自ら命を絶つことは基本、人生の敗者を意味します。長距離レースを途中で諦めて放棄するようなもの。一人だけゴールまでたどり着けなかった孤独感と敗北感。後悔の念に苛なまれる日々は、ある意味地獄といえるのかもしれません。その苦しみから逃れることができても結局は何も解決されないまま。現実はそう甘くなく、リセットして次の新たな希望に満ちた人生を歩むことはできないのです。
物事にはすべて例外があると思います。中にはその選択をすることによって救われる人がいることも事実でしょう。しかし、このような後戻りのできない不幸な結果を生む負の側面のほうがずっと大きいということを知っておいたほうがよいと思います。
人によっては何らかの因果を背負い、それを解消する目的を特って生を受けた人もいます。ですが、まったく面識がない人に対して「前世での自分自身の行為が関係している」とか「特別な意味がある」などといって、気安くその人の人生に触れるような真似はしたくありません。それはよけいなお世話というもの。
この世界の存在目的は、自分とは異なるさまざまな性格、能力、主義、思想、立場を特つ人が混在する中で多くの経験を積める貴重な場であること。煩わしい身体を使って生きることによって生じる怪我や病気から学べることもあります。生きていればいずれ何らかの形で援助者が現れるーーこのように考えます。
試練を乗り越えられず挫折してしまうほど人間年齢が幼く未熟な者は試練を避けることはできないのか。自殺は罪なのか、許されないのか。そうだとすればそれはなぜなのか。なぜ苦しみがあるのか。そもそもなぜ生命は誕生したのか。
これらの問い、疑問はどの教科書を広げても答えが記されていない人類最大のテーマ。いわば神への挑戦。
生と死の真意を明確に代弁でき、それぞれの違いを正しく理解している者はこの世に一人としていないのかもしれない。行きつくことのない永久性。神非ざる者、神のみぞ知る、神の領域。
できることは、ただ生きるだけで生きるしかない。いつまでもいつまでも、終わりが来ることはない。これが命ある者の定め。
「知る必要はない」のでしょう。