あの日あの時 | ゴロゴロやまんば

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正月に異母弟が突然夫に電話してきた時、肝心なことは何も聞きだせていないことがわかり、夫のその方面の能力の足りなさを再認識した。

亡くなった義父母には申し訳ないが、やはり田舎の長男育ちである。

良く言えば「素直で人を疑うことが無い」。

悪く言えば「無頓着で何でも指示待ち」なのだ。

 

異母弟は大手の生命保険会社に就職していた。

それなりの大学を出たので、それなりの部署にいたはずだ。

(継母が当時どれだけ自慢していたことか)

そして大手なので、当然地元倉敷にも支社があった。

継母は、いずれ倉敷に帰り同居する日を夢見ていた。

 

なのに夫の話では、仕事を辞め岡山で見つけようとしたが見つからず、神戸で仕事が見つかったので家族ごと転居してきたとのこと。

(家族ごと?→とりあえず離婚はしていないのか)

(仕事→どこでどうなった!?)

 

倉敷の実家は二世帯同居できるくらいの広さがあるけどね。

それは叶わなかったのかな。

 

ところで

私にとって異母弟は「継母のスパイ」という位置づけだった。

「お母さんが留守の間、お姉ちゃんが○○してた」とか

「お母さんが居ない時、お姉ちゃんに✖✖言われた」とか

 

その後に、私が髪をわしづかみにされ叩かれたり蹴られたりしたことなぞ異母弟は知らない。

もちろん素直な良い子でしたよ、私は!と言うつもりはない。

ただ、そこまでされるいわれも無い。

継母は、二言目には「アンタは生まれた時から悪い子だった!」と言っていた。

(継母が我が家に来たのは私が3歳になるかどうかの時だったはずだけどね)

 

ここ10年ほど子育て支援に関わっている立場から言わせてもらえれば、、、

 

生まれた時から悪い子なんていない!

生まれた時はみんな天使の笑顔を持っている!