『関心領域』を観た流れで、『サウルの息子』『縞模様のパジャマの少年』と立て続けにホロコースト映画を観ました。
『関心領域』のレビューを観ていると、ちょいちょいこのふたつのタイトルがあがってくるので。
公開当時、このふたつの映画は話題にはなっていましたが、なんとなくホロコースト映画は滅入るので避けていました。
今回『サウルの息子』を観て、ゾンダーコマンドなる存在がいることを初めて知りました。
強制収容所に収容されているユダヤ人が同じユダヤ人の死体処理をするという労務部隊で、よく、まあ、そんな残酷なことを考えるなと、震撼とします。
wikiによるとゾンダーコマンドは他の囚人よりも待遇がよく、比較的長生きも出来たようですが、秘密保持者ということで、3ヶ月から1年以内に結局はガス室送りとされたようで、収容所開放までに14サイクルの入れ替えがあったとか。
この映画では1944年にアウシュヴィッツ強制収容所で実際に起こったゾンダーコマンドによる反乱を描いています。
女性囚人がアウシュビッツ内の軍需工場から火薬を少しずつ盗み出し、レジスタンスに火薬を渡し、ゾンダーコマンドがその火薬でガス室と火葬場を破壊するよう計画したようです。
ゾンダーコマンドが脱走に成功したのはほんの数名で、あとは、殆ど殺されています。
この映画ではそれらの説明が殆どないので、ある程度はバックグランドを知った方が見やすいです。
サウルを演じるルーリグ・ゲーザは詩人だそうで、1980年を最後にカメラの前で演技をしたことがなかったそうな。それでもかなりリアルな演技をしていたと思いますが、なんとなく好感を覚えない俳優さんでした。
ネタバレ
映画はカメラワークが終始ハンガリー系ユダヤ人のサウルを追いかけていて、サウル以外の背景はほとんどぼやけています。
のっけからアウシュビッツに到着するなりガス室に送られる囚人たちに「到着するなり、いきなり殺すんだ」と驚かされます。
断末魔の声をドア越しに聞くという演出や、淡々とその死体を運び出すゾンダーコマンドたちの作業が映し出されるあたりは、かなり生々しさがありました。
しかし、その間私が考えていたことは、こんな大虐殺が行われていた事実を恐ろしいと思う気持ちと、死体役の人大変そうだなーっと言うちょっと冷めた気持ちでした。
実際、ゾンダーコマンドたちはこうした作業に次第に心が麻痺していくようで、数日で何も感じなくなるそうです。人間はよくも悪くも状況に順応していく訳で、そうしなければ精神が崩壊してしまうような状況だったと思います。
同じユダヤ人と言っても出身がそれぞれ違うので、いろいろな言語が飛び交います。
私は吹き替えで見たのですが、こうしたリアルなアウシュビッツの空気を再現するという意図により、ハンガリー語以外は吹き替えされていないので、あんまり吹き替えにする意味がありませんでした。
スピルバーグの『シンドラーのリスト』もかなりリアルな雰囲気でしたが、この映画の臨場感はその上を行くかもしれない。
サウルが遺体の灰を川に棄てる場面は『関心領域』で父と息子が川で遊んでいる時に灰や骨が流れてくる描写と重なります。
そんな地獄の中で、サウルはガス室で亡くなった子供を息子と思い込みます。
サウルは本当に息子がいたのか、そもそも結婚していたのかはわかりません。
途中妻と面会するシーンがありますが、これは火薬を受け取る為に疑似夫婦を演じていたようで、実際の妻ではないようです。
(しかし、それなら何故女性はサウルの手を握ろうとしたのか? そして何故サウルはその女性の手を振り払ったのか?)
サウルは何故子供の埋葬にあそこまで執着するのでしょう。
極限状態にあって、人は子孫を残したいと言う本能が強くなる場合があります。
サウルも自分の子供、自分の存在した証を残したいと言う衝動に駆られたのではないでしょうか。
ゾンダーコマンドは筆記用具やカメラなどを手に入れ、収容所内の様子を記録していたようです。
映画でも、火葬場の現状を撮影し、それを配管の中に隠す描写があります。
このように人は何かしら生きた証を残したという思いがあるのでしょう。
加えて、ユダヤ教では死者はやがて復活するという信仰があり、サウルがラビによる正式な埋葬を強く望んだのは、息子の復活を願ってのことかもしれません。
遺体は実際には息子ではないし、ラビと名乗る男も明らかにラビではないのに、ラウルは盲進を続けます。それはあまりにも過酷な状況にあって、なんらかの希望にすがらねばならないほど追い詰められた者のある種の狂気のようです。
それ故に、サウルは最後に別の少年が現れた時、息子の復活した姿と思い込むことで救われるのです。
しかし、少年の姿を見て微笑むサウルはどこか狂気じみた怖さもあります。
そして、無情に殺されていく、ゾンダーコマンドたち。
その無念の思いは、彼らが残した記録により、ある意味復活を遂げます。
正直、臨場感はあるけど、状況わかりにくいし、見づらい映画でしたが、この最後のサウルの笑顔に、絶望の内においてもサウルは救われた気持ちで死ねたのだという、かすかな慰めを感じます。
そして、このような極限状態でなくても、人は死期が近づくと、どこか同じような慰めを求めるものではないでしょうか。
自分もまた、自分がこの世界から消えてしまう前に、何かしら自分を伝えるものを残したいというそんな思いが年齢と共に強くなるように思います。