水を田に満たす水無月(みなづき)、雨期の月ともいわれる6月が終わりに近づいている。この月を振り返ってみるとそれほど雨に見舞われたという感じがしない。というのも、梅雨入りが遅れたこともあるだろうが、雨の日になっても梅雨前線が停滞せずに何食わぬ顔で南の沿岸に沿って素通りしたことによるからだろう。

雨が上がれば、晴れ間のあいだに麦わら帽をかぶって草取りに出る。庭つづきの砂利が敷き詰められた駐車場には砂利面を押しのけるほどの元気な雑草が顔を出し、首の太い名無し草が六七十センチもあろうかと思われるほどの、蛇と見まがう茎の身を砂利に横たえていた。

炎天下を避けて午前中の1時間ほどを草取りに当てたが、曇りがちの天気でも、終わってみれば結構汗をかいている。この日は45リットル入りのビニール袋に半分ほどの雑草を刈り取ることができた。北側のドアから室内に上がって、薄暗いキッチンの冷蔵庫から取り出した冷水が喉を潤してくれたが、これが実に旨い。

疲れた身体をデスクの前の椅子に横たえたまま、そこでぼうっと涼をとる。このひとときがまた、たまらなく満ち足りた気持ちにさせる。しばらく時をやり過ごし、コップに残った冷水を飲み干す。ようやく活力が蘇ってきてパソコンを開くモチベーションも上がると、メールをチェックした。ここ2、3日、メールのチェックを怠っていた。未読メールは50ほどもたまっている。

数あるメールのほとんどが商品の紹介だったり、購読を促すビジネス関連である。未読メールを一瞬で既読に切り替える作業をし終えてひと息ついたが、その中に異質なメールが一通目に留まった。この種のメールはたまに紛れ込んでいることがある。またか、という思いで我関せずの姿勢を貫くことにしているが、ほとんどが英文なので、少し好奇心をかき立てられながらも辞書を片手に訳出してみたりする。

通覧すると平易な英文だった。今回のものは辞書の助けもなく大筋で理解出来た。My name is Mrs. Emma Robinson, a dying woman… で始まる、これも遺産を巡る一種の遺贈メールである。善意で受け止めればそれなりの訴求力もあり、ひとはだ脱いで協力は惜しまないとなるのであろうが、文面からは「巧妙」と思わせるほどの「まゆつばもの」的な箇所も読み取れた。

インターネットというツールが使われ始め普及してから20年も経っていないのではないだろうか。いつの間にか、その利便性の虜となっていて、日がな一日、このツールの利便性に依存している中でその危険性についてはみな無頓着のままでいるのだろう、だから金銭面、対人関係のトラブルに巻き込まれてすべてを失う人が後を絶たない。

人間には良心という、ある意味もろい弱点を抱えている。その良心や善意につけいるスキを与えると相手は遠慮会釈もなく押し入ってくるから「渡る世間は鬼ばかり」となる。大方の人はその辺の機微を承知していて、おいそれとはうまい話には乗ってこないだろうが、ときに人の脳は誤作動を起こすことがあるから厄介である。残業やら炎天下の草むしりなどで心身の疲労がたまっているときなどは特にその可能性は大だ。

さて、くだんのメールはとても筋が通っていて、特段に疑う余地があるとも思えないものだった。それでも「やめときなよ」というお節介おばさんがそばから耳打ちをし、思いとどまらせようとする声掛けが背中越しに聞こえてくる。

A dying womanは60代の後半。3年前にガンの宣告をうけたそうである。メールのところどころに信心深さが読み取れる。「God(神)のお告げがあって」という前置きから始まって、かの女の「父親が一生懸命に働いて残した財産(my father's hard-earned fund)をungodlyな叔父に残すよりあなたに遺贈することにした」という文に信心深さの一端が垣間見られる。

わたしはロンドンで手術を受けることになっています。手術が成功することを祈ってもいます。さらに、I have decided to WILL the sum of … と、億単位の遺産が、母亡き子、the needy (貧困者)、孤児院のために使われるようあなたに託することにしたのですと続くから、そうか、そうですかと前のめりになる。

現在、この財産を信頼できるあなたに遺贈する決定をしたことについてmy law barrister (米口語:弁護士)に連絡を取ったところです。もしこの一件にご関心がおありなら私の弁護士と連絡がとれる方法をお伝えしたいと思います。至急ご意向のありやなしやをお知らせ下さい。

最後に、私はあなたにお会いしたことがありませんが、インターネットの検索を通してあなたのこと(your email address)を知りました。私の心がこの件についてあなたにお知らせするようにと訴えています。(My mind tells me to inform you. ここの訳がいまいちである) 誠意をもって行動していただけると有り難いです。返信をお待ちしております。

God bless you.
Mrs. Emma Robinson (仮名)

Thank you for Co-operation. で結ぶ商業文より、God bless you. はより私用文に近い。でも本当にこのメールは本人が書いたものなのだろうか。―あるいは誰かによって書かされたものかもしれないが、知るよしもない。生体が癌に冒されて死期が迫っているという切迫感が感じ取れなくもない。かと言って、なまじ英語がわかると英語の罠にはまりやすいという教訓も頭をかすめる。

本人を特定するために日本の口座に十ドル、いや、一ドルでもいい。本人の口座から送金してもらえば信憑性は高まるだろうがどうだろう。だいいち、ぼくを a reliable individual と断じたが、会ったこともない他人に向かってそう言い切る根拠が示されていないではないか。

人助けと思って弁護士に支払う着手金は、跡形もなくブラックホールに吸い込まれて行くことだろう。過去においてもこの種のメールが何通か舞い込んできたことがある。辞書を片手に解読してみたものの、そのたびごとに「くわばらくわばら」と心の中で呪文を唱えながら、我関せずの姿勢は貫き通してきたのである。