投手と打者の対決に例えるとよくわかる。今日は○球目の運気が悪いからといって甘い球をやすやす見逃すなんてこんな馬鹿な話ってない。打てる球を振らないでいたら打率は下がる一方でクビになることは目に見えている。これでは打者として失格。

 

運気を恐れて躊躇するのではなく、チャンスは二度とやって来ないと肝に銘じ、見えない存在からの貴重なご厚意を確実にものにする。好球必打。

 

「不幸」は運気の影響などではなく、人生にはつきもの。この世界は楽しいことに満ちあふれた天国ではない。簡単ではないからこそ生きがいがあるというもの。

 

面白くないことをすべて運気のせいにしていたらそこから得られるものを見過ごしてしまうし、反省をする習慣がつかなくなるので同じ失敗を繰り返すことになり、これではダメ人間と化してしまう。

 

有名人が過去に経験した災難ばかり強調しているけど、逆に良い運気の年に幸運は訪れたのか。データとして不十分で信ぴょう性に欠ける。

 

人間は弱いので数例の災難を見せつけられるだけで怖くなって何かにすがりつきたくなるもの。

 

確かに自然には一定のサイクルがある。しかし、気温が低下すると活動ができなくなる変温動物や生産能力がないため仕方なく冬眠せざるを得ない哺乳類と人間を一括りにするのはこじつけであってこれは根拠にはなっていない。他の生物に比べ脳が発達している人間は環境の変化に対応して生きていくことができる。光と水があれば勝手に成長していく植物とも違う。

 

自然に生かされているから自然のリズムに合わせるのではなく、そこは感謝。日本で多くの支持を集め大勢の人に信仰されているこの自称「幸運の手引書」は大きなな勘違いをしていて、生きるうえで上位に位置する大切な事柄が抜け落ちている。

 

そして、今日に至るまで企業のトップが立ち止まっていたら同業他社のライバルに淘汰されるだけでなく、今みんなの身の周りにあるさまざまな便利で不可欠なものは生まれていなかったことになる。これららの恩恵を享受できているのは彼らが何年にも渡って積極的に行動してきたからこそ。考える頭を持ち動くための足が付いている人間の半分を否定している。

 

自由が人類の文化、文明を進歩させ感動や喜びを生むのに対して束縛はストレスを生み、周囲の人を怒り散らすはた迷惑な人間を形成する。これは他人の行動を制限する側にも同じことがいえる。幸せとは心が乱れておらず湖のごとく静かで穏やかな精神状態にあることをいう。幸せが何かをわかっていない者が人を幸せに導くことなどできない。

 

 

あともう一息

 

 

それと、何をやっても大丈夫な安心できる年と注意が必要な危険な年の割合を見ると、人為的に調整された印象を受ける。

 

安全な年の数を1周期12年の半分よりひとつだけ多くして最低限の安心を与える。そして残りの年がすべて危険な年。これ以上安心させると怖がらないので売れない。これ以上脅すと疑問を抱かせるのでこれもまた売れない。じわじわと湧き出てくる恐怖感。

 

1周期の変動を四季に例えて活動を控え休むべき期間を冬というのであれば、危険な年の数は5つではなく3つが本当。提唱者の策略と汚い笑みが見えてくる7:5の不自然なバランス。

 

限りなく増え続けるける生年月日をわずか数タイプに当てはめ行動を統一させることにいったい何の意味があるのだろう。人がいればその数だけそれぞれの人生があるというのに。

 

新型コロナに罹って亡くなった人や重症化した人の運気を調べてみれば一目瞭然なはず。化けの皮をはがし隠していたものを暴き出すこのウイルスは、考えようによっては正義の使者ともいえる。

 

落とし穴を掘って誰かがはまるのを待ちそれを見て喜ぶのは神ではなく悪魔。

 

最も多くの人をだまし、そうやって最も多くのお金を巻き上げた不名誉な世界記録。