産経新聞に

「原子力研究の後退で二級国家に」

というタイトルで記事が出ていたので、「また馬鹿な事を。。。」と思ったら、ちゃんとした話だった。

つまり、

「原子力は、核兵器に対する牽制であって、発電はおまけ」

ということである。これが原子力の本当の意味だと、佐瀬教授が明確に指摘しているのである。

これは、小出裕章さんや槌田敦さんをはじめとする方々が、口を酸っぱくして言ってきたことである。しかし、私が彼らを受け売りしてそういうことを言うと、「またそんな大げさな」と鼻で笑われ、あるいは「このアカめが!」と言われてレッテル貼りをされるのがオチであったと思う。

しかし、産経新聞「正論」の執筆者で、防衛大学校名誉教授が言うのだから「このアカめが!」とは言えまい。それに書いてあることも、大げさな話ではない。実際、岸信介や佐藤栄作といった、原子力を導入した首相は、明確にそのように発言していたのだから、そもそも間違いなく、そうなのである。今後は大手を振って、産経新聞を引用して言うことが出来るのだから、ありがたい。

原子力発電というのは、準核武装の目的で始まった事業であるが、そういう目的を大っぴらに言うわけにはいかないので、違う目的を持ち出したわけであるが、やっていることは同じである。同じどころか、「もんじゅ」などで出てくるプルトニウムは、完全に原爆級の品質のものであるから、着々と進んでいることになる。ということは、今も間違いなく、本当の目的は「準核武装」に他ならない。佐瀬昌盛防衛大学校名誉教授の下記のコラムは、その点を明確に言語化している。こういう風にハッキリ言ってくれれば、話は早いのである。

では準核武装をする目的は何であろうか。それは核武装国に対抗することである。なんのために対抗するのかというと、核兵器を使わせないためであろう。なぜ核兵器を使ってほしくないのかというと、国土を放射能で汚染され、国民の生命が脅かされるのが嫌だからである。

ところがどうだ。地震が起きたら原発が次々爆発して、国土を汚染し、国民の生命を脅かしてしまった。それも原爆どころではないすさまじい量の放射性核種によって。まったく、ザマはないのである。



それから、上の作品を見れば一目瞭然であるが、アメリカ、ソ連、中国、インド、パキスタンといった核保有国は、自分の国土に原爆を落としまくっているのである。悪影響がないようにやったつもりだったのだが、そうではなくて、すっかり自国を汚染してしまっている。下の映像のように、原爆投下地点に突撃する訓練というような意味のないことのために、多くの兵士を被曝させた。

結局のところ、国土や人民を被曝させない最善の方法は、そんなものから手を引くことである。核兵器を持っていないと、核兵器から身を守れない、あるいは、核兵器や原子力技術を持っていたら、核兵器から身を守れる、というのは幻想である。核兵器などそもそも戦争のための武器として成り立たないのである。

リデル=ハートという20世紀最高の軍事戦略家は、『戦略論』の序文で、核兵器によって起きることは、核戦争ではなく、核混沌(nuclear chaos)だ、と批判した。そして、核兵器で武装した国に正面切って戦争を仕掛ける馬鹿はいないから、今後の戦争は、ゲリラとテロといった、隠蔽された戦争が主となるだろう、と予言した。半世紀以上前の話である。

準核武装していなければ、二級国家になる、などというのは、愚かな幻想である。そもそも、一級国家とか、二級国家という発想が貧困である。大事なことをハッキリ言ってくれて佐瀬教授には感謝するが、ハッキリ言って、この人物の国際政治学や戦略論は、信頼するに値しない。





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防衛大学校名誉教授・佐瀬昌盛 原子力研究の後退で二級国家に
2011.7.14 02:57 産経新聞

 世間中が原発問題で口角泡を飛ばしている。「安全神話」崩壊の今、不思議ではない。「反原発」、「脱原発」、原発と非原発電源の「ベストミックス」、原発技術改良による「路線変更不用」論。その陰で注目を要する現象が出てきた。世間中が「核」の議論を忘れてしまったかに見える。

 「災前」は違った。原発論議は一部にあったが、世間はさほど興味を示さなかった。他面、極東の「核安保」環境を反映して、日本国内の核論議は次第に活発化しつつあった。なぜ、その核論議が止んでしまったのか。

 ◆震災で「核」環境忘れた日本

 大震災、巨大津波、原発事故が極東の「核」環境を変えてしまったからか。否である。3・11は、日本を取り巻く核保有4カ国-米露中および北朝鮮-のここ10年ほどの核政策に変化の兆しすら与えていない。である以上、「災後」日本に核論議が鳴り止んだのは、3・11ショックで日本人自身が極東の「核」環境に対する凝視を止め、問題を忘却し始めたからだ、と解釈される。言うまでもなく、この忘却は日本限りでのものだ。

 大災害に見舞われた日本に多くの国が救援、支援の手を差し伸べてくれた。同盟国・米国の支援は文字通り「格別」だったし、北朝鮮を別にして露中の支援も大きかった。いずれにも感謝しよう。同時に、忘れてはならない事柄がある。被災国、日本への同情や支援と、極東の核保有4カ国の「核」を含む軍事的駆け引きとは別物だという、自明の事実である。

 ◆脱原発は近隣には「鴨の味」

 現代の国際政治はむき出しの弱肉強食の場ではない。が残念ながら、「他家の不幸は鴨の味」の諺を否定しきれるほど穏和でもない。日本が仮に脱原発を目指し、自国の「核」環境も忘却するならば、それは「ご自由に」としつつ、腹の中でほくそ笑む国が日本周辺にあって何の不思議もない。現に3・11後、対日支援の傍ら、周辺海空域で「災前」同様の軍事行動を見せている国が1つならずある。「鴨の味」が漂うからだ。

 3・11後、国際社会にも注目すべき現象が認められる。先進世界の一角に脱原発の道を決めた国々が出てきた。ドイツ、スイス、イタリアがそれで、欧州にはなお追随国が現れるだろう。他方、NPT(核拡散防止条約)に言う5核兵器国(米露英仏中)と、NPTの外で核保有に至ったインド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮、さらに核保有途上のイランとは、核保有を続け、追い求める。原発については、北朝鮮は未保有、イスラエルは3・11直前の原発建設計画を以後に急遽(きゅうきょ)、中止したが、核保有国が原発保有を断念するとは、概して考えられない。すると、世界に微妙な2極現象が兆す可能性がほの見える。

 45年ほど昔、日本は今日の欧州の脱原発選択組と「同じボート」に乗っていた。潜在的な「核保有志向国ボート」だ。スウェーデンも含めてこれら先進諸国は科学技術水準、経済力などの点で核開発能力ありとみられ、当時の安全保障環境下で公然たる核武装論さえ展開していた。冷戦下で対立しながらも核拡散は嫌った米英とソ連が主導し、仏中2カ国も同調して、NPTは1970年春に発効した。が、前記「ボート」同船組は条約参加条件として、「奪い得ない」原子力平和利用権と、「核」環境が「自国の至高の利益を危うくしている」と判断する場合の条約離脱権を5核兵器国に認めさせ、核兵器国に「誠実」な核軍縮交渉を約束させた。

 ◆原発だけでなく核をも論じよ

 20年前に冷戦が終わった欧州ではドイツ以下、前記諸国の核保有志向は消えている。3・11後、これら諸国は脱原発を選択、原子力平和利用の大宗たる分野からも撤退する。軍事、平和利用の両面での「脱原子力」だ。ただし、昨秋のNATO(北大西洋条約機構)首脳会議が「核兵器が存在する限りNATOは核同盟であり続ける」と宣言、脱原発選択国がいずれも原発大国フランスからの電力輸入を自明視していることが物語るように、原発「下車」組は「核も原発も堅持」の同盟国への依存は止めない。電力、安全保障の両面で依存・被依存関係は今後、深まる可能性さえある。

 日本は欧州の脱原発選択国の後を追うべきか。極東の「核」環境は欧州とは余りにも違うのに、核問題を忘却して「鴨の味」を四囲の国々に提供し続けるべきか。両問は辿(たど)ると同根で、NPTに行き着く。非核兵器国は原子力平和利用権を軍事利用権断念の下に確保したが、後者の断念は条約離脱権で分かる通り絶対的、最終的ではなかった。そう想起すべきだ。

 原子力の軍事利用と平和利用は根っこで繋がっており、いずれを断念しても結局、それはその国の原子力研究の後退、衰退を、つまり二級国家への転落をもたらす。日本は、NPTで確保した平和利用権と、背に腹代えられぬ場合のNPT離脱権とを堅持し、かつ内外に向けてその旨を表明してしかるべきである。「他家の不幸は鴨の味」心理を抑止するために。(させ まさもり)
ツイッターで知ったのだが、資源エネルギー庁が以下のような事業を競争入札に掛けている。

これはまさしく言論統制である。こんなものに税金を使うとは、言語道断である。

「速やかに正確な情報を提供し、又は正確な情報へ導く」

というのが恐ろしく気持ちが悪い。信じられない。

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1.件名
平成23年度原子力安全規制情報広聴・広報事業(不正確情報対応)

2.事業目的
ツイッター、ブログなどインターネット上に掲載される原子力等に関する不正確な情報又は不適切な情報を常時モニタリングし、それに対して速やかに正確な情報を提供し、又は正確な情報へ導くことで、原子力発電所の事故等に対する風評被害を防止する。

3.事業内容

① ツイッター、ブログなどインターネット上の原子力や放射線等に関する情報を常時モニタリングし、風評被害を招くおそれのある正確ではない情報又は不適切な情報を調査・分析すること。モニタリングの対象とする情報媒体及びモニタリングの方法については、具体的な提案をすること。

② 上記①のモニタリングの結果、風評被害を招くおそれのある正確ではない情報又は不適切な情報及び当庁から指示する情報に対して、速やかに正確な情報を伝えるためにQ&A集作成し、資源エネルギー庁ホームページやツイッター等に掲載し、当庁に報告する。

③ Q&A集の作成に際して、必要に応じて、原子力関係の専門家や技術者等の専門的知見を有する者(有識者)からアドバイス等を受けること。また、原子力関係の専門家や有識者からアドバイス等を受ける場合には、それらの者について具体的な提案をすること。

④ 事業開始から1ヶ月程度で30問以上、事業終了時までには100問以上のQ&A集を作成すること。

【提案事項】
① モニタリングの対象とする情報媒体(ツイッターは必須)
② モニタリングの具体的な方法と体制
③ Q&A集を作成後、速やかに周知するための具体的な方法
④ 想定される専門家や有識者
⑤ これらを活用した新規提案

【留意事項】
・受託者は、不正確な情報又は不適切と思われる情報媒体や抽出するキーワードについては、資源エネルギー庁担当者と十分に調整すること。
・Q&A集の作成にあたっては、十分な調査・分析を行い、その結果を反映すること。また、Q&A集の最終的な問数については、実態に合わせて資源エネルギー庁担当官と調整すること。
・原則として、正確な情報提供は即座に行うとともに、その結果については、翌営業日以内に資源エネルギー庁担当者に報告すること。
・常時モニタリングするために十分な人員を確保すること。
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 実は、まわりの人たちからも同様の話――つまり、あの事故以来、いつもの自分ではいられなくなったということ――をいくつも聞きました。 
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これは何を意味するのであろうか。私の考えはこうだ。彼女を含め、香山氏のまわりの人たちは、「大人の世界」に住んでいる。この世界では、本質的な問を避け、それを隠蔽することで、妥協しうる範囲を見付け出し、なんとか凌いでいくことが、生きる常道とされる。ところが原発事故とその後の恐るべき事態は、その大人の世界が大きな亀裂の上にあり、いつ崩壊してもおかしくない状態であることを露呈したのである。

ところがこの発見を香山氏は次のように回避する。

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 このあたりはうまく説明する言葉をまだ見つけられずにいるのですが、どうもそれは、現実としての原発事故や脱原発とはまた位相の違う世界で起きている“心の問題”のようにも思われました。
 これは、いったい何なのか。原発問題の恐怖や不安といった現実の問題を超えて存在する、「原発問題がもたらす心の変化」とは何なのか。
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ここが決定的である。大人の世界が生み出すハラスメントに満身創痍になって精神安定剤依存で生きる、という状態が「現実の世界」であり、物理的にもコミュニケーション的にも危険性を隠蔽して膨大な電気を起こす原発は、その世界の「王」である。その「王」が爆発して吹き飛んでしまったのを見ることで、この世界の真実を覆っていた隠蔽そのものがが吹き飛んでしまった。

そこに露呈したのは、小出さんら、真実の探求者が住まう「事実の世界」である。香山氏の言葉で言えば、「ファンタジーの世界」であり、あるいは「子供の世界」と言ってもいいだろう。この世界に直面した香山氏は、非常なとまどいを覚えたのである。そして、直ちに、露呈した事実を自分自身の目から背けるための、防衛機構が作動を開始した。そのために香山氏は、この「事実の世界」によって動かされた自分の心は、大人たちにとっての「現実の世界」とは位相の違う「心の問題」に過ぎないのだ、というすり替えに逃避したのである。

「原発問題を含む領域の広さにひとつの小宇宙を感じ」て、「当初の使命感を超えて関心を示している自分の心理は何なのか」という極めて正当な問から出発した香山氏は、その直後に、

「原発問題がもたらす心の変化」とは何なのか

という偽問題を生み出して、当初の問題意識から逃げ出してしまったのである。逃げ出した上で香山氏は次のように言う。

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 私はその問題についても、考えてみようと思いました。それは、自分が脱原発を訴えたりアクションを起こしたりする際にも、自分のこころに潜む問題について認識しておく必要があると思ったからです。現実の問題としての原発問題を把握する上で、「原発問題がもたらした心の変化」を意識していないと、誤った判断を招きかねないと思いました。
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これはつまり、この「真実の世界」についての探求を心のおもむくままにしてしまうと、香山氏自身が自らの外殻として構成した虚構の人格が崩壊し、自分の真の姿が露呈してしまうことを恐れているのである。それが「誤った判断を招きかねない」という意味のない危惧の本当の意味である。

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 とはいえ、まだ問題の本質が自分の中でも十分に分析できておらず、冒頭にお伝えしたように、言葉足らずになってしまったことは否めません。
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香山氏はこのように言うが、これは「言葉足らず」という問題ではない。言葉が真実から滑り出てしまい、虚偽の奈落へと落ちていってしまったのである。

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 とりわけ、原発事故は私たちの命や未来にかかわる問題をはらんでいます。そのようなテーマにおいて、誤解を招きかねない発言をしたことは、本当に申しわけなく思っています。
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これは、仮定の条件が付いていない謝罪であるが、「誤解を招きかねない発言をしたこと」で謝罪する必要などないように私は感じる。

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 今後も、この連載内で「私たちの心にとっての原発とは」というテーマで「ビジネスパーソン」「政治家」「推進派学者」「若い女性」など設定を変えながら定期的に続けていくつもりです。私なりにさらに深く考察し、誤解のないような表現で執筆していこうと思います。

 そのときは、読者のみなさまにも納得していただけるよう、またこの認識が脱原発アクションにつながるものになるよう、心して書かせていただきます。
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これも、「立場」⇒「議論の内容」という順番でモノを考えている。つまり彼女は、「脱原発アクションに繋がる議論をしたつもりだったのに、逆効果になった」ことを謝っているのである。しかしそれは何か変ではないだろうか。発言がどういう効果を持つかは、そもそもわからないものなのであるから、人間の成しうる誠意とは、自分自身の感覚とズレた言葉を使わない、ということに限定されるのであって、それがどういう結果になったかは、責任のとりようがない。

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 よろしければ今後ともお読みいただければ幸いです。皆さまのさまざまなご意見にも、できるかぎりおこたえさせていただきたいと考えております。

 どうぞよろしくお願いいたします。
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もしも香山氏が、私のこの議論にも応えていただければ、ありがたいと思う。

尚、この一連のコラムが、香山氏のお仕事の価値を否定する内容に受け取られるものだったとしたら、香山氏ならびに読者のみなさまには本当に申し訳なく、心からおわびいたします。

これで香山氏は必ずお許しくださるに違いない。

(つづく)
さて、謝らないでいて、謝ったフリをしたあとに香山氏は、「とても個人的」という興味ふかい話に移る。この部分が、このブログのハイライトである。


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 とても個人的な話になるので、うまく補足になるか、さらに批判を招くものか、自信がないのですが、よろしければお読みください。
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はい。

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 原発事故が発生して以来、放射線医学の専門家でもない私ですが、なんとか精神医学という自分の専門性を生かして、原発の危険性や脱原発の必要性を訴えることができないかと、ずっと考えてきました。
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ここが私にはよくわからないところである。私は、原子力のな~んの専門家でもないが、別にこの問題に対して発言することに躊躇はしなかった。もちろん、私なりに色々調べて考え、それ以上に自分を誤魔化していないかどうかはいつも気を付けているが、それ以外には何も制約はない。

「なんとか精神医学という自分の専門性を生かして、原発の危険性や脱原発の必要性を訴えることができないか」

というスタンスは、

(1)「脱原発」 vs 「原発推進」 というようにまず「立場」を設定する。
(2)各々の立場の人の意見を色々聞いて、どれが一番自分のキャラにピッタリか考える。
(3)「立場」を決めたら、その立場にふさわしい意見の人には賛成し、反対の立場の意見には反対する。

という思考パターンに沿って考えると、その先に、

(4)自分の「専門性」を活かして立場に沿った発言をする。

というものがあっても良さそうである。どうも、こういうふうに物事を考えているようである。

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 しかし、そう考えて原発について情報を集めたり基礎的な知識を学んだりしようとすればするほど、自分の関心が本質からずれて行ってしまうのを感じていました。つまり、原発問題を純粋に考えていたところ、この原発問題を含む領域の広さにひとつの小宇宙を感じたひとりは、他ならぬ私だったのです。この当初の使命感を超えて関心を示している自分の心理は何なのか。これが出発点でした。
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この「自分の関心が本質からずれて行く」というところがポイントである。彼女が「本質」と言おうとしているのは、上の(4)である。つまり、自分の専門に立脚し、立場に応じた発言をするのが、本質なのである。

ところが原発について勉強すると、この(4)から関心がずれていくのである。どこにズレていくのかというと、ここを切掛とした、物理学をはじめとする諸学の絡みあう複雑な知識の体系を学ぶ悦びに目覚めてしまう、というこなのだと思う。これを香山氏は、

「原発問題を含む領域の広さにひとつの小宇宙を感じた」

と表現している。美しい表現だと思う。これが学問というもののもつ、神秘であり、歓喜であり、悦楽である。これこそが、人を、真理の探求に導くものなのである。それゆえ、

「この当初の使命感を超えて関心を示している自分の心理は何なのか。これが出発点でした。」

という香山氏の問はすばらしい。そしてその答えは明らかである。

「それは真理を探求する、という人間の崇高な衝動である。」

私はそう答えたい。

ところが話はここから恐るべき展開を見せる。

(つづく)
さて、漸く、準備が整った。
これで本題に入ることが出来る。最初に書いたが、私がショックを受けたのは、このコラムに対してネット上で激しい反発が生じ、それに対して香山氏が書いた

前回のコラムについて
――お詫びと補足


という文書の方なのである。これは、本文以上に衝撃的な記事である。以下で、逐一、分析していきたい。

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 前回のコラムについて多くの方から批判的なご意見をいただき、言いたかったことの真意がうまく伝わっていなかったことに気づきました。私の言葉足らずが招いたことです。
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ここで香山氏は
(1)真意が伝わっていない⇒誤解に基づいて批判された。
(2)それは言葉足らずが原因である⇒私は間違ったことは言っていない。
と主張している。しかし既に見たように、香山氏は間違ったことを言っており、誤解されてはいない。

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 これまでいくつかの雑誌や集会で表明してきたように、私自身は脱原発の立場にあり、小出裕章氏の著作、ご発言をほぼ全面的に信頼し、これまでのご活動にも深い尊敬の念を抱いています。
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これが本当に驚きである。小出さんに対して「深い尊敬の念」を抱きつつ、

小出裕章=「ネオむぎ茶」

という図式を浮かび上がらせるような文章を書くことが出来るというのは、どういう精神構造なのであろうか。

私が気になるのは、「私自身は脱原発の立場」にある、といっている点である。これはよく使われる言い回しではあるのだが、「脱原発」というのは、そもそも立場なのだろうか?

「脱原発」と言っている人には色々な考えの人がいる。私の考えと、小出さんの考えは違うだろうし、香山氏とも全く違っている。それゆえ、「立場=観点」と解釈するなら、それぞれ立場は違うわけである。しかし、

「原発をどうすべきだと考えますか?」

と聞かれれば、「脱原発」と同じ返事をする、ということなのである。どうしてこういう発言を香山氏がするのか、と考えると、以下のような思考パターンが想像される。

(1)「脱原発」 vs 「原発推進」 というようにまず「立場」を設定する。
(2)各々の立場の人の意見を色々聞いて、どれが一番自分のキャラにピッタリか考える。
(3)「立場」を決めたら、その立場にふさわしい意見の人には賛成し、反対の立場の意見には反対する。

こういう思考パターンに沿っている、という仮定のもとに、以下の主張を斟酌してみよう。


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前回のコラムが、小出氏のお仕事の価値を否定する内容に受け取られるものだったとしたら、小出氏ならびに読者のみなさまには本当に申し訳なく思います。心からおわびいたします。
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これも昨今、多用される言い回しなのだが、これで香山氏は「お詫び」のつもりである。しかし、これはお詫びしていないのである。なぜなら、

「もしも・・・だったのだとしたら、申し訳なく思います。(その場合には)こころからおわびします。」

という文章は、

「もしも命題Aが真であるならば、私は謝罪する。」

という意味である。これはつまり、対偶をとると、

「もしも私が謝罪するとすれば、それは命題Aが真である場合、その場合に限られる。」

ということである。それゆえ、このような発言をしたあとに、

「命題Aは真である。」

という言明があってはじめて、謝罪したことになる。しかるに、香山氏の文章には、どこにもこの発言がない。そしてすぐに、

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ここからは謝罪からは少し離れ、私が伝えたかったことを補足させていただきます。
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と言って、「謝罪からは少し離れ」てしまう。それゆえ、香山氏は、誰にも謝らないで、謝ったフリだけして逃げてしまっている。

しかも香山氏の記事が問題であったのは、小出さんに対する侮辱である以上に、ネット上で原発問題について論議していた人々に対する、最上級の侮辱であった、という点にある。この点に対する言及はまったくない。

(つづく)


この一連のビデオは見るのがつらい。見るたびに私は、吐き気がして、体調がおかしくなる。そのくらい、大橋弘忠教授の詭弁はすさまじく、他人を見下して馬鹿にする態度がひどい。このひどい発言のおかげで、東大の名声は大きく傷ついている。

そこで私はこのままでは東京大学の権威が失われてしまうと危惧して、大橋弘忠教授に以下のようなメールした。メールアドレスは別に大学内部の人間だから知っているのではなく、彼の所属する部局の HP に出ている。http://www.q.t.u-tokyo.ac.jp/lab/ohashi.html の右上の「メール」というところである。

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東洋文化研究所の安冨と申します。

今回の福島原発の事故に関してHPを調べていて、:平成17年12月25日に行われた玄海原子力発電所3号機プルサーマル計画に関する「プルサーマル公開討論会」の映像

http://www.saga-genshiryoku.jp/plu/plu-koukai/

を拝見し、大橋さんのご発言を拝聴いたしました。そのなかで、

「今は格納容器破損が起きる確率は極めて小さい。1億年に1回というような評価がされているのに、それが起きると考えたらというような評価がされています。」

というご発言をなさり、対話者に対して非常に失礼な言い方をなさっておられるのを見て、驚愕いたしました。
今回の福島の事故では、格納容器も圧力容器も破損しておりますが、この事態を受けて、
当時のこのご発言をどのように正当化されるのか、お考えをお聞きしたく存じます。
「想定外」という説明はどうぞご勘弁ください。

先日、ある学会に出ていて、東京大学の工学部の名誉教授の先生が、

「東大の原子力関係の体質が改められない限り、問題は解決しない」

と発言しておられました。
会場の聴衆の方々も、マスメディアに登場する東大関係者に対して強い不信の念をいだいておられ、
この発言に大きく賛同しておられました。

大橋さんの発言が、ネットで現在も配信されていることで、
東京大学に対する信頼が大きく傷つけられております。たとえば、

http://onibi.cocolog-nifty.com/alain_leroy_/2011/04/post-0346.html

などのコメントがなされています。
このような事態に対して、説明責任を果たして頂きたく存じます。
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しかし、返事はなかった。そこで、

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先ほど、ツイッターで 「東大 大橋」と入れたら、今も以下のように膨大につぶやかれております。
あなたの発言によって、東京大学のブランドが大きく傷ついています。
なにとぞ、正々堂々と反論するなり、反省するなり、
逃げ隠れしないで意見を言っていただけますよう、お願い申し上げます。

「風評被害」とおっしゃるかもしれませんが、
名声というものは風評でできております。
東京大学が世間から尊敬されているのは、風評のおかげです。

なにとぞこの事態を誠実な行動によって取り返し、
東京大学の名声を守ることに貢献していただきたく、お願い申し上げます。
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というメールを送った。しかしまたまた返事はなかった。そこでもう一度、

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いつまでたっても、あなたの名前をツイッターで検索すると、膨大につぶやかれています。
大学に口止めされていると言って、週刊現代の取材を逃れていましたが、あれも嘘ですよね?

いい加減にそういう態度を改めて、紳士として行動なさるよう、お願いします。
東大の名前がどれほどあなたの愚行によって傷つけられていることか。
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とメールした。そしたらついに、お返事を頂いた。

まず、週刊現代の「大学に口止めされている」問題であるが、私の推測が間違っている、という趣旨のお返事であった。なんと、東京大学大学院工学系研究科では、4月以降、メディア取材は同研究科の広報を通すように、と指示が出ているのであって、嘘なんかついていない、というのである。

これは驚くべき事態である。東大工学部は、教員に、勝手にメディアの取材を受けて、自分の意見を表明してはならぬ、という「箝口令」が公式に出ている、というのであるから。会社なんかではそういうこともあるだろうが、国立大学のような、国民の税金によって研究を行い、その研究成果に関する自分の見解を公に表明することが主たる業務である機関で、このような「箝口令」を出すことは、道徳に反するのではないだろうか。大学当局は調査すべきであると考える。

それからツイッターについてであるが、彼は気にしないで放っている、ということである。ツイッターなどというもは、議論に価するような内容ではない、とお考えだそうである。

しかし私がメールで指摘したように、彼の名誉ばかりではなく、東大の名誉が大きく傷つけられているのである。紳士として、決然とした態度を公にして、謝罪するなり、反論するなりしていただきたいものである。私としては、内容うんぬん以前に、小出さんはじめ討論者のみなさんに、失礼な物言いをしたことを、謝罪していただきたいと思う。
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ネットですべてが完結するという錯覚
現実社会との接点を持つことは避けられない

 私たち精神科医は、逃避する彼らと現実との接点を作ることに腐心してきました。

 しかしいま、それはインターネット社会の発達によって困難になっています。彼らの知識欲や他人と交信したいという欲求は、すべてネット上で満たされるようになってしまったからです。

 彼らはいま、フィクションの世界ではなく現実の世界に起こった原発問題にこころを奪われています。とはいえ、彼らが行動するのはあくまでもネットの世界に限定されてしまいます。熱狂する彼らがネット上で喧々囂々の議論をしても、現実に起こっている原発問題は何も解決しません。むしろ現実世界とネット上の世界に大きな乖離が生じてしまっているように思えてならないのです。

「こういう人たちは、ネットで生活を成り立たせ、ネットで人とコミュニケーションを取ればいいのではないか」

 実際に働きに出なくても、インターネットによるFX取引で父親より稼ぐ人も出てきています。私もそんなネットだけの生活が成り立つのではないかと考えた時期もありました。しかし、ホリエモンの収監の様子をテレビで見て、ネット上のバーチャルな世界が発達しても、限界があることをつくづく感じました。

 ネット世界の象徴でもあるホリエモンも、現実に身体を拘束される刑務所行きという事態は避けられませんでした。時代が変わっても「ネットで服役」ということは起こり得ないのです。

 彼らが原発問題に熱狂して、彼らが何かを変えられるとしても、ネットの中の一つの小さなトレンドに過ぎません。現実に動いている体制には、大きな影響を与えることはできないのです。現実社会との接点こそ、ネット全盛の時代にあっても、ないがしろにできない大切なことではないでしょうか。

 小出氏が世間の注目を浴びるようになったことで、奇しくもネットの社会に引きこもった人たちの存在を再発見することになりました。これらの人の力を、いまの社会はうまく活用できていない現実が浮き彫りになったのです。
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これでこのブログの記事はおわりである。この締めくくりの驚くべき部分を読むと、香山氏がとんでもない妄想の世界に暮らしていることがわかる。

>熱狂する彼らがネット上で喧々囂々の議論をしても、現実に起こっている原発問題は何も解決しません。

というのは、本当に驚異的な考えである。彼女の頭の中は、どうなっているのだろうか。ウィキリークスとか、中国の「網民」の影響力とか、そういうものを聴いたことがないのだろうか。

確かに、他の国々と違って、日本ではネットの世界と他の世界との隔絶が大きかった。それはおそらくは意図的なもので、マスコミがネットを完全に無視していたことが原因である。日本社会のショッカー集団にとってネットは非常に不都合なものなので、あたかもそれが存在しないかのように取り扱って、影響力を削減することに躍起だったのである。

http://www.pressnet.or.jp/data/circulation/circulation01.html

それでも上のリンク先の表のように、新聞の売上は確実に落ちてきていた。それはひとえに、ネットの影響である。

今回の原発事故で事態は一挙に進展したように思う。少なくとも4月の新聞販売部数は大幅に落ち込んでいる。http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1105/19/news032.html これは、単に震災の影響ではないように私は感じている。

私は随分前に新聞を取るのをやめて、テレビも見るのをやめた。あまりにもアホ臭いからだ。ニュースはネットで見るが、原発事故まではなるべくそれも最低限にしていた。今回の原発事故で、非常に多くの人が、マスコミの報道がインチキであることを痛いくらいに感じ取っている。それはインターネットへの依存を一挙に高めているに違いない。

社会におけるコミュニケーションの主たる現場は、アメリカや中国ではネットに完全に移っている。大幅に遅れていた日本も、今回の事件で一挙に移行が進んでいる。ネットはバーチャルな世界ではない。ネットは、人間社会のコミュニケーションのあり方を根本から変える、革命的現象なのである。これは、ピーター・ドラッカーがつとに指摘していたところでもある。

小出裕章さんが、マスコミからほぼ完全に黙殺されながら、その影響力を急速に拡大していった現象は、

「小出氏が世間の注目を浴びるようになったことで、奇しくもネットの社会に引きこもった人たちの存在を再発見することになりました。」

などというものでは全くないのだ。それは、社会のコミュニケーション構造が根本的に変化しつつあることの重大な表現なのである。

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私たち精神科医は、逃避する彼らと現実との接点を作ることに腐心してきました。

 しかしいま、それはインターネット社会の発達によって困難になっています。彼らの知識欲や他人と交信したいという欲求は、すべてネット上で満たされるようになってしまったからです。
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という、これまたトチ狂った認識は、彼女が精神科医業界という閉じたタコツボの中に逃避していることを明らかにしている。

いわゆる大人の世界のなかで横行するハラスメントを全身にうけながら、何事もなかったかのようなフリをして日常を砂を噛むようにして暮らしている人々は、満身創痍であって、日々、精神科医に駆けんこんでいる。そこで精神安定剤や入眠剤を貰って辛うじて生きているのである。それゆえ精神科医は大はやりである。香山氏にとってはそれこそが「現実」である。

しかしインターネットの発達によって、そういう世界は足元が崩れつつあるのだ。なぜなら、

安冨歩『経済学の船出』

で指摘したように、20世紀に隆盛を極めた「関所資本主義」が、インターネットの発達によって機能しなくなりつつあるからだ。日本は特別に関所資本主義時代に成功を収めた国だったので、巨額の国債を発行してまでその維持に努めてきたが、もう限界である。今回の地震と原発事故は、その最後の一突きになった。孫正義氏という、ネット時代の先頭を切ってきた人物が、この問題で大きな存在感を示しているのはそのためである。

東電の処理をめぐる問題は、その行方を決定的に規定するはずである。この既に崩壊している会社に、銀行団が何兆円も貸し込んだことで、事態は更に緊迫の度を高めている。事態は日本全国の関所資本主義を巻き込む規模となってしまった。ここで政府が東電を解体できず、銀行団を見捨てることができなければ、今度は、政府自身が破綻するだろう。

政府も官僚も財界も、その崩壊を食い止めるのに必死である。しかし、大きな構造的変化にいくら抵抗しても無駄というものである。余計なことをすればするほど事態は悪くなり、まもなく、大規模なシステム崩壊が起きる。ソフトランディングのチャンスは過去に何度もあったが、全て封殺された。おそらく今回の原発事故が、もはやソフトとは言えないにしても、緊急着陸の最後のチャンスであろう。ここを逃せば、地面に激突してしまう。香山氏のような認識では、確実に地面に激突する。

(つづく)
スペースシャトルが三十年の愚行の歴史を閉じた。下の毎日新聞の記事のように、ひたすら、コストが高くて意味がなかった。しかも、日本はこの計画にお付き合いして、膨大な金を払っている。その上、いくら払ったのか、公開されていないらしい。さほど重要とも思えない役割を与えられている日本人宇宙飛行士数名を送り出しただけで、こんなに税金を無駄遣いしたことを、どうやって正当化するつもりなのか。JAXAの責任は重い。

ロケットを飛ばす意味はなにか。基本的には、大陸間弾道弾ICBMの技術の発展・維持のためである。スペースシャトルは、軍事的にも大した使い道がなかったようだ。

アメリカが人間を宇宙に送り込みたがったのは、「フロンティア神話」のせいであろう。アメリカは、西へ西へと征服を続け、アメリカ先住民社会と生態系とを破壊し続けて「発展」した。西海岸までそれをやってしまって、行き場がなくなって困ったので、「今度は宇宙だ!」とケネディがぶちあげたのがアポロ計画であった。ついに月面着陸に成功したアームストロング船長は、「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。」と言ったが、その後、人類は大きな飛躍をすることはなかった。そもそも、人間を空気も水もない宇宙に送り出す、というアホなことをやめるべきだと私は考える。人間は宇宙に向いていない。そんなところに人間を送り出す意味はない。すぐにやめて、地球上の生態系や空気や水の問題を考えよう。

それでも、宇宙の探検に意味はある。それは、地球の歴史を明らかにするためだ。地球の歴史を知ることには、自らを理解する、という崇高な意味がある。それには、別に人間を行かせる必要はどこにもない。機械を送り込んで調べれば充分である。その意味で、はやぶさは意義が大きかった。今後は、このタイプの宇宙探検が主体になるべきだ。少なくとも、日本は、有人飛行のアホらしさを学んで、無人ハイテク飛行に徹するべきだと思う。

追記:よく考えると、「再利用の最大の狙いはコスト削減だったが、コロンビア事故後に安全対策の費用がかさみ、1回当たりの運用費は当初想定した約5000万ドルの20倍近い8億~10億ドルに膨らんだ。」という話は、原発にソックリである。それに、日本がアメリカに鼻面引きずり回されている様子も良く似ている。原発もスペースシャトルも、日本の対米従属関係の象徴と見ることもできよう。

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最終飛行へ 宇宙への足、失う米

 81年の初飛行以来30年にわたり、世界の有人宇宙飛行をけん引してきた米航空宇宙局(NASA)のスペースシャトルが、8日打ち上げ予定のアトランティス(クリス・ファーガソン船長ら4人搭乗)を最後に引退する。一度に7人の飛行士と大型貨物を運べる特徴を生かし、国際宇宙ステーション(ISS)建設の中核を担ったが、高コストに悩まされ続けた。厳しい財政事情から引退後の後継機計画が不透明なまま、米国は宇宙への「足」を失うことになる。

 ◇ロシア頼み 財政赤字で後継機不透明
 【ケネディ宇宙センター(米フロリダ州)野田武、ワシントン古本陽荘】アトランティスが打ち上げを待つケネディ宇宙センターには、シャトルの「有終の美」を見ようと全米から宇宙ファンが集結。NASAによると、推定で数十万人が、センター周辺で打ち上げを見守る。

 予定日の8日は悪天候が予想され、NASAは6日、打ち上げを延期する確率を「70%」と発表したが、米国の宇宙開発の歴史を紹介するセンター内の展示館には観光客が詰めかけた。フロリダ州サンライズから家族4人で訪れたチャック・キャプラードさん(56)は「引退はとても悲しい」と惜しみつつ、宇宙開発の行方について「中国やロシアも力を入れており、今後も米国が主導できるか心配だ」と語った。

 「少なくとも、これから半世紀、宇宙における米国のリードは続く」

 今月1日、NASAのボールデン局長はワシントンでの記者会見でこう強調。シャトル引退後の有人宇宙計画を支える大型宇宙ロケット計画がまもなく発表されることを明らかにした。

 オバマ政権は2030年代半ばまでに火星軌道へ人を送る目標を掲げる。使い捨て型の多目的有人宇宙船は公表されたが、ロケット計画は未公表のままで、懸念の声が広がっていた。オバマ大統領は6日、「必要なのは次の技術革新だ」と、新たな挑戦への意気込みを語った。

 だが、専門家の間では新計画の進展に懐疑的な見方が強い。ジョージ・ワシントン大宇宙政策研究所のログスドン名誉教授は「ホワイトハウスと連邦議会は異なる将来像を描いており、これからどうなるかはかなり不透明だ」と警鐘を鳴らす。

 オバマ政権は昨年、計画推進のため5年間で60億ドル(約4800億円)の追加予算を発表した。だが、議会には宇宙開発推進派と、連邦政府予算の削減を目指す財政再建重視派とが混在。膨らむ財政赤字を背景に、財政再建重視派の発言力が強まっている。

 シャトル引退後、ISSへの人の輸送は当面、ロシアのソユーズ宇宙船頼みとなる。オバマ政権はISSへの有人輸送をボーイングなど民間の数社に委託する方針だが、実現には数年かかる見通しで、「次」は不透明なままだ。

 ◆人と物、大量輸送

 ◇ISS建設/日本人7人搭乗
 翼を持った航空機のようなデザインで宇宙船のイメージを塗り替えたスペースシャトルは、「繰り返し使う」ことを実現させた初の宇宙往還機だ。

 胴体部分は直径4・6メートル、長さ18・3メートルの円筒形の大きな貨物室で、最大約30トンの機材を積める。定員は最大7人と、ロシアのソユーズ宇宙船やアポロ宇宙船(3人)の倍以上。

 05年に搭乗した野口聡一飛行士(46)は「シャトルがなければISS建設は不可能だったし、日本人も宇宙に行けなかったかもしれない。人と物を大量輸送し、備え付けのロボットアームでISSを組み立て、宇宙空間での実験もできる高機能な宇宙船」と話す。

 ISS最大の広さを誇り、各国が利用する日本実験棟「きぼう」は、シャトルで機材を3回に分けて運び、軌道上で組み立てた。幻想的な宇宙の姿を多く撮影したハッブル宇宙望遠鏡の打ち上げや修理も、大型貨物室とロボットアームを備えたシャトルならではの仕事。日本人との縁も深い。92年の毛利衛さん(現・日本科学未来館長)を皮切りに7人の日本人宇宙飛行士が乗り組み、延べ12回、宇宙へ行った。

 ◆再利用型に弱点

 ◇事故2度14人犠牲/対策費増
 一方で、売り物の「再利用型」は最大の弱点でもあった。翼で滑空しながら着陸する方式を選択したことで機体の形状が複雑になった。86年にチャレンジャー、03年にはコロンビアが事故を起こし計14人が犠牲になった。

 再利用の最大の狙いはコスト削減だったが、コロンビア事故後に安全対策の費用がかさみ、1回当たりの運用費は当初想定した約5000万ドルの20倍近い8億~10億ドルに膨らんだ。「年間50回程度」の飛行計画は、実際には85年の9回がピーク。100回の飛行を想定して製造された5機は事故で2機を失い、残る3機で最多のディスカバリーも39回で引退した。

 79年からシャトルにかかわってきた澤岡昭・大同大学長(宇宙利用戦略論)は「最近は地上設備も老朽化し、打ち上げのたび心配だった」と振り返る。

 さらに「安全性もコスト面でもシャトルは失敗だったと言わざるを得ない。しかし、日本はきぼう建設や日本人搭乗で多大な恩恵を受けた。(ISS参加で負担した)安くない授業料に見合う有人宇宙開発戦略が、日本政府には今後求められる」と指摘する。【西川拓】

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 ■ことば

 ◇スペースシャトル
 アポロの後継機として米国が開発。81年4月のコロンビア以来、チャレンジャー、ディスカバリー、アトランティス、エンデバーの計5機が就航した。繰り返し使える機体に、打ち上げ時は外部燃料タンクと補助ロケット2本がつき、約250万以上の部品からなる。135回目の今回を含め、16カ国の356人を延べ848回宇宙に送り、地球を2万周以上回った。シャトル計画全体の費用は約1137億ドル(約9兆円)。シャトルに乗った日本人飛行士は毛利さん(2回)、野口さん、山崎さんのほか向井千秋さん(2回)、若田光一さん(3回)、土井隆雄さん(2回)、星出彰彦さんの計7人。

 2011年7月


放射線は人工放射線でも、自然放射線でも同じ。しかし、カリウム40などの放射性物質は、体内に蓄積しない、という形で全ての生命は対応してきたので、生物濃縮も起きない。ところが、人工放射性物質は、これまで進化過程で遭遇してこなかったので、その安定同位体を蓄えて利用する。そこに人工放射性同位体が入ると、同じように体内で蓄積し、生物濃縮が起きる。この点が問題。
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ファンタジーへの逃避で平穏を保ってきた彼らが
いま原発問題にこころの平穏を見出している

 彼らは、こころの平安を取り戻すためにゲームやアニメ、あるいはアイドルといったファンタジーに逃避し、気持ちを落ち着かせてきました。

 ファンタジーの世界には、彼らが現実の世界で不満に思っていることは出てきません。登場したとしても、悪者として描かれるのでいずれ排斥される運命が待っています。

 これまで、彼らが現実逃避のためにのめり込んでいった代表的なものが「新世紀エヴァンゲリオン」でしょう。

 惹きつけたのは、登場するキャラクターの魅力やファンタジーとしての世界観だけではありません。このアニメには、精神分析、神学など多様な学問領域があり、様々な専門用語が散りばめられています。

 彼らは、精神分析の分野で未知なるものが登場すると、先を争って精神分析の本を読み漁りました。宗教的な用語の背景を知ろうと、こぞって宗教学の本と格闘したのです。

 そんな彼らが、いま原発問題に向かっています。

 ファンタジーの世界ではなく、現実のなかに逃避を正当化できるテーマが出てきたからです。彼らにとって、これほど学びがいがあるテーマはありません。「新世紀エヴァンゲリオン」とは比較にならないほど高度に体系化された世界だからです。

 私たちは何気なく原発問題と表現していますが、この問題にはすべての学問領域を網羅する壮大な体系が存在しています。物理学的な側面、工学、建築学などの要素。原発をめぐる政治、環境問題。これまでの原発を取り巻く歴史、文学など、一つの小宇宙と言ってもいいと思います。
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上の主張は以下のようにまとめられよう。

(1)ニートや引きこもりは、逃避のために二次元に逃げ込んだ。
(2)ファンタジーの世界では嫌なことは起きない。起きても勧善懲悪。
(3)彼らは「新世紀エヴァンゲリオン」にはまって、精神分析や宗教の本と格闘して暇つぶしをした。
(4)原発問題は、そういった逃避の新しい手段に過ぎない。
(5)現実なので暇つぶしが正当化される。

この主張は完全に矛盾している。なぜなら、現実世界の原発問題では、

(2)ファンタジーの世界では嫌なことは起きない。起きても勧善懲悪。

が成り立たないからである。原発問題では嫌なことが起きまくる。起きまくる上に、勧善懲悪が全く作動しない。それゆえ、「逃げこみ」の対象にならないはずである。

では彼女の議論のどこがどう間違っているのであろうか。私の考えは以下である。

(1)本田透氏が『電波男』の「あとがき」で示したように、彼がアニメなどに没入していったのは、母親のネグレクトへの必死の対応であった。三次元世界での「愛」の不在のゆえに、二次元世界に存在する「愛」を求めたのであり、彼は自らの信じる「愛」を守るためにそうした。私は、立証は難しいが、この見解がいわゆるオタクの形成過程として、本流なのではないかと考えている。

(2)彼らがやっていることは、愛の欠如した異常な世界への必死の対応と見るべきである。別の言葉で言えば、「タガメ女」がウヨウヨしている田んぼに飛び込むのを恐怖した「カエル男予備軍」が、そのまま田んぼをスルーして、二次元空間へと避難したのだと解釈している。

(3)エヴァンゲリオンを経由して精神分析や宗教の書物を彼らが求めたのは、そこに「愛」を取り戻す糸口を見出したからではないか。

(4)インターネットで原発問題を真剣に論じている人々は、ここで香山氏が対象としているような経緯の人ばかりではないが、「エヴァンゲリオン⇒原発」という人もいるであろう。

(5)原発事故とその後の経緯は、日本社会の何がどう狂っているのかを白日のもとに晒した。エヴァンゲリオンをやっていた人々は、まさにそこに自分たちが求めていた事実を見たのではないか。

(6)ちなみに「ネオむぎ茶」は、彼ら抱える苦悩と同質のものを直接に表現した、という意味で、彼らの注目を集めたのであると考えれば、一貫して理解することができる。

つまり

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ファンタジーの世界ではなく、現実のなかに逃避を正当化できるテーマが出てきたからです。彼らにとって、これほど学びがいがあるテーマはありません。「新世紀エヴァンゲリオン」とは比較にならないほど高度に体系化された世界だからです。
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と香山氏は言っているが、原発を必要とし、原発を維持する社会の構造のなかに、彼らの苦悩の根源を見出したがゆえに、彼らは「学びがい」を感じているのだと私は解釈する。それは、単なる暇つぶしではない。おそらく、金儲けと出世とのために勉強している香山氏よりは、遥かに真剣に取り組んでいるのではないだろうか。

(つづく)