1987年第60回アカデミー作品賞にも選ばれた話題作でした。CMも良く流れていて、気にはなりつつ、テレビ放映の際にも腰を落ち着けて見ることなく、ここにきてやっと鑑賞となりました。

 

実は『東京裁判』愛新覚羅溥儀の証言を観て、無性に彼に興味がわいた訳です。

 

原作は溥儀の自伝『わが半生』だそうですが、レジナルド・ジョンストン『紫禁城の黄昏』なんかもベースにあるのかな?

 

劇場公開版は163分ですが、今回私が観たのはアマプラにあったオリジナル全長版219分です。どのシーンが増えているのか劇場公開版をちゃんと観ていないのでわかりません。

 

そんな訳で、興味もあるし、面白い映画だったのですが、ベルナルド・ベルトルッチ監督の作風か、ここ最近の気圧変動によるものか、とにあく観ている途中で寝てしまう。

それでもちゃんと観たい!という気持ちが強かったので、頑張って最後まで鑑賞しました。

 

なにしろ私の中国の知識はカンフー映画や三国志程度で(いや、お馬鹿すぎるだろう)、正直中国の歴史とか文化に殆ど無知なので、映画も見ていてわからないことが多く、色々調べながら観たり、見終わった後もさらに調べたり、そしてある程度わかった上で再度見直すなど、結局続けて二度観てしまいました。

 

まさに壮大な叙事詩、そして溥儀のあまりに数奇な人生に圧倒される物語です。

大まかな流れは史実通りですが、細部はいろいろ史実と違う点があり、このあたりの相違点は史実を確認しながら観る感じでした。

 

お話は溥儀の幼少から少年期、婚姻までが前半で、インターバルがあって、青年期から晩年の後半となります。平行して第二次世界大戦後、戦犯として拘束される溥儀の姿が描かれるます。

青年期から壮年期を演じるジョン・ローンは1990年前後がまさにの全盛期でしたね。

 

そして溥儀の家庭教師レジナルド・ジョンストン役としてピーター・オトゥールも出演してたんですね。

彼はすらりと背が高くてスタイルがいいです。

 

まず、予告で散々使われていた壮大な紫禁城と小さな皇帝溥儀が黄色の布をくぐって見る2000人近い家臣の姿は圧巻ですよね。

この壮大な光景のインパクトがあるからこそ、最終的な溥儀の運命との落差が強調されます。

 

これって世界初のロケーションだったとか。中国共産党がよく強力してくれました。

約500年の間中国皇室専用宮殿として使用され、1987年ユネスコ世界遺産に指定されているようで、今は観光スポットともなっています。

まあ、この映画を観たら俄然紫禁城行きたくなりますよね。ほぼ映画で観光したような気分は味わえますが。とにかく、この紫禁城を実際の皇帝の暮らしを再現しながらたっぷり見られたというだけでも贅沢な映画ですよ。

 

そしてこの映画を観ることによってまた一歩近代史の造詣を深めるきっかけとなりました。

 

映画を見終わってからというもの、坂本龍一のラストエンペラーの曲がずっと頭の中で流れています。

ピアノで弾きたいと思ったのですが、YouTubeでピアノ演奏を観たらあまりに難易度が高すぎて自分レベルでは弾ける気がしません。でも簡単な楽譜があったらチャレンジしたいところです。

 

※ちなみにこの映画の作曲にエンリオ・モリコーネも名乗りをあげていたとか。

ちょっとエンリオ・モリコーネバージョンも観たかったような気がする。

 

ネタバレ

 

冒頭、ソビエト連邦の留意をとかれ、中華人民共和国に送還された溥儀が自殺を試みます。

しかし、溥儀が自殺未遂したという事実はないようでいきなりフィクションかーい!って感じです。

 

回想シーンで最初に西太后が登場しますが、西太后というと1984年に公開された『西太后』だるまがあまりにインパクト強すぎて、この映画を観る限りではとてつもなく恐ろしい女性という印象です。

ちなみに西太后のだるまのエピソードは創作らしいです。

先の光緒帝も遺髪から大量の砒素が検出されたということで毒殺された可能性が高いそうですが、その暗殺に関わったのが西太后だという説もあるようで、いずれにせよ、怖い女性という印象は否めません。

 

西太后が溥儀を次期皇帝に指名した途端にタイミングよく死ぬのが出来すぎだったので創作だろうなーと思ったらやっぱり創作でした。まあ、演出的にはこの方がドラマティックですもんね。

西太后が死んだ直後に黒い玉を口の中に入れる描写があって、あれはどういう文化なんだと早速調べましたよ。

あれは含玉と呼ばれるもので、死者を守る九竅玉のひとつなのだそうで、死体の9つの穴を黄金または宝石で塞ぐと死体は永遠に腐らないと信じられていたそうですね。

西太后の含玉は夜明珠という珍しい宝石で日本円で100億円以上の価格になるとか。

 

西太后が死んだ途端に急に家臣が賑やかに踊り出したり、こういう儀式的なものってエキゾチックで面白いなと思いました。

 

この恐ろしい女性という印象の西太后がのちの東陵事件で墓室を暴かれその遺体から装飾品や衣服を略奪されというのも衝撃的です。

 

乳母のアーモを演じる女優さんは乳母だけあってやたら美乳です。自身の子を預け、溥儀の乳母となる彼女はそうしなければならないほど貧しい家のでだったのでしょうか。彼女の子供を抱いて連れ出す男がかなり年配に見えたけど、あれは彼女の夫なのか、父親なのか。

最初の母との別れやこの乳母との別れでかかる坂本龍一の曲が実に切ないのです。溥儀は彼女を蝶に例えますが、いまいちどういう存在なのかわかりませんでした。解説によるとどうやらそれは初恋を表しているようです。

とにかく溥儀とアーモを監視する先帝の妻たちが怖かったです。

切ないエピソードですが、アーモという乳母は一応モデルはいたようですが、実在はしていなかったようですね。

 

この映画でも黄色は印象的でしたが、あれは皇帝のみに許された色だったんですね。

溥儀は自分でも知らないうちに皇帝を退位されていたという衝撃。溥儀はその後また皇帝になったり退位したりととややこしい人生です。

このあたりは、ちょっと日本の皇室と似ているというか、君主制国家に共通しているのか、皇帝というのはあくまで象徴的な存在で、実権が殆どないという、皇室は過去の遺物として存在している感がありますね。

で、この信王朝の弱体を招いたのは西太后だという話もあるようですが、このあたりはもっと突っ込んで調べないとよく分かりません。

 

溥儀の母親がアヘン中毒で亡くなり、この頃の中国がいかにアヘンという麻薬に犯されていたのかが随所に感じられます。

映画では描かれなかったようですが、紫禁城もアヘン中毒者がいたようです。

幼少より「家に帰りたい」と願ってきた溥儀が、母親の死を知って後宮から外に出ようとするも叶わず、二十日鼠をドアにたたきつけるシーンは、本物をたたきつけて殺したのではないかと思えるほどリアルでした。

ここで溥儀が屋根に登って頭を打って視力を悪くしたという事実はないようです。

紫禁城の暮らしにおいては宦官も印象的です。後宮には1200人の宦官がいたようですが、彼らと幼い皇帝の場面はなかなか微笑ましいものです。

しかし、後宮において宦官にとって都合の悪い人間は殺されたり、密かに宝物殿の美術品を横領したりと腐敗もあったようで、あとに粛正と言う流れになるのもむべなるかなという感じです。

何故、後宮が男性禁止で、宦官という去勢された男性が仕えるのかわかりませんが、『ラストエンペラーの私生活』(幻冬舎新書)によると、溥儀の最初の性体験は14歳の時、宦官によって体験し、満州国崩壊までは同性愛者だったと言う話もあるようです。また、宦官の伝記によれば多くの女官により性の悪戯を教わったという話もあって、性的には宮廷内はかなり堕落していたらしいです。

ちなみに、よく性犯罪者は去勢すべきだという話があり、私も密かにそうすべきだと考えていたのですが、宦官は去勢されても必ずしも性欲が衰えることなく、張り子などを使ったり、噛みついたりして発散すると知って、性犯罪の解決にはならないという認識になりました。

宦官は後宮での暮らしが約束されているので、自ら去勢する者もいるそうで、切除したモノををツボに入れて保管し、死後一緒に埋葬されるのだそうです。この映画でもツボが返還されるシーンがありましたね。

溥儀は正室婉容と側室文繡2人と婚姻することになりますが、この映画では婉容と文繡は5歳年の差がありますが、実際は3歳差だったようで、このあたりの微妙な違いはなんなのか謎です。

溥儀と婉容の初夜は溥儀の顔が口紅でベトベトになって、あんなに盛り上がっていたのに突然終了したのが何故なのか映画ではわかりませんでした(というか、皇帝の初夜ってあんな風にまわりに人がいて、服を脱がすなどの世話を受けるんですね)。

実際に溥儀と婉容の初夜は不発に終わったようですが、それはに生理が来たからという事情があったようです。溥儀は初夜の後は宦官の元で過ごし、記録によればその後も妻と同衾することはほとんどなかったようで、婉容の妊娠も自分の子であるという可能性をまったく信じず、「捨てよ」と命じたそうです。このあたりも映画の展開とは相違があります。映画では日本軍が殺したかのようですが、実際は溥儀の命令でボイラーに放り込んで殺害されたそうです。そういう意味ではこの映画では殺害は日本軍ということにして、あくまで溥儀への同情心が強まる作りとなっています。とはいえ、必要以上に日本を悪役に描くのはいかがなものかとちょっと引っかかりは感じます。

婉容が溥儀の理想とするモダンな女性として互いに好意を抱いたり、婉容と文繡とベッドを共にするなどの描写がありますが、どうもそこまで良好な関係だったとは思えず、のちに婉容がアヘンに溺れたのも溥儀と夫婦生活がなかったことが原因であるという話もあるようです。

溥儀は同性愛者だったとか不能だったと言う話もありますが、なんだかんだ生涯5人の妻を持ったのですね。

 

大人になった溥儀は城内の改革に乗り出す訳ですが、それを象徴する辮髪の断髪は、映画の予告にもあって印象的です。

宦官の不正を暴こうとして宝物殿を燃やされ、「自分の蜘蛛の巣にかかって死ぬ蜘蛛」という詩に象徴されるように、皇帝であっても多くの家臣を統制することの難しさを覚えます。

結果1000名以上の宦官や女官を追放するという流れになるのだが、退位以来予算を減らされ経費削減という背景があったとはいえ、この大胆の改革がそのまま紫禁城の衰退のつながっているのだなという気がします。自らを傷つけてまで宦官となり、800年もの長きにわたり仕えてきた彼らの最後は腐敗を招いたとはいえ、それはそれで切ないものです。

特に溥儀の子供の頃など宦官との微笑ましい描写もあっただけに、この宦官改革は時代の流れとはいえなかなか衝撃的です。

 

改革はやがて己の身にも及び、ついに溥儀は紫禁城追放となります。

あれほど後宮の外に出たいと願った溥儀がこういう形で願いが叶うという皮肉をおぼえます。

溥儀が後宮から退去する場面でまたもや坂本龍一の曲が切なさを増します。

 

ここで、家庭教師レジナルド・ジョンストンも帰国となりますが、映画のように溥儀が空港まで見送った事実はないそうです。

さらにレジナルド・ジョンストンとはこの後も再会し長らく交流があったようですが、映画では一切描かれていません。

 

溥儀を庇護することは内政干渉になるということで、諸外国が手を引く中、当時の大日本帝国だけが溥儀に手を差し伸べ、天津でそれなりに平穏な生活を送る溥儀。皇帝を退位したとはいえ、海外を夢見ながら、パーティを楽しみ、なんだか豊かな暮らしぶりです。

そんな中、中国民党の蔣介石が中国共産党に勝利したというニュースが流れます。

 

溥儀を監視する坂本龍一演じる甘粕正彦がめちゃめちゃ怪しい雰囲気です。甘粕正彦彦本人とは全然似てないし。甘粕正彦が何者か映画ではよくわかりませんでしたが、満州国建設に一役買った人物なんですね。映画では溥儀の監視役でもあったようですが、実際は別の人間が監視にあたっていたようです。

監督は最初甘粕正彦を切腹させようとしていたようですが、違和感を感じた坂本龍一の提案によって拳銃自殺となったとか。でも実際は服毒自殺をしたそうなので、何故史実通り描かんのか? と不思議に思いますが、あくまで映画的見せ場というか派手さが欲しかったということなんでしょうか。

 

つかの間の平穏の中で、溥儀は文繡と離婚します。溥儀は中国の歴史上、離婚歴を持つ唯一の皇帝だったそうです。

文繡はその後溥儀の内情をマスコミに暴露するという、すべての位を剥奪され平民となり、小学校の教師として亡くなったとか。

映画でもしがらみから解放され自由になったかのような描写がありましたが、彼女としては皇室の側室であることより幸せな人生だったのでしょうか。


ここで突然婉容の護衛として川島芳子なる女性が現れるのですが、私は「誰? 日本人?」って感じでした。

調べると中国の皇族で、溥儀の姪で、8歳の時に日本人の養女となり教育を受け、結婚やらなんやら、紆余曲折あって、日本軍の工作員となったようです。だから名前は日本名なんですね。

男装の麗人でもあり、マスコミが取り上げ、当時の日本でちょっとした社会現象を起こしたとか。だから、戦前生まれの人には非常に知名度の高い存在なのでしょうね。

さらに「東洋のマタ・ハリ」「満洲のジャンヌ・ダルク」などとも呼ばれていたそうな。最終的には銃殺刑となったそうです。

そんな波瀾万丈な人生を送った川島芳子ですが、この映画ではさらりとしか描かれていなくて、しかも婉容と同性愛関係にあったかのような描写とか、甘粕正彦と出来ているかのような描写はすべて史実にはないフィクションだそうです。

何故そのような描写を取り入れたのかはわかりませんが、川島芳子が日本のスパイとして暗躍しているということをわかりやすく見せるためだったのでしょうか?

 

満州事変が起こり、溥儀が満州国執政となるまでの流れはちょっと急ぎ足だなーという印象です。

 

溥儀は保身から日本軍に誘拐されて仕方なく満州国に行った風を装いますが、自ら望んで満州に渡ったことがあっさり見抜かれてしまいます。

長年皇帝として育ち、その地位を失い、中国政府に皇室の墓を守るという約束を反故にされた溥儀が復権を望むのもわからんでもない流れだし、その結果これまで同様実権のない存在として関東軍の傀儡と化すのがいっそう哀れに見えます。

執政から皇帝に返り咲く儀式でも工場の落成式みたいだと的を射た婉容のつぶやきがイタイです。

ちなみに正式に3回皇帝に即位したのは溥儀だけらしいですね。

 

もともと溥儀は政治的な意図をぬきに、関東大震災で日本に義援金を送るような友好的な人だったようだし、当時の日本も下手に溥儀を支援することが中国の内政干渉になるのではないかと躊躇していた経緯があったそうです。それが、関東軍の暴走によって、積極的に利用する方向に切り替わったのでしょうね。

 

溥儀は二度来日し、日本人にも好感がもたてれいたそうです。

映画でも昭和天皇と溥儀が駅で会うシーンがあったそうですが、当時は天皇の姿を描くことは何かとうるさかったようで、未公開となってしまったようです。

昭和天皇と溥儀の対面は『昭和天皇物語』という漫画で描かれていますが、この漫画によると昭和天皇はいまいち状況を理解できないまま溥儀を招待したような感じでした。

日本も大正昭和とかけて、やたら首相が暗殺されて、軍の暴走に歯止めが利かなくなって、中国同様激動の時期だったし、そういう意味では溥儀も昭和天皇もいろいろ近いものを感じます。ふたりともメガネかけてるし年齢も近いし。

ただ、中国の王朝は滅びましたが、日本の皇室は辛うじて生き残りました。敗戦国なのにこれは奇跡的なことですよね。

 

日本から戻った溥儀が日本と満州国が対等につきあうべきだと主張しますが、家臣はみんな立ち去ってしまいます。

このあたりも、お飾りでしかない皇帝の立場が露見して大変イタイシーンです。

 

子供を殺され、失意のうちに後宮を立ち去る婉容。でも実際はこのように婉容が後宮を離れた事実はないそうです。

溥儀が日本へ亡命しようとする直前に婉容が戻ってきて、自分の子供を殺した日本軍にひたすら唾を吐きかけるという悲しい描写がありますが、史実では子供を殺したのは日本軍ではないので、ここはあくまで婉容の悲劇性を際立たせる演出となっています。

史実的にも満州国に取り残された婉容は、ソ連・モンゴル連合軍とともに満洲にやってきた八路軍に逮捕され留置所に入れられ、狂気に陥り、最後はアヘン中毒と栄養失調で水も与えられないまま孤独の内に死亡したと言われ、とても悲惨な末路だったようです。

 

こうして、終戦を迎え、満州国は滅亡となりました。

自分の母が幼い頃満州国に開拓移民として渡っていたということもあって、もう少し満州の庶民の暮らしとか、開拓民引き上げにまつわる悲惨な状況も描いてくれるかなーと思ったのですが、あくまで溥儀が主役なのでこの映画ではまったく描かれることはありませんでした。

また、溥儀の東京裁判のシーンも期待しましたが、それもありませんでした。残念。

 

政治犯収容所で戦犯に大日本帝国の歴史映画を見せられる溥儀。すべてが事実かどうかはともかく中国視点の戦犯再教育の為の歴史映画という設定なので日本軍の負の局面ばかりがクローズアップされるのは当然として、日本公開時、配給元の松竹はベルトルッチ監督に削除依頼したようですね。

でも、このフィルムを観てショックを受けた溥儀が共産党政府が用意したあらゆる「告白」に一転して署名すると言う流れなので、削除してしまうとつじつまが合わなくなります。

所長が溥儀が知らなかった出来事まで責任を取ることはないと諭すシーンで、所長は厳しい人だけど公明な人物であることがわかります。

 

しかし、文化大革命が起こり中国共産党主席である毛沢東が台頭すると、またまた事態は一転。今度はこの所長が罪人として引き回されます。まさに一寸先は闇というか、何が正しく、何が間違っているのか、何を信じたらいいのか、まったく先がわからない時代です。

ちなみに文化大革命では大量虐殺など推定死者数が約2000万人に及ぶとか。太平洋戦争の中国人の犠牲者数よりも遙かに多い…。

なんだか、国外との戦争より、国内の粛正の方が怖いんじゃないかと思ってしまいます。映画でも紅衛兵の描写などカルト集団みたいな不気味さがあります。

 

溥儀は出所して植物園の庭師となりますが、彼が博物館として一般公開されている紫禁城に訪れるシーンが最高でした。

守衛の子供に、自分がこっそり玉座に隠したコオロギのツボを渡す。中からコオロギのミイラでも出てくるのかと思いきや、生きたコオロギが現れる。そして玉座に座っていた溥儀が一瞬にして消える。そして、時代は現代に飛び観光客が紫禁城に訪れ、ガイドの説明する声が聞こえて、誰もいない玉座が映し出されてエンディング。この流れがとにかくよくて、この映画はちょいちょい史実を無視したフィクションが見られますが、そんなことが帳消しになるくらい、もの悲しい余韻の残る素晴らしい終わり方でした。

このエンディングで私は一気にこの映画が好きになりました。なんだかんだやっぱり名作だと思います。

史実から外れている部分があるにせよ、時代に翻弄される溥儀という人物の本質的な部分は描けていたのではないかなーという感じがします。

 

ちなみに映画では溥儀は北京の植物園庭師として死んだような印象を受ける最後でもありますが、実際は、庭師の仕事は「一般市民として馴染む」と言う名目で短期間だったようです。映画でも描写がありましたが、皇帝として担がれる人生だった溥儀は、すべて家臣に身を任せていたので、靴紐ひとつ結べません。いつまでも皇帝気分が抜けない溥儀に「これが最後ですよ」と言って元家臣が靴紐を結ぶシーンがなんだか泣かせます。

植物園庭師の後は全国政治協商会議文史研究委員会専門委員になり、主に文史資料研究を行っていたそうです。弟溥儀とも再会し、一般人の看護師李淑賢と再婚もしています。さらに政協全国委員という国会議員相当の格式の職に選出され、その死去まで委員を務めました。

その背景には毛沢東が溥儀を共産党の傀儡として思想改造する狙いがあったと言われ、なんだかんだ最後まで利用される人生だったのだと悲しさが伴います。

 

晩年、溥儀は腎臓癌を煩い、反革命的な清朝皇帝の出自である溥儀の治療をすることで、紅衛兵に攻撃されることを恐れた病院から入院拒否され、末期状態まで治療を受けられないまま、亡くなったそうです。

最後の最後まで皇帝と言う定めに抗えない、悲しい末路でした。