桜の花びらのように、雲間から射す光が、ひらひらと翻(ひるがえ)りながら地上に舞い降りてくる。こういう感覚は1年を通してそんなに多くはない。避暑地の散策路を歩くときに樹木の間から射してくる木漏れ日の様子という感じでもない。

 遠くに山並みが眺望でき、そよ風が渡り、まだらの雲がゆっくりと流れて、その切れ端から発光体が表と裏を見せながら光を放っている。その光景はカフェの2階にあるバルコニーから容易に見通せて、パラソルの袖からも光の花びらはキラキラと舞い降りてくる。夏が近づいているのだ。

 夕方までポスターの制作にかかりっきりで、それがひととおり終わるとレトルトのハンバーグとサウザンド・アイランドをたっぷりかけたブロッコリーやカリフラワー、キャロットやインゲンとが混じった野菜を掻き込み、クイズ番組に飽き飽きした後では窓際の椅子に腰を掛け、ギターの弾き語り練習に打ち込んだ。

 明かりが点(とも)ったゴミ集積所のボックスにゴミを投げ入れて2階に上がる。ベッドに身を横たえたのが夜半過ぎだった。そんな忙しさのために睡眠の深さは申し分なくふかく沈み込んで、そろそろと思う頃にベッドから這い出すと時計は朝の9時半を回っていた。ルーティンにしている軽いストレッチと洗顔を終え、キッチンに入って朝食の支度にとりかかる。当然、歳のせいか動作は緩慢で、朝食はブランチになっていた。

 この日は午前中に車検を受けるため食事のしたくを急ぎ、11時の訪問に間に合わせるため昨日の夕食と同じ期限切れのレトルトハンバーグをレンチンし、わかめスープと冷凍の大和芋で食事を済ませた。10時過ぎに車検のことで営業所から確認の電話が入った。

 先月のこと。今度の車検は近くのガソリンスタンドでやってもらうと告げたとき、営業スタッフはあわててメカニックを呼んだ。二年ごとの車検にかかる料金が高度恐怖症のぼくには付き合いきれなくなっていたのだ。今年6月の車検をさかいに自動車会社とは縁を切るつもりで料金の交渉に臨んだ。

 これも先月のこと。給油を終えると、店長らしき人物が足早に近づいてきた。フロントガラスに張ってあるステッカーの6という印字に気づいたのだろう。6という数字の、6月が車検の月であることをガソリンスタンドも承知していて営業攻勢を駆けてきたのだ。このときのガソリンスタンドとの折衝は車検を巡る業界のウラ情報を入手できるきっかけとなった。これがぼくの立ち場を有利にしてくれた。

 いままで大手自動車会社のいいなりになっていた料金体系に向き合う自身の怠慢さをくつがえす内容だったからだ。料金を半額近くまで押さえてくれることが可能なら大手とのお付き合いにこだわることなく切り替えてもいいとぼくに決断をさせるような内容だった。

「お待ちください。あらためて新しい料金を算出させていだきます」
 メカニックはそう言って事務所に見積書を持ち帰った。しばらくして新しい概算見積書を手にもどってきてぼくの前に対面した。見積書を受け取り諸経費に目を通す。

 概算で194,000円が103,000円にまで減額されていた。メカニックには相場が分かっている。ぼくの頬がゆるんだ。
「左側後部のタイヤには釘が刺さっています。この修理には3000円ほどの費用が発生しますが、よろしいでしょうか」
「おまかせします」
 のびしろのない年金生活者には不本意で予期せぬ出費だが、メカニックの気遣いが敬老的な思いやりと受けとめた。

 結局、専任のメカに一任することになった。生活費とは別の、自動車関係費の出血は一時的に止まった。点検には夕方までかかるという。代車を借りると飯能に向かった。向かう先は先月食べ損なった「小松屋」である。先代は米屋をなりわいとしていた。名だたる作家との親交があったらしく壁には太宰治など文人らがしたためた寄せ書きが掛かっている。

 営業短縮というお家の事情があって1時半には閉店する。急がねばならない。この日は曇りがちの日和だった。それでも、西に傾き始めた薄日の細片が、行く手の空からひらひらと舞い降りてくるのが目に映った。

 よき父
 よき母
 よき子
 ああ 汝
 含羞を
 捨てよ 
 (太宰 治)