相変わらず二・二六事件にはまっております。
今回は、五・一五事件から二・二六事件までを描くということで観てみることに。
本編は第1部「海峡を渡る愛」、第2部「雪降り止まず」の2部構成で150分とまあまあ長い。
高倉健と吉永小百合の初共演が注目を集めたとか。
で、高倉健演じる宮城啓介と吉永小百合じる溝口薫は架空の人物だが、磯部浅一とその妻登美子夫婦がモデルと見られているようだ。
磯部浅一は『226』では竹中直人が演じていたので、まったくつながらないけどね。竹中直人演じる磯部浅一はなかなか過激派だし、実際の彼の言動を読んでも、ちょっと怖い人ってイメージ。
しかし、登美子と結ばれた経緯は、朝鮮・大邱で、芸者で売られて2日目の登美子をかばったのが縁らしいので、そのあたりはモデルと言えるのかも。
高倉健は、wikiによると『八甲田山』の撮影を終えたばかりで、「こういう悲劇的な作品に続けて出るのは気が進まない。死ぬのはつらい」と断っていたそうだ。
なるほど、役者として死ぬ役というのはやはり辛いものなのか。
自分も演劇部だったので、死ぬ役は何度が演じたが結構快感だったけどね。
この作品はクーデターを起こした側の事情が、『226』よりはわかりやすい。
農村の困窮した状態が、具体的に女性が売られる描写や、子供が飢えておにぎりをむさぼる描写なので、わかりやすく描かれている。軍隊の下級の兵士たちが置かれている厳しい背景が、こうしたクーデターのエネルギーになっているというのも理解しやすい。
少々クーデターを起こす側がちょっと美化されている気はするが、まあ、彼らなりの正義や事情があったのだろうという感じはする。貧しい家の出である憲兵が思わず高倉健に感情移入するなど、昭和初期がいかに庶民にとって苦しい時代だったのかがわかる。
誠実そうな高倉健が演じるものだから、余計に同情的な気分にはなる。
もっとも、高倉健演じる将校は割といいところのぼっちゃんっぽい。部下に慕われているので、部下思いの将校として、彼らに感情移入するほどに、そして軍隊の腐敗を見るほどに、正義感の強いこの将校が、なんとかせねばならないと言う思いを強くしたというのは、流れとしてはわかる。
ただ、『226』以上に、相変わらず殺される側の人たちの背景が見えないので、そのあたりは感傷的で偏った描き方だなーとは思う。
五・一五事件で犬養毅首相の暗殺が描かれているが、やっぱり、「話を聞こう」と言いながら殺されるエピソードは胸が痛い。
この映画ではクライマックスが二・二六事件で、のっけから二・二六事件が起こる『226』と違って、事件が起こる流れがわかりやすい。しかし、事件の流れは『226』の方が丁寧に再現されている。
この映画は、最初の企画段階では、澤地久枝原作の『妻たちの二・二六事件』を映画化しようと考えていたようで、吉永小百合、桜田淳子が演じる役を通して、反逆者の妻として残される者の痛みが描かれている。淳子ちゃん久しぶりに見て、子供の頃はあまり思わなかったけど、やっぱ可愛いかったんだなーと再確認した感じ。
神崎忠之の上官殺害のエピソードも印象深い。モデルは相沢三郎らしいが、ここでは、陸軍内における皇道派と統制派の確執、内紛などがわかりやすく描かれている。
また、事件後、神崎忠之の妻が子供と共に自害したと言うのも、なんとも言えないやるせなさ。薫と神崎の妻と子供がふれあう幸せそうな描写があったから余計にね。
この映画では、『226』にはなかった、暗黒裁判や、留置所の様子、銃殺刑の描写なども描かれている。
銃殺の描写は史実にのっとったものなのかはわからないが、あんな風に穴に入れられた状態で、目隠しもされないまま殺されたのかな?となかなか怖い光景だった。最初の脱走兵が銃殺された時は目隠しされていたので、何故、最後は目隠しされなかったのか不思議。
正直、高倉健と吉永小百合のメロドラマがメインなのは自分的にはいただけない。どうしても気恥ずかしくなってくる。
高倉健が何故かなかなか吉永小百合を抱かず、抱いて欲しいと泣きすがる吉永小百合に「一緒に東京に来て欲しい」しか言わない高倉健ってどーよって思う。いいからとりあえず一回ハグしてやれよと思うよねー。これが硬派な男ってやつか。
やっぱりモデルがいるとはいえ、ほとんど架空の人物で構成されている映画なので、もっとリアルな二・二六事件を知りたい自分には物足りなさもあるけど、でも、『226』ではわからなかった新たな局面も見えてきて、これまでいまいちぴんとこなかった二・二六事件のことが少しずつつかめてきた気がする。
ちなみに、もし、二・二六事件のクーデターが成功していたら、その後の日本はどうなっていただろうと気になるところ。
成功したとしても、やっぱり軍国主義になって、戦争は免れないだろうし、国民は結局厳しい状況に追いやられていただろうなーとは思う。
ようするに、成功してもしなくても結局同じ運命をたどったのではないか?
逆に、もし二・二六事件を食い止めることが出来たとしたら、日本は戦争を免れただろうか?