まえがき

 萌ゆる桜もとっく散って、やや惚けたGW気分もすっかり終わり、いよいよ6月が来るわけです。人々の新生活への移行も終わったんだろうなと思うわけですが、最近5月に入ってから「いまだに」、VTuberの卒業や活動休止がやや見受けられるわけです。個別具体的な名前は差し控えますが、企業勢・個人勢問わずです。

 一般的にそれらの「ネガティブな」ニュースは、突発的なトラブルを除けば、だいたい1月・4月・9月・12月の四半月に集中する傾向があります。しかし5月というやや奇妙な時期での発表は、私にとってはVTuber業界の状況の変化を示しているのではないかと思っています。

 

 現実論

 VTuberに関して各所でひそやかに囁かれていた、「現実論」というモノがあります。これは主に演者の現実生活と活動の兼ね合いに関する主張なのですが、ある程度説得力を持つにもかかわらず、論理があまり整理されていないので、一旦以下に整理を試みたいと思います。

 

 ① VTuberの実年齢は、2023年時点では大半は20代である。これは他世代と比べ、Youtubeというプラットフォームとアニメ・マンガ文化を許容可能であり、技術的にPC・スマホへのリテラシーを持つ世代である事からよく分かる。またニコニコ初期~最盛期という配信文化の成立期を経験できた世代でもある。

 

 ② ライフサイクル上では20代は最も変化の大きい世代である。すなわち大学生活から社会人生活、社会人新人からチームリーダーや主任クラスへの昇格、職種の変化、パートナー・結婚・出産、様々な猶予(税金・年金・各種保険)からの脱却等である。

 

 ③ ②よりVTuberの大半はライフサイクルの変化に対応しながら、VTuber活動を継続する、またはそれに関連した止む無き理由で現在の活動を停止するという事が推測可能である。転生を除いたいわゆる「新しい活動」とは、VTuberというキャリアを完全に止めて、次のキャリアまたはライフステージに移行する事を指す。

 

 ④ とりわけ中期~長期活動者にとって、自身の活動と現実のライフサイクル・キャリアプランが一致するかどうかは、常に懸案事項である。VTuberは上澄みに入る事ができたり、ある程度マネタイズする事ができれば儲かる職業である。だから中期~長期活動者の多くは、よほど出費の比率が高くない限りは投資分は回収できているとみて良い。これを言い換えれば、短期的に終わってしまうVTuberは投資回収に失敗すると見込んだためという事だ。

 ただし、経済的理由は「継続自体が不可能」である事の事由であり、「継続は可能だが中止」する事の事由ではない。またもちろん、短期的に活動終了するVTuberにも経済的な理由以外の理由が想定可能であり、こうしたVTuberは「なぜ」活動から撤退するのか、推測が難しいのである。しかし中期~長期活動者に関していえば、ある程度の実績と経済的に活動が継続可能にもかかわらず撤退する、言い換えれば経済的な事由以外に原因が求められる。その推論として、ライフサイクル・キャリアプランの変化と現実との不一致が挙げられるわけである。

 

 ⑤ たとえば20代前半からVTuber活動を始めたものは、今はもう25~30歳となっているだろう。大学生、社会人、フリーター、無職のいずれかの状態から活動を始めた時、前2者は少なくともライフサイクル・キャリアプランの変化に大いに晒される。

 

 ⑥ ⑤について、例えば学生であれば就職が大きな壁となり得る。就職活動とVTuber活動の並立はそれなりに労苦を伴うことは想像に難くないし、就職後は社会人生活との並立によって配信時間の確保と労働が負担となる。また就職せずにフリーター生活を選んだ場合でも、フリーターとして生きる事の決意と周囲の評価との対立やフリーター生活での生活費確保の問題がある。さらにフリーター生活を継続すると各種社会保障が社会人と比べて十分ではなく、将来への不安との葛藤も考えられる。無職を選んだ場合は、元々経済的に恵まれている場合や生活保護を受けている場合を除き、フリーター生活よりも更なる負担が考えられる。

 

 ⑦ ⑤について、例えば社会人から活動を始めた場合であれば、パートナーとの生活や昇格・転勤・生活と社会保障の充実が焦点になり得る。

 パートナーとの生活に関していえば、男女問わずに結婚や出産への自身・他者・第三要因(精子劣化や出産適齢期等の生理的要因)からの圧力はある。

 昇格や転勤にについていえば、今までは部下という立場で作業に従事していた立場から、部下を持ち指導する立場となることで慣れない作業や負担が増す事だろう。また部署移動や転勤も十分に考えられ、VTuber活動との並立が困難になる可能性もある。さらには社内での同僚・上司との関係不和やブラックな職場での労働は、ごく一部のVTuberも吐露する通り活動に影響を与えるわけである。

 生活と社会保障の充実についていえば、例えば新居の購入や車・家財といった大きい出費、各種保険の加入や資産形成の開始が挙げられる。こうした出費の一部をVTuber活動費から捻出する場合、現活動の規模を大きくして捻出費用を大きくするか、規模を小さくして活動の出費に充てていた分より補填するか、活動自体を止めて本職の専念・他副業の開始・機材の売却益分を充てるかのいずれかが考えられる。

 

 ⑧ ⑦以外にも、そもそもの活動方針と現実生活との合理性も考えられる。例えば今までは動画中心の活動方針であれば、動画制作は時間がかかるが、自由時間を柔軟に使って活動が可能である。しかし配信中心の活動方針への変更を余儀なくされた場合、コンスタントに日常生活より自由時間を捻出して配信をしなければならない。なぜならば配信という活動は静的な動画視聴者ではなく、比較的能動的なリスナーに依存するため、定期的な配信活動が求められるためである。すなわち、コンテンツがリスナーに依存する。こうなればコンテンツのリリース頻度は、動画制作の時よりもよりシビアになりがちであり、現実生活との兼ね合いの中で配信できないことへの罪悪感が発生するわけである。こうしてモチベーションにも影響し、今後の活動方針をさらに変えないといけない場合も考えられる。

 

 

 現実論のポイントと反論

 以上①~⑧を代表的な現実論の主張として取り上げましたが、やはりまだ雑多な感じがします。ですがやはりポイントとしては、「現実世界における演者のライフサイクル・ライフプラン・キャリアプランの変化が、活動に影響を与える」という点は変わらないわけです。

 一方、こうした現実論に対する、ちょっとした反論として2つが挙げられます。まず1つ目はいわゆる「VTuber社不論」です。すなわちVTuberの中の人の大半は社会不適合者であるというものです。すなわちその多くが一般社会の価値観に沿った生き方をしていない無職やフリーターであり、配信活動に捻出する時間も多く、また今後のライフプラン等についても何も考えていないというモノです。この論を支えているのは配信活動者に対するグレーないしブラックなイメージであり、とりわけニコニコ生放送のようなアングラ感のあるコンテンツに影響を受けた見方だと思います。

 また2つ目として「VTuber活動は趣味論」があります。すなわち収益も大事だけど、あえてVTuber活動をしているのはひとえに趣味や価値観追求によるものであり、上記現実論④のような主張はそもそも意味をなさないというモノです。これは事実の一部だと思いますが、例えば企業勢であればその論理では矛盾が生じる可能性があります。なぜなら企業は第一の目的として事業を継続するために利潤を追求する事であり、その限りにおいて初めて「自分達のやりたい事」を事業として行うものだからです。

 

 

 思うところ

 

 ただし、いずれの論以外にも多くの反論はあり得ると思いますし、自分でも書いている間に現実論への反論は幾つか見つけました。そうした反論の数はむしろ多態なVTuber界隈を示していると考えます。だから結局は個々のVTuberの活動はケースバイケースでしかないかもしれない。しかしその中にあっても、やはりここ1年のVTuber界隈における動向を見たときに、どうしても引退理由の「ポジティブさ」に違和感がぬぐえなかったのです。まえがきに書いた件についても同様です。特に違和感を感じたのは、やはり「彼女」の卒業発表でした。6年間の活動経歴とアクの強い配信スタイルから出たとは思えない、あまりにそっけない「新しい事への挑戦」という言葉です。私にとってその言葉は、曲解を含む可能性はありますが、未練なき決断だったのです。私はあえて現実論という界隈ではタブーとされる現実要素を持ち出して、この決断を理解しようとしました。完全に界隈を引退するという事を考えたときに、やはり現実論の影響は大きかったのではないかと。これは憶測でしかありません。

 

 しかし今後はこうしたケースがより増える可能性はあります。VTuber業界もいよいよ8年目に突入します。歴が長いベテランライバーは、いよいよ自身の人生を踏まえて、今後の活動の進退を決める時が来るでしょう。またVTuberを初めて1~2年のライバーは、VTuber活動自体が自分に見合ったものなのか、再確認に迫られる時期も来るでしょう。そしてリスナー諸兄はそうしたライバーとの別れを、より多く経験する事になるでしょう。永遠に続くものはないので、いつか苦しみが来ることでしょう。例えが悪いかもしれませんが、多くの推しを持つという事は多くの犬を飼うという事です。当然多くの犬を飼えばその数だけ死の悲しみを経験する事になります。

 

 世代交代、恒常性、継承

 

 だからそうした「別れ」に備えて様々なマインドセットをあらかじめインストールしておき、「大きな歴史」の中に推しの引退を位置づけることが、個人的には引退に対する良い心持ちだと思っています。

 

 まず業界というモノは絶えず参入、競争、撤退が繰り返されています。その中で現在生き残っている者たちを推しと呼んで配信を見に行きます。そうした競争の中でとりわけ強い力を示し、業界の大手となった者たちを中心にイメージが抽出され、そのイメージの事を世間一般にVTuberと呼んでいます。VTuberは実体であると同時にイメージでもあるわけです。だからあり得ない事ですが、例えば仮にホロメンが一斉に引退しても、VTuberというイメージは従来と大きく変わらずあり続けるはずです。

 ですが今と10年後のVTuber業界(存続していれば)が同一であるとは思えません。それは少なくとも2017~2020年組はかなりの数が引退しているであろうことが予測できるからです。ただ先ほどの例の通り、あるセクターの一部分がごっそりなくなるだけでは、イメージというモノは大きく変わらないはずです。しかしセクター問わずそれなりの規模で引退が発生したり、活動スタイルが顕著に変化すれば、イメージは少しずつ変化していくはずです。たとえばにじJPがいきなり実写配信を主流にし始めたらどうでしょうか。VTuberにおけるバーチャルのイメージはおそらく完全に死滅するはずです。これはジグソーパズルと同じで、ある人物画の足の部分が全てなくなっても「人」のイメージを損なう事はない。しかしこれが4つ足になったり、顔が他のピースに差し替えられれば、まるで違うイメージとなるわけです。

 そうした引退と活動スタイルの変化は、今後5年の間で間違いなく顕著になるはずです。それを考えた時に、新人の数が少ないホロや、2018-2019年組に大きくライバー数の比重が傾いているにじは、果たして今の形を保っていられるでしょうか。また今ある比較的新規の事務所は、はたしてそうしたVTuber業界の世代交代に耐えられるほどのノウハウや事業継続性があるでしょうか。

 もちろんただ世代交代が繰り返されるわけではなく、そこには数々のライバーが残した足跡があるわけです。それはアーカイブ、グッズ、各種SNS、リスナー間の共有経験として残り続け、次代のライバーに影響を与えるわけです。いわば「美兎チルドレン」はその例かと思いますが、次の〇〇チルドレンもいつか生まれるはずです。

 そして推しとその引退も、まさにそうしたメカニクスの中で位置づけて理解してみるべきだと思います。この推しはVTuber業界に何を遺したのか、どういった影響を与えてきたのか、どういった位置づけの活動者だったか、等々。

 

-Anna Terking