1979年に西ドイツが製作したヴェルナー・ヘルツォークの脚本・監督による、1922年F・W・ムルナウの『吸血鬼ノスフェラトゥ』のリメイク作品。
2024年にアメリカが製作した二度目のリメイクが公開されている関係か、アマプラで配信されていた。
F・W・ムルナウの『吸血鬼ノスフェラトゥ』は、ドイツ表現主義・サイレント映画の古典として『カリガリ博士』と並び評される事が多い。
私も昔、観た記憶があるのだけど、あんまり覚えていない。無許可でブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』を映画化したという話しもあり、想像以上に『吸血鬼ドラキュラ』と同じストーリーだなーと思った記憶が。
この作品でも、オリジナルのオマージュと思わせるシーンがあって、登場人物がサイレント映画っぽい大袈裟な動きをするのが、逆に面白いというか、ギャグっぽく見えてくる。
特に恐ろしい怪物のはずのノスフェラトゥが、いくつも棺を用意して、自分の棺がばれないようにカモフラージュしたり、その棺をせっせと新居に運ぶシーンなどは、滑稽ですらある。
なにげに前歯の牙も、ねずみ男みたいで格好悪い。
この種の怪物はしゃべればしゃべるほど怖さがなくなる。
これほど異様な出で立ちの伯爵に殆どひるまないジョナサンもなんとも奇妙。
この映画で特筆すべきは、とにもかくにもイザベラ・アジャーニーの美しさにつきる。23歳の若き彼女の輝くような美しさを堪能するだけでも満足出来る映画。
特にノスフェラトゥと対峙した際の彼女が神々しいまでに美しい。髪を溶かす彼女の背後から影が忍び込んでくる演出もよかった。ただ、突然芝居がかった台詞のやりとりがまたなんともヘンテコな感じがする。
この映画でもっとも異様なのは、本物のミイラが延々と写される冒頭。
これはメキシコのミイラ博物館に保管されているミイラを借りて撮影したものとか。いや、「これ絶対ものほんやなー」ってすぐに分かる生々しさ。頭髪とかまだ残っているあたりがいっそう生々しさに拍車をかける。
冷静に考えれば、ミイラって干からびた死体なのよね。それを淡々と見せつける演出。吸血鬼の被害者を表しているのだろうけど、実際映画の中でノスフェラトゥが人を殺す場面がないので、この冒頭だけなんだか浮いているというか、異様すぎるというか。
主だったロケ地は、オランダ、フェルメールの都デルフトだったらしい。
そういう町並みやお城の映像もなんだかとても生々しかった。ヨーロッパの古い町並みが好きな自分としてはこのあたりの映像は実に良かった。
映画自体は淡々としすぎていて、緊張感も怖さもないけど、ヘンテコな部分も含めてなんとなく嫌いじゃない映画。