『関心領域』の流れで、『サウルの息子』と続けてこの映画も観ました。
ポスターの雰囲気から自分が勝手に想像した物語は、主人公が収容所のユダヤ人の少年と友情を結び、大人になってユダヤ人の少年が収容所で死んだことを知り、ナチスの罪を思い知ると言うものだったけど、それではあまりに凡庸過ぎるストーリーですよね。そんなストーリー過去になんぼでも観た気がするわー、でも一応話題になった映画だから観るかーって気分で今頃になって観たけど、予想外の結末になるほどこれは良くも悪くも話題になるなと納得。
まあ、途中までは子供の微笑ましい友情の物語に違いはないし、シチュエーション的にユダヤ人の子供が最後に死ぬことは誰もが予想出来る範疇ですが、その想像を超えた結末で、これほどの鬱映画とは思いませんでした。
主人公の少年の父親は映画『ハリー・ポッター』のルーピン先生演じたデヴィッド・シューリス。それ以外は知らない俳優さんです。
ネタバレ
父親が収容所の所長となり、家族は収容所の実体を殆ど知らないままに、その側に住むというのはまさに『関心領域』と似たシチュエーションです。『関心領域』よりは家と収容所には距離がありますが、やはり遺体を焼く匂いはダイレクトにくるようです。
『関心領域』の家族は、妻が理想の暮らしと言ってしまうほど感覚が麻痺していますが、この映画の妻はまともな精神を持っているようで、遺体の匂いが漂う環境に激しく拒絶反応を示します。
また、コトラー中尉の存在はちょっと面白かったです。父親と主張を異にし、ナチスに傾倒し、そのフラストレーションをユダヤ人にぶつけ、やがて前線に送られる。ナチスという組織の中で歪んでいく人間の姿をうまく描いていたと思います。
この映画の収容所が具体的にどこの収容所かはわかりませんが、金網越しに少年たちが無邪気に対話出来るような、随分ゆるい収容所のようです。しかも子供が掘った穴で行き来出来るような、見張りもいないしその気になればいくらでも脱走可能のような、こんなゆるい収容所が果たして本当にあったのでしょうか?
主人公ブルーノが収容所を農場と思ったり、ユダヤ人少年シュムールの胸のナンバーが何かの遊びと思ったり、あまりに無邪気で、それでいて屋敷を訪れたシュムールをコトラー中尉が怖くて思わず裏切ってしまう残酷さもあって、本当にシュムールはよくブルーノを許したものだと思います。
プロパガンダ映画では、収容所の暮らしはカフェもある優雅なもので、ブルーノも自分の父親が残酷な人間ではないと信じたいので、これには安堵を覚えます。
やがてブルーノが少年とお別れする日が来るのは想定内の展開で、お別れした後、成長して真実を知るのだろうと思ったら、なんと、穴を掘れば収容所に入れることがわかります。ってことは、最終的には収容所で死んだと思われたシュムールがこの穴から脱走し、大人になったブルーノと再会するという感動展開か?と思ったら、なんとなんと穴からブルーノが収容所に入ってしまいました。このあたりから嫌な結末を予想した人もいたようですが、私は無邪気にもこれでブルーノが収容所内の実体を知り、父親に保護され、終戦後シュムールを探しにここに戻ってきたら、シュムールは既に死んでいたという展開なのだろうと思っていました。
そもそもこんな事件は史実的にはないので、完全にフィクションだし、「自分の身になって考えてみろ!」という主張を描くのにホロコーストを用いてこんなフィクションを作るのはやり過ぎな気もします。
そういう意味ではちょっとこの映画、自分は感心しません。
とはいえ、私が当初想定していた物語より、良くも悪くもインパクトのある映画です。