な資料をまとめて、レポートを書くことに再び没頭した。

~ヒミツ台湾~


かつて空港で泣いたことがなかった。大切な親友と別れたことを何回も体験したけれども、あまりの悲しさに涙をこぼしたのは生れて初めてだった。お別れの切なさと共に、ほのかな喜びも感じた。涙を拭いながら、シェイクスピアの名句「Parting is such sweet sorrow」(別れはかくも甘美な悲しみだ)という辛さを紛れもなく実感した。



四ヶ月の前に、日本で留学している友人と共に高雄のペットショップでトイプードルの奈々ちゃんを買って日本に連れていくことに決めたが、その前に3種類のワクチン注射を受けなければならないので、私は苑容と一緒に愛情を込めて奈々ちゃんを飼うことにした。最初、奈々ちゃんは栄養失調のせいか、皮膚と胃腸の状況が悪くて、丹念に世話をしなければならないので、本当に骨が折れるのであった。4ヶ月の治療を受け続けてから、体の調子がとうとう良くなって、ついに元気になってきた。奈々ちゃんは甘えん坊だから、本当にかわいいといったらない。



そして、ワクチンは3月末にやっと全部注射しておわったので、先週、友人は奈々ちゃんを日本に持ち帰るため、特別に台湾へ来たのである。私と苑容にとって奈々ちゃんが健康の姿で日本へ行くのは嬉しい限りのことであり、その上に、奈々ちゃんに不安をさせないように、別れる時に私たちは絶対に泣かないと密かに決めた。日曜日、友人は空港でチェックインしている際に、私と苑容が別れのあいさつをしようと思って、籠の前にしゃがんで、おもちゃと遊んでいる奈々ちゃんの無邪気な顔を見たとたん、思わず目に涙が滲み出た。涙が頬に気ままに流れるほかに何もできなく、さよならさえ口に出せなかった。三人はなんとチェックインカウンターの前で泣いてしまった。奈々ちゃんと一緒に暮らしていた日々の思い出に耽りながら、涙でかすんだ目で籠がコンベアーの後ろに消えるまであのを目送った。涙を無理に抑え止めることができるといえども、奈々ちゃんに対する愛情は止めようにもできないであろうか、私たちは虚しい気持ちを抱えて帰途に踏み出すことしかできなかった。





「ピロリロピロリロ」、自動ドアの音が流れたとたん、「いらっしゃいませ!」とコンビニの店員さんの元気な声が聞こえてきた。コンビニに入ると、店内をぶらぶらしている顧客がたくさん見えた。今は、だいたい深夜1時であったけれども、顧客の姿が消える気配はなかった。

台湾は、特に台北、「寝ない町」と言われているとあって、夜も楽しめる場所がいっぱいある。人皆知る通りの夜市をはじめとして、パブやカラオケなどの店が都会のあちこちに散在している。が、遊ぶ場所だけではなく、あらゆるサービスを提供するため、台湾では様は々な店舗が24時間営業である。それでは、例の店を紹介しましょう。

まずはコンビニについてのことである。コンビニはもちろん24時間営業であるけれども、台湾のコンビニより提供されているサービスの種類が驚くべきものである。コンビニでは台湾人が何でもできる場所と言っても過言ではない。例えば、コーヒー豆で作ったコーヒーを買うこと、年越しおかずを注文すること、写真を現像すること、国内に宅急便を送ること、海外にDHL荷物を送ること、DVDを借りること、インターネットでオーダーした物を受け取ること、光熱費とクレジットカードの費用を払うこと、コンサート、展覧会のチケットを買うこと、ATMで預金を引き出すこと、地下鉄のEasy-card(乗車券としてのICカード)を前払いすること、コピーやファクスやプリントなどもできること。それゆえに、台湾人にとってコンビニは生活に不可欠な施設なのである。

コンビニのほかでは、永和豆漿も24時間営業の名店である。永和豆漿は元々朝ごはんとしての焼餅や油条や豆乳を売る店であるけれども、味がうまくてさっぱりしていて、何時でも食べられると評判なので、思わず24時間営業になってしまったということである。そのほかにも、地域によっては眼鏡店、コーヒーストア、スーパー、ペットショップ、ドラッグストア、ファーストフードレストランなども24時間営業のところがある。夜ふかしをする人にとって台湾は一番住みやすい所だということができるかもしれない。



肌を刺すような寒さが身にしみる。手のひらを温めるように両手を合わせて摩りながら道を速足でいく。もっと歩調を速めようとしたところを信号が赤に変わって足を止めざるを得ない。大きい息をつき、口から吐き出した白霧が曇った空へ飛び上がってゆく。


久しぶりの寒気によって、吐息の白霧と共に遥かな記憶を呼び起こしてきた。確か大阪に着いたばかりのことである。あの時、未知の未来への不安を抱えてドキドキしていたけれども、期待と希望にも溢れていた。今、身を切られるような寒風に耐えながら、あの期待と不安が混ざる気持ちを再び味わっている。青信号に変わった瞬間に、過去の思い出に浸っている私を現実に引戻してしまい、ため息をついてから足を前に踏み出した。


日本で暮らした日々は本当に素晴らしくて忘れられない経験であるが、人間にとって人生は前に進んでゆくということしかできないだろうか。







冬の陽が好きである。

このコーヒーストアに初めて来たのは4ヶ月前のことであった。透き通ったガラス窓越しに刺し込んだこの冬の木漏れ日が優しく包んでくれるため、私はいつも同じ窓際の席を取るのである。今日も暖かい陽射しを浴びて、カプチーノを飲みながら、のんびりと勉強するつもりである。

顧客が少ないちょっと物寂しい感じがする店であるが、それがかえってここへ来るのが好きになった原因である。静かな空間を流れる古典音楽と共に、コーヒーの香りと冬の陽射しを十分に楽しむ。油を売る時、手を止めて、コーヒーストアの店長とひいきの顧客との交流を観察することはもう一つの楽しみである。

ここは障害者を雇うコーヒーストアである。すなわち、店長を除いて、店員は全部障害者というストアである。一般的な民衆は障害者の腕を信じないと思うのか、顧客はあまり来ない。しがしながら、私にとって最も大切なのは朝から彼らが無邪気な笑顔で迎えてくれるのが幸せにこの一日を送ることができる自信を与えてくれるということである。人間としての純粋と強さを持たないことには、見えない笑顔だと信じている。

その中であの子の姿が特に脳裏に焼きついた。彼のおかげて、言葉が通じなくても心の優しさをちゃんと相手に伝えられることを初めて感得した。彼は聴覚障害者であり、世の中に人の心を乱す騒音とか噂とか存在しながらも、彼は何も聞こえない。聞こえないだからこそ、心の純潔を保てるのであろうか。聞こえないだからこそ、この世に対する愛情が誰よりも強いのであろうか。彼らは恰も寒さと戦って、人々に温暖と希望を与える冬の日光のような存在である。この一所懸命に働いている姿を見れば見るほど、私自身も元々失いつつあった向上心と生き甲斐を見つけ出し、生命に対する愛着と熱情が再び胸に燃え上がってきた。