$マイケル・ジャクソンの思想(と私が解釈するもの)著者:安冨歩

最初の案から表紙の色が変わって、これが最終型だそうである。
もう今頃、紙になっているらしいので、これで書店に並ぶ。
配本は1月6日、書店に出るのは10日あたりだそうである。

東大柏キャンパスの押川正毅教授が、 twitter で本ブログの本書の紹介について以下のツイートをしてくださっていた。

MasakiOshikawa Masaki Oshikawa
安冨歩さんの注目の新著。私も「東大話法」にだいぶ精神的ダメージを与えられている、ような気がする。RT @anmintei: ブログを更新しました。『『原発危機と「東大話法」~傍観者の論理・欺瞞の言語~』表紙が決定』ow.ly/81GWt

それから、高崎経済大学の國分功一郎准教授は、私のブログの記事に、

出版を楽しみにしています!
それにしても強烈なタイトルですよね。
もうタイトルだけでメッセージですよ。

というコメントを書きこんでくれている。國分さんは大学院が東大・駒場。
まさか「収束宣言」をするとは思わなかった。「冷温停止」を勝手に「冷温停止状態」というわけのわからない言葉でごまかして、「冷温停止状態」宣言をするのかと思っていた。それでも十分にすさまじい名の歪みである。

それどころか「収束」という言葉を持ち出すとは、これは本当に異常事態である。「撤退」を「転進」と呼んだのよりも怖いかも知れない。「全滅」を「玉砕」と呼んだレベルに近い。

ここまで名が歪むとは、原発事故がどれほど恐ろしいことであるのか、改めて思い知らされる。事実を知れば、恐怖のあまり頭が狂って、下記のような状態で「収束宣言」を出したくなるほど、大変な事態なのである。政府のこころの弱い政治家どもを責めてもしょうがない事態なのであろう。

しかし、心のしっかりとした人がいない限り、名は歪み続けて、ついには、全社会的な破局に至る。それと止めるには、名を正すしかない。

どうしたらいいのだろうか?


===========東京新聞=========
作業員「政府ウソばかり」

2011年12月17日 朝刊


 「冷温停止状態」を通り越し「事故収束」にまで踏み込んだ首相発言に、福島第一原発の現場で働く作業員たちからは、「言っている意味が理解できない」「ろくに建屋にも入れず、どう核燃料を取り出すかも分からないのに」などと、あきれと憤りの入り交じった声が上がった。
 作業を終え、首相会見をテレビで見た男性作業員は「俺は日本語の意味がわからなくなったのか。言っていることがわからない。毎日見ている原発の状態からみてあり得ない。これから何十年もかかるのに、何を焦って年内にこだわったのか」とあきれ返った。
 汚染水の浄化システムを担当してきた作業員は「本当かよ、と思った。収束のわけがない。今は大量の汚染水を生みだしながら、核燃料を冷やしているから温度が保たれているだけ。安定状態とは程遠い」と話した。
 ベテラン作業員も「どう理解していいのか分からない。収束作業はこれから。今も被ばくと闘いながら作業をしている」。
 原子炉が冷えたとはいえ、そのシステムは応急処置的なもの。このベテランは「また地震が起きたり、冷やせなくなったら終わり。核燃料が取り出せる状況でもない。大量のゴミはどうするのか。状況を軽く見ているとしか思えない」と憤った。
 別の作業員も「政府はウソばっかりだ。誰が核燃料を取り出しに行くのか。被害は甚大なのに、たいしたことないように言って。本当の状況をなぜ言わないのか」と話した。

$マイケル・ジャクソンの思想(と私が解釈するもの)著者:安冨歩

いよいよ、年明け早々に、このブログの原発関係の記事をもとにした本が出る!

その名も、

『原発危機と「東大話法」~傍観者の論理・欺瞞の言語~』

である。東京大学は「東大話法」に呪縛されており、これが東大関係者・卒業生を不幸にしている。それはしかも異常なエリートを生み出すことになり、日本社会を狂わせている。原発事故はその一つの表現に過ぎない。東京大学を「東大話法」から解放することが、私の目的である。

先日、京都のシンポジウムで大島堅一教授(立命館大学)と知り合った。原発のコスト計算で有名な方で、まことに信頼できる立派な方であった。そこで本書のゲラを見て下さる様にお願いしたら、

安冨歩(ご自身が東大の教員)さんに、2012年1月に出版する『原発危機と「東大話法」 傍観者の論理・欺瞞の言語』明石書店のゲラをみせていただきました。一気に読めるとても面白い本です。なぜ原子力村の村人が揃いもそろって無責任なのかが、具体的事例を通して明らかにされています。必読。

https://api.twitter.com/#!/kenichioshima/status/146707525402767360

というツイッターを流してくださった。帯も書いていただいた。感謝感激!!
マイケル・ジャクソンの思想(と私が解釈するもの)著者:安冨歩

http://www.amazon.co.jp/%E7%94%9F%E3%81%8D%E3%82%8B%E6%8A%80%E6%B3%95-%E5%AE%89%E5%86%A8-%E6%AD%A9/dp/4862280552/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1323600434&sr=8-2

『生きる技法』がアマゾンなどで予約が始まった。

目次は、

はじめに
1 自立について
2 友だちについて
3 愛について
4 貨幣について
5 自由について
6 夢の実現について
7 自己嫌悪について
8 成長について
おわりに

というものである。

【命題1-1】自立とは多くの人に依存することである。

という命題から出発して、生きるために必要な様々の技法を解説する。「さまざまな呪縛から脱出した東大教授、命がけの体験的人生論。」という内容紹介がついているが、私自身、何か呪縛から本当に脱出して「悟り」をひらいて賢者になったのか、というとまったくそうではなく、いまも愚かなままである。愚かなままであるが、愚かなままで生きることができることに気付いた、というのが大切なことかもしれない。

少なくとも、現時点における私の思想の核心部分を、わかりやすい言葉で説明している、とは言えるだろう。帯に出ているのは、

【命題1-5】★助けてください、と言えたとき、あなたは自立している

である。これは、この本を最初に企画した某新聞社の編集者が、友人と飲みながらこの本について話していて、「帯はコレで決まりだよね!」ということになった、ということだったので、青灯社にお願いして、採用していただいた。

最後に、私から皆さんへの、熱いメッセージをお送りしたい。




買ってください!
津波で住宅を流されたり、地震で破壊されたりして、家族を亡くされたのに、そのまま住宅ローンを必死で毎月払っておられる方がおられる、という話を聞いた。既に、「【重要】住宅ローンがあっても、避難しても良い件」で説明したように、そんなにまでして払う必要などない。

もちろん、銀行にすればそうやって命を削って払ってくださる方は、ありがたいであろうし、銀行に聞いたって、「大変申し訳ないけれど、契約は契約ですから。。。」というだろう。銀行員の方から、

「実はね、お客さん。住宅ローンなんて、払わなくても、なんとかなりますよ!」

とは、口が裂けても言えない。

しかし実際問題として、津波で住宅が流されたり、地震で家を壊されて、家族を喪った人に、

「契約だからキチンと払え。払わないと怖いお兄さんが来るぞ!」

と迫れるかというと、高利貸ではないのだから、そうはいかない。

なので、試しに滞納してみたらいいのである。そうすると、催促に来るが、

「被災して、それどころではありません。」

といえば相手は困るだろう。それでほうっておくとどうなるかというと、

競売に掛けるぞ

と言ってくる。それでも放っておけば良い。そうすると、銀行は困る。銀行が本当に競売の申立をしてきたら、競売させれば良い。

津波にやられて土台だけになったり、地震で崩れた住宅を競売したって、いくらにもなりはしない。

だから、銀行も競売に掛けたりしないのではないだろうか。もし掛けたとしても、ローンが3千万円で、競売して100万円くらいで売れたって、残りの2900万円はどうにもならない。

そういうわけで、結局のところ、残高は銀行とのローンの組み直しになる。そのときには、毎月5千円の100年ローンとかにしてもらえば良い。それを月々払ってもいいし、払わなかったら、また催促が来るが、放っておいたら、今度は担保がないので、どうしようもないのである。

それに、土台だけになった住宅の競売に、親戚や友達に情報を流して参加してもらってもいいのではないかと思う。その友人から安く買い戻したりすると、詐欺になったりするのかもしれないけれど、「大草原の小さな家」でそういう話をやっていた。

意地悪のおばさんが、お金を貸した人が返済できなくなったので、その人の家具を取り上げて、競売に掛けたのである。しかし、おばさんの旦那は善人なので、そういうことをしたくなかった。そこで、競売の案内を誰にも出さず、友人だけに知らせたのである。競売の場に集まったのは、おばさんの予想に反して、マイケル・ランドン以下、貧乏人ばかりで、競売が始まると、高価な家具を、

「1セント」
「2セント」
「3セント」。。。。落札

というように超ウルトラ安値で落札して行って、すべての家具を何セントかで落としてしまったのである。おばさんは、その何セントかだけもらって、ブリブリ怒って帰っていった。そしたら友人たちは、

「大変だったな」

といって、家具を全部、その人に、プレゼントしたのである。

「大草原の小さな家」のような<健全な>ドラマで、「心温まる話」としてやっていたのだから、こういう場合は詐欺にはならないのである。

黙って払っている限り、誰も助けに来てくれない

ことだけは、肝に命じておくべきであろう。
青灯社の近刊案内に、拙著『生きる技法』の宣伝が出ていたので、リンクしておく。

http://www.seitosha-p.com/kinkan/

この本はもともと、某新聞社から出るはずの本であった。ある編集者が私になにか書いて欲しい、と頼みに来てくれて、その人と話しているうちに盛り上がってきてあっという間に8割ほど書いてしまった。ところが、一度は編集会議に掛かっていたはずなのだが、内容が当初の予定と変わってきたからというので、もう一度会議にかかったところ、営業が

「著者の専門と、書いている内容とが合致しないので、どの棚に入れたらいいかわからないから、営業がやりにくい」

というようなことを言って、潰されてしまったのである。

こういうことはほかにもあって、ビジネス本をたくさん出しているある出版社から、私の話をライターさんに書いてもらって出すという話があり、会議も通ってライターさんと編集者に膨大な時間を掛けて何度も話をしたのだが、どういうわけか本がまとまらなかった。なぜまとまらなかったのかというと、編集者が考えていたカテゴリーに私の話がはいらないのに、無理に入れようとして失敗したのである。1年以上たって、無理だということがわかって、方針を変更して再開することになったのだが、「話が変わったので、念の為に会議に掛けます。」というから、「それをやったら絶対に出ないから、本を作ってしまってから、『実はこういうことになりました』と言わないとダメだ。そのくらいのガッツがないと、仕事なんてできないぞ」と言ったのだが、編集者が弱気になって会議に掛けてしまった。すると案の定、「それでは営業ができない」という理由で、潰されてしまって、私は時間を大幅に損してしまった。

なぜこんなことが繰り返されるのかというと、それは、「カテゴリー」とか「セグメント」とかいう発想が蔓延しているからである。人間でも作品でも、何らかの名前のついた入れ物に分類しないことには、気が済まないのである。本の場合も、著者の分類と、作品の分類があって、それに応じて本屋の棚が作られている。それゆえ、著者の分類と作品の分類が一致しないと、本棚に入れてもらえない。あるいは、どの棚に入れたらいいかわからない本は、どんなに売れそうでも、入れるところがなくて、そもそも書店に並ばないのである。

私の書く本はどれも、そういうカテゴリー化・セグメント化というものは、本質的にハラスメントなので、やってはならないことであり、そんなことをしているから「創発」が起きず、価値が生み出されないのだ、と主張している。こんなことをしているので、本がサッパリ売れなくなるのだ。これは書籍に限らない。日本社会の全ての学校・全ての機構・全ての組織・全ての事業が、カテゴリー化・セグメント化の罠にかかっており、それが社会を停滞させ、窒息死そうな息苦しさを生み出しているのである。そういうことを主張している書籍は、必然的に、カテゴリー化・セグメント化になじまず、本棚に並ばないので、ちっとも売れないわけである。

それで今般、青灯社さんが、この売れないはずの本を出す、という冒険に踏み切ってくださって、宙に浮いた原稿が陽の目を見た。ありがたい限りである。

それにつけても、こういった枠を遥かに飛び越えてしまったマイケル・ジャクソンは、本当に偉大だと思う。

これは日本にとって、非常に重大なニュースである。

現在、世界の成長拠点は

(1)中国
(2)中南米
(3)インド

である。日本がここ二十年ほど、ガタガタになりながらなんとか成長を続けてきたのは、中国のとなりにいたからである。本当はもっと繁栄できたはずであるのに、余計なアメリカへのゴマすりや小泉政権の靖国参拝などを続けたために、わずかの果実しか得られなかった。そうこうしているうちに、中国の超高度成長も終焉を迎えつつある。その上、中国は莫大な留学生を欧米に送って十分に人材を養成したので、今後は日本に依存する必要などほとんどない。日本が濡れ手に粟の利益を中国の成長から獲得するチャンスは去ったというべきであろう。今後はより洗練された主体的戦略を必要とするのだが、原発事故で痛い目にあいながら、原発などという時代遅れの技術に活路を見出そうとしているような今の日本の政治家・財界人に、それを期待するのは無理というものである。

そういうわけで成長拠点は中国から中南米に移行しつつある。今度はアメリカの裏庭である。しかも前に書いたように、アメリカの選挙民のラテン系比率が急激に上昇している。そういう条件から考えて、アメリカは中南米に擦り寄る以外に進む道はない。

しかし大嫌いなベネズエラのチャベス大統領が主導する「中南米共同体」に、膝を屈して入れてもらうのは悔しくてたまらない。アメリカがTPPなどという茶番を開始したのは、「中南米共同体」へのバーゲニング為だったのだと考えればよくわかる。TPPをチラつかせて、「私を排斥するなら、アジア太平洋の方に行っちゃうよ」と言って、体裁良く「ぜひアメリカさんもお入りください」と言ってもらおう、というのであろう。つまりTPPはアテ馬なのである。

ということは、日本が採るべき戦略は明らかである。中南米共同体に接近するのである。あちらには幸いにも多数の日系人がいるのだから、そのコネクションをフル稼働させて、中南米共同体を支援すれば良い。日本のイメージは一般に悪くないので、彼らは歓迎するだろう。そうするとそれは、アメリカに対する強力なバーゲニングパワーを日本に与える。その上、中国も大いに気になるだろう。

そのあとはインドであるが、インドは中国との対立関係が深刻なので、日本に期待している。ここに新しい成長理念を持ち込んで、日本の役割を発揮することが、生き延びる道である。

こういった道は、原発にこだわっている限り、不可能である。


=========

「中南米共同体」が誕生=域内33カ国、米国離れ象徴
2011年12月3日8時6分

 【サンパウロ時事】メキシコ以南のすべての中南米諸国33カ国は2日、ベネズエラのカラカスで首脳会合を開き、33カ国でつくる「中南米カリブ海諸国共同体」(CELAC)を正式に発足させた。長らく「米国の裏庭」とやゆされた中南米で、米国を除く新たな地域機構が設立されたことで、米国の域内での求心力は一層低下しそうだ。

 米州には米国やカナダ、中南米の計35カ国が加盟する米州機構(OAS)があるが、米国の影響力が強大で、「中南米支配」の象徴とみられていた。中南米各国では反米左派政権が台頭し、経済発展などで自信を深める中、対米依存からの脱却を目指す新しい枠組みを求める声が強まっていた。 

[時事通信社]
$マイケル・ジャクソンの思想(と私が解釈するもの)著者:安冨歩

安冨歩・本多雅人『今を生きる親鸞』樹心社

あるいは、e-hon はこちら

本の校正が三冊同時に集まるという地獄のような事態を最初に抜けだしたのが、この本である。これは、5月13日に、京都の東本願寺で行われた講演会での対談をもとにしたものである。このシンポジウムのタイトルが「今を生きる親鸞」だったので、それに倣って本のタイトルとさせていただいた。お読み頂けばわかると思うが、マイケル・ジャクソンの思想とも深く関係している。

http://www.higashihonganji.or.jp/info/photo/detail.php?id=195

このシンポジウムの「御遠忌」というのは、親鸞聖人が亡くなってから、五十年に一度行われている巨大な法事のようなもので、今年はなんと750年目である。その記念のシンポジウムに呼んでいただいたのであるから、対談させていただいた本多雅人さんと本を出すことにした。

さて、本多雅人さんは蓮光寺というお寺の住職さんである。蓮光寺の住所は、

東京都葛飾区亀有1-25-31

である。亀有公園から徒歩十二分で、聞くところによると、漫画にも似たような様子の寺が似たような名前で出ているらしい。本多住職は寺のHPに、

「「亀有」というだけに、蓮光寺池には大きな亀が生息しています。亀を目撃した人には、良いことがあったり悪いことがあったり何もなかったりします。」

と絶対に正しいことを書いているように、間違ったことは一切言わない人である。

この本の主たるテーマは原発事故である。この恐るべき事態を本多さんは「人智の闇のあらわれ」と受け止めて、問を自らに向けることの大切さを指摘している。ここで二人で論じたのは、どうやってそれを受け止めたらいいのかを、親鸞の思想を手掛かりに考えよう、ということである。

私は本多さんから多くを学ぶことが出来たので、この本を書かせていただいて本当にありがたかったと思っている。私は「親鸞ルネサンス」というプロジェクトを推進しており、この本はそのスタートを宣言するものでもある。本多さんの書いてくださったすばらしい文章のさわりの部分を以下に引用しておく。ここで本多さんが論じているのは、親鸞の『歎異抄』のなかの、

「さるべき業縁の催せばいかなる振舞もすべし」

という言葉を念頭に置いた話である。

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<「愚」に帰る>

真宗大谷派(京都・東本願寺)から発行されている『同朋新聞』に「人間といういのちの相(すがた)」という特集が毎回掲載されています。・・・登場された方は、それこそ様々ですが、ここではベトナム戦争の帰還兵であったアレン・ネルソンさんについてお話ししたいと思います。なぜなら、大震災、原発事故を通して、ネルソンさんの生きざまをもう一度尋ね、学び直したいと思ったからです。

ネルソンさんは、ベトナム戦争から帰国後、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しみました。いわゆる戦争後遺症で、戦争をありありと思い出すフラッシュバックや苦痛を伴う悪夢といった形で、戦争の再体験をして苦しんだのです。

戦場で目の当たりにした殺戮やあらゆる暴力、そして自らも多くの人々を殺したことが片時も頭から消えず、その惨劇が悪夢となって毎晩のようにネルソンさんを襲いました。

ちょっとした匂いや音でもすぐ戦闘状態に戻ってしまい、帰国後わずか一週間で家族から追い出され、ホームレスの生活を余儀なくされたのです。まさしく「生きる場」を失った苦しみです。

ネルソンさんは、その耐えがたい苦しみから、自殺を試みたのです。彼と同じように苦しむ帰還兵で自ら命を絶った仲間は数万人にのぼると言われています。

 その、ネルソンさんが立ち直ろうとしたきっかけは、ある一人の少女との出遇いでした。ホームレスを続ける彼が、学生時代の友人である教師に頼まれて、小学校でベトナムの体験を話すことになり、四年生の教室に立ちました。しかし、いざ子どもたちの前に立つと、ジャングルで自分がしてきたこと、見てきたことをありのままに語ることはできなかったので、戦争一般の恐ろしさを話してその場をやり過ごしたのでした。

そんなネルソンさんに一番前にいた女の子が質問したのです。「ネルソンさんあなたは人を殺しましたか」と。ネルソンさんは、そのことこそ、どうしても忘れてしまいたい、思い出したくない、消し去りたいと思っていたことなので、答えることができず、目をつぶって下を向いてしまったのです。様々なことが頭をよぎりながら、最後に目をつぶったまま小さな声で、しかしはっきりと「イエス」と答えたのでした。

すると、苦しそうな彼の姿を見て、質問した女の子は彼のところまできて彼を抱きしめました。彼が驚いて目を開けると彼のおなかのあたりで目に涙をいっぱいためた少女の顔がありました。「かわいそうなネルソンさん」。そういってまた抱きしめたのです。

その一言を聞いたとたん、彼は頭が真っ白になり、大粒の涙が彼の目からあふれ出たのです。教室中の子どもたちが皆かけよって彼を抱きしめました。子どもたちも先生も皆泣いていました。

「この時私の中で何かが溶けた」とネルソンさんは述懐しています。それまでネルソンさんは涙すらも戦争に奪われていたのです。自分の境遇を恨み、自分の選択を悔み、自分自身にも世の中にも愛想が尽きて、自ら命を絶とうともしたのです。そんなことになった自分をどうしても受け入れることができなかったのです。しかし、少女の涙が、その一言が、彼の心を溶かしたのです。そのことによって、ネルソンさんは立ち直る決心をしたのでした。

「かわいそうなネルソンさん」という言葉が、同情や上から目線で発せられたならば、ネルソンさんはけっして立ち直ることはできなかったでしょう。この言葉ひとつに込められたこととは何だったのでしょうか。
少女は、ネルソンさんの姿を自分のことといただいたのです。業縁を生きる存在であるならば、縁によっては自分もそうなるであろうと。

ここに業縁に貫かれた「われら」の世界が開けていたのではないでしょうか。ネルソンさんの置かれている状況の悲しみを包んで、人間存在そのものの悲しみまで語っている言葉だったのです。この言葉によって、ネルソンさんは自分をまるごと受け止める世界にふれたのです。

ただまるごと受け止められたのではなく、自分の境遇を恨み、自分の選択を悔み、自分自身にも世の中にも愛想が尽きて、自ら命を絶とうともした、その自分の愚かさを自覚して、新たに生きる意欲を持ったのです。

ここに否定即肯定が成り立っていました。自我分別(自力)が否定されると同時に、その自分がまるごと受け入れられている。そこに自覚を伴った真の救いを見ることができます。現状は変わらなくても生きていくことができる、これこそ救いです。

「かわいそうなネルソンさん」とは、ネルソンさんを無条件にまるごとつつむ言葉であり、同じ人間として生まれてきた悲しみの共感をもった言葉でもあり、同じ愚かな凡夫と言う地平に立った言葉だったのです。ネルソンさんは言い当てられた言葉に出遇ったのです。その言葉によって、自分の自我分別(人知)を破って、その意識構造よりもっと深いところで生きている願いに目覚めていったのです。

この言葉こそ、本願の言葉であり、南無阿弥陀仏そのものだったのではないでしょうか。まさしく本願力回向です。

========追記:「さわり」の意味=========

さわり〔さはり〕【触り】
1 さわること。また、触れた感じ。感触。多く他の語と複合して「ざわり」の発音で用いられる。「手―」「舌―」「肌―」

2 人に接したときの感じ。人あたり。

「女のたちが、少し私には―が冷たいからだろうか」〈三重吉・桑の実〉

3 《他の節(ふし)にさわっている意》義太夫節で、義太夫節以外の他流の曲節を取り入れた部分。

4 義太夫節の一曲の中で、一番の聞きどころとされる箇所。

5 4から転じて、広く芸能で、中心となる見どころ・聞きどころ。また、話や文章などで最も感動的、印象的な部分。「小説の―を読んで聞かせる」

6 三味線の音響装置。また、それによって出る音。上駒(かみごま)から約1センチ下までの棹(さお)の表面を浅く削り、一の糸を上駒から外して軽く触れるようにする。複雑なうなり音を生じる。

◆5は、「最初の部分」と誤用されることが多い。文化庁が発表した平成19年度「国語に関する世論調査」では、「話のさわりだけ聞かせる」を、本来の意味である「話などの要点のこと」で使う人が35.1パーセント、間違った意味「話などの最初の部分のこと」で使う人が55.0パーセントという逆転した結果が出ている。

[ 大辞泉 提供: JapanKnowledge ]
ながらくブログをほとんど更新せずに放置して、楽しみにしてくださっている方々には、誠に申し訳ない。なぜ書けなかったのかというと、あまりにも忙しかったからである。どうしてそんなに忙しかったのかというと、本を三冊を書いていて、更に論文集を一冊編集していたからである。すべての仕事は、重ならないように、時間的に正しく配分してあったのだが、豈図らんや、どんどんズレていって、全て一挙に押し寄せてきてしまった。

書いていた本というのは、

安冨歩・本多雅人『今を生きる親鸞』樹心社

安冨歩『生きる技法』青灯社

安冨歩『自己増殖する「東大話法」~原発危機をめぐる言葉の空転~』明石書店

である。発刊に漕ぎ着けたら、順にご紹介していきたい。三冊とも、読みやすいはずである。特に、このブログをお読み頂いている方なら、楽しんでいただけると信じる。

それでブログ閲覧のお礼というのは、ほとんど

ブータン国王の国会演説 11月18日 17:21全員に公開
福島原発:吉田昌郎所長のインタビュー 11月12日 23:32全員に公開
福島原発:文部科学省によるセシウム量の調査 11月12日 00:15全員に公開

と三回しか更新しなかったというのに、アクセス数が、

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もあったからである。一日あたりにすると、740クリックである。私がサボっている間に、過去の記事をお読み頂いているのかと思う。ありがたい限りである。来年になると余裕が出るので、再開したい。来年こそ、マイケル本を出版したいと思う。