『姉妹』
■縛りテーマ:なし
庵野益路
【登場人物】
- 室井弥生 (14)中学三年生
- 室井明日香(16)高校二年生
- 室井弓香 (37)母
- 室井義邦 (41)父
- 図書委員
- 医師
- バス運転手
- キックボードの男
○室井家・ダイニング(夜)
室井弓香(37)が、ダイニングテーブルの斜め前に座ってふてくされた顔をしている室井弥生(14)を、半分呆れた顔でにらみつけている。
テーブルの上には、塾の成績表。
弓香、横を向いてテレビを見てビールを飲んでいる室井義邦(41)の肩を軽く押す。
弓香「ねぇ、あなたからも何か言ってよ」
室井、ビールを流し込んで、困ったように前に向き直る。
室井「まあ、なんだな。弥生は勉強よりもサッカーの方が得意なんだから、そっちを頑張ればいいんじゃないか?」
壁には、ユニフォーム姿の弥生とその仲間たちがサッカー場でトロフィーを持っている写真が飾られている。
弓香「あなたがそんなんだから、弥生が遊んでばっかりいるんじゃないの!」
弥生「(口をとがらせて)遊んでばっかりじゃないよ」
弓香「だったら、なによこの成績は!」
明日香「ただいまー」
室井明日香(16)がダイニングに入ってくる。
弓香「(ふりむいて)あ、お帰り。明日も塾で遅いんだっけ?」
明日香「うん」
流し台に弁当を二つ置く明日香。
弓香、弥生に向き直って成績表を叩く。
弓香「とにかく。こんな成績じゃ、まともな高校いけないわよ」
弥生「お姉ちゃんと一緒のとこじゃなきゃ、行けるもん」
弓香と弥生を横目に、部屋を出て行こうとする。
弓香「あ、明日香。もう勉強? ご飯は?」
明日香「(ちょっと笑って)あ、うん。いい」
出ていく明日香。
弓香「(ため息をついて)まったく。姉妹でなんでこんなに違うのかしら」
弥生「(むくれる)悪ぅござんした。どうせ頭わるいもん」
○同・子供部屋(夜)
弥生と明日香が勉強している。
唸っている電気ストーブ。
しかめっ面して頭をかく弥生、鉛筆を投げ捨てる。
弥生「あーっ、もうやーめた」
二段ベッドの下段に倒れ込む弥生。
明日香「(ふりむいて)もう寝るの?」
むっとした顔をする弥生。
弥生「うるさいなあ。いいでしょ。あたしは、お姉ちゃんみたく、勉強好きじゃないもん」
明日香「(机に視線を戻して)好き嫌いの問題じゃないでしょ。それに、私は別に勉強が好きなんじゃないわ」
弥生「はいはい。嫌いな勉強をたくさんやるお姉ちゃんは偉い偉い」
明日香「(弥生の方を向いて)弥生ちゃん!」
弥生「おやすみー」
慌てて布団にもぐる弥生を見つめる明日香。
○室井家・ダイニング(朝)
海苔とアジの開きを食べている明日香。
弓香、焼き上がったパンをテーブルに乗せる。
弓香「(扉の方に向かって)弥生ーっ! 遅刻するわよーっ!」
どたどたと足音をたてて階段を降りて、ダイニングに入ってくる弥生。
弥生「おはよー!」
パンをひっつかむと、そのまま部屋を走って出ていく。
明日香「ごちそうさまでした」
立ち上がって、弥生の後を追う明日香。
○交差点(朝)
パンを手に走る弥生。その後ろから明日香。
車道向こうのバス停にバスが入ってくる。
弥生「お姉ちゃん、早く! バスきてる!」
青信号の交差点を、走って渡る弥生。
明日香「あぶないっ!」
交差点に突っ込んでくるトラックを見て立ち尽くす弥生。
交差点に飛び込んでくる明日香。
青空に舞う明日香と弥生のカバン。
○病院・手術室前
点灯している手術中のランプ。
手術室前のベンチで座っている、真っ青な顔の室井と弓香、そして弥生。
弥生の顔や腕、足には絆創膏や包帯。
手術中のランプが消えて出てくる医師に、室井が立ち上がる。
室井「先生……」
医師「できる限りの手は打ちました。後は彼女の生命力次第です」
わっと泣き出す弓香。
ぼうっと弓香を見つめる弥生。
○同・個室(夜)
明日香のベッドの脇に座る弓香。
響く心電計の音。
○室井家・子供部屋(夜)
真っ暗な部屋、二段ベッドの下段で寝ている弥生。
弥生「お姉ちゃん……」
明日香の声「(かすかに)弥生ちゃん」
驚いて見回す弥生。
弥生「お姉ちゃん? お姉ちゃんなの?」
明日香の声「(はっきりと)うん」
弥生、起き上がってベッドの上段を覗くが、誰もいない。
弥生「どこにいるの? 帰ってきたの? もう大丈夫なの?」
明日香の声「えっとね…ちょっと信じられないんだけど…。私、どうも弥生ちゃんの中に居るみたい」
弥生「…へ?」
目を丸くする弥生。
○中学校・図書室
人影がまばらな図書室。カウンターに図書委員が座っている。
大きな机に一人座り、勉強をしている弥生。
明日香の声「よかった。勉強してくれて」
弥生「(小声で)頭ん中であれだけうるさく言われれば、誰だってするわよ」
明日香の声「(くすっと笑って)だって、弥生ちゃんに、私の高校受かって欲しいもの」
弥生「それが余計なお世話っての」
明日香の声「あ、そこ違う!」
弥生「え? あ」
慌てて消しゴムで消す弥生。
弥生「やっぱりお姉ちゃんって頭いいね。お姉ちゃん、わたしを助けないで、わたしが入院してればお母さんもあんなに悲しまないのに」
明日香の声「そんなことないわよ。弥生ちゃんが怪我したら、お母さんはもっと悲しむわ」
弥生「また、そうやって、いい子ぶる~」
机に向かって独り言を言っているように見える弥生に、カウンターにいる図書委員が不審な顔をする。
明日香の声「私、弥生ちゃんが羨ましい。活発で、スポーツ万能で、お父さんもお母さん も弥生ちゃんの話ばかりしてたわ」
弥生「うそ。怒られてばっかりだよ。前、お姉ちゃんを少しは見習いなさいって、怒られたことある。お姉ちゃんの十分の一でもいいから安心させてって」
明日香からの返事ない。
弥生の鉛筆を走らせる音が響く。
弥生「お姉ちゃん?」
明日香の声「あっ! また間違えた!」
顔をしかめて頭をかく弥生。
○病院・前
雪の被る梅の木。
(O.L)
○同・前
薄紅の花を咲かせている梅の木。
○同・個室
ベッドで眠っている明日香。
ベッド脇で弓香が医師と話している。
弓香「まだどこか悪いのでしょうか?」
医師「(カルテを見ながら)うーん…、もういつ意識を取り戻してもおかしくないんですが」
○室井家・子供部屋(夜)
受験票と筆記用具を確認して、鞄に入れる弥生。
明日香の声「いよいよ明日ね。試験」
弥生「うん。なんかすっごい緊張する」
明日香の声「自分の時を思い出すわ」
弥生「お姉ちゃんが緊張? 嘘でしょ」
明日香の声「ふふ。とても緊張して、何本も鉛筆の芯、折っちゃったのよ」
弥生「ふーん」
電気を消して布団に潜り込む弥生。
弥生「……お姉ちゃん、ごめんね」
明日香の声「なにが?」
弥生「あたし、お姉ちゃんのこと誤解してた。 悩みなんかなくて、勉強も……」
明日香の声「(弥生を遮って)試験の間はずっと黙っているからね。自分の力で頑張るのよ」
弥生「…はーい」
寝返りをうち、目をつむる弥生。
明日香の声「(小さな声で)私が、弥生ちゃんに勝てるのは…勉強しかなかったの。成績が悪くなったら、お父さんも、お母さんも、私なんて見向きもしないと思ってた」
目を開ける弥生、すぐにつむる。
弥生「お姉ちゃんも、あたしも……同じだね……」
寝息をたて始める弥生。
○バス停(早朝)
弥生「さむっ!」
バス停で一人、バスを待っている弥生。吐く息が白い。
明日香の声「この時間だと、さすがに誰もいないわね」
弥生「試験じゃかなったら、あたしはまだ寝てるね」
事故のあった交差点が見える。
弥生「事故、たった数カ月前なのに、なんだかすごく昔のような気がするね」
明日香の声「そうね」
バス停に入ってくるバス。
○バス車内(早朝)
空いているバスの中、空いている椅子に座る弥生。
出発するバス。
運転手「あぶないっ!」
飛び出してきたキックボードに、急ブレーキを踏む運転手。
車体が大きく揺れ、目の前の手すりに頭をぶつける弥生。
キックボードの男「馬鹿野郎! 気をつけろ!」
キックボード、走り去っていく。
車内に流れる「緊急停止、おつかまりください!」の自動アナウンス。
弥生「いったあ…。何、あれ。気をつけろって、自分じゃん!」
頭をさすりながら、キックボードの走り去ったほうを睨む弥生。
弥生「ねえ、お姉ちゃん」
返事はない。
弥生「…お姉ちゃん?」
不安な表情の弥生。
○高校・教室
真剣に答案用紙に向かう弥生。
○病院・個室
走りこんでくる弥生。
もぬけの空の明日香のベッド、綺麗に片づいている。
へたりこむ弥生。
弥生の肩を叩く手。
振り向くと、微笑んでいる明日香。車いすに座っている。
その後ろ、車いすを押す弓香。
弥生「(涙声で)お、お姉ちゃん…バカぁ!」
明日香に抱きつく弥生。
○高校・校庭
咲き乱れる桜の花。
大きな掲示板に合格者の番号が並ぶ。
掲示板を見上げている弥生。
振り向くと、後ろには明日香。
明日香「弥生ちゃん、どう?」
うつ向いている弥生、顔を上げて笑みを浮かべる。
弥生「これからもよろしくね! 先輩!」
二人に舞い降りる桜の花びら。
(終)
30年近く前に書いたシナリオを、かなり手直ししたもの。