気づいたことがひとつ。就労者全員が禁止事を行うとどうなるのか。もし実行するとなると経済がストップして、向こうの人たちを含んだ国民の全員が収入を得られなくなるという生活を続けていく上でとても困る事態となってしまいます。
これは、コロナ禍で要不要を問わず全国民に外出禁止令を発令し、完全な都市封鎖体制をしいた結果、経営が行き詰まり失業者があふれだす状況と酷似しています。疫病の流行は、今まで“平穏”な日々で隠れて見えなかった法治国家の危うい本当の姿をあぶり出しているとみることもできます。
完全と思われている法制度も実は隙があるということ。これは向こうにとっては生存と権威に関わる致命的な問題点。
なぜこうも自分たちの思惑どおりうまくいかないのかというと、それには当然の理由があります。不正義と完全との距離は無限でどこまで行っても永遠にその差を縮めることはできません。完全は正義にのみ宿るもの。
人は法の上にいるのではなく真理の中にいるのです。この絶対的で不変の真理とは、すなわち神。神を上回るものなど存在しません。この当たり前を理解できていない者というのが世界には一定数存在します。自分ではそんなつもりはないだけで。人類が悩んでいる問題のほとんどを引き起こしているのは、このような多くの勘違いをしている人たちのように思います。
「見えない」は支配が国民に及ぼす弊害と負としての政治家の姿が見えていないことを、「戦い」は支配との戦いを意味します。人類の敵は味方であるはずの同じ人間だったという悲しい事実。人間は知的生命体を誇っていても実態はこの程度なのです。人間だけが事あるごとに騒ぎ立て、ちょっとやそっとでは動じない動物のほうがよほど立派に見えます。「進化論」が正しいことを前提にすると、“初心”を忘れてしまっている。
もうそう長くはないであろう環境状態を根拠に、このタイミングでの発生は偶然のひと言では片づけられないと思います。このコロナ騒動から何を学び、いかに今後に役立てるのか。未来を決定するのはほかでもない自分自身の心の有り様で、2020年代はこれまでのようにただ毎日を生きればいいというのではなく、一人一人の行動が問われる年代になるのではないかと考えます。大袈裟ではなく、人類はここにきて重要な局面を迎えているように思います。
ワクチンはあてにならず、世間は自然界に存在するものだから仕方がないと諦めて、ウイルスとの共存の道を探る方向に決めたようですが、この問題点から目を背けて逃げているように映る妥協策は不可能で、生きるか死ぬかのどちらか。新型コロナは仲良くできるほど生ぬるい問題ではありません。
今回の歴史的危機を乗り切るにあたって、悲観的にならず一度ちょっと冷静になって国家の在り方と自分自身を見つめてみることをここに提案しておきます。結果があれば必ず原因もあるのです。
頼れない政治から確実な神への移行。