ネタばれあり
第96回アカデミー賞で国際長編映画賞・音響賞を受賞した映画で、知人にもこれは音響のいい映画館で見なくては意味が無い!とまで言われたのに、プライムで、吹き替えで見ちゃうという駄目な奴。
原作はマーティン・エイミスの同名の小説だそうで、小説では仮名が使われているそうですが、映画は実名で描かれている。
で、この屋敷に住んでいるのがルドルフ・ヘス中佐一家なのだが、あのナチス副総裁のルドルフ・ヘスとは別人である。紛らわしい!
ルドルフ・ヘス中佐はあの有名なコルベ神父が身代わりで刑を受けることを許可した人物でもある。
前知識としてポーランドのアウシュビッツ強制収容所の近所に暮らす一家のお話という認識だったのだが、実際映画を観ると思った以上に収容所が近いというか、壁一枚隔てた隣が収容所という、こりゃー、ちょっときついわーと言う環境だった。しかも、地下はダイレクトに収容所とつながってもいるようで、もはやアウシュビッツで暮らしていると言っても過言ではない。
で、案の定、隣からは銃声やら悲鳴やら、不穏な音が絶えず聞こえてくるし、死体を焼く煙があがったり(おそらくそれに伴う匂いも漂っているのではないかと思われ)、川には捨てた遺灰が流れてくるという、普通に考えたら劣悪な暮らしなのだが、ヘスの妻ヘートヴィヒがここに理想の暮らしを見いだしていることに驚嘆する。
世の中には事故物件とか気にしない人もいるから、ある意味ルドルフの妻は肝っ玉が強いのかもしれん。
しかし、娘は眠れなかったり、ヘートヴィヒの母は逃げ出したりと、まあ、繊細な人間にはなかなか耐えがたい環境かと。
すぐ隣で虐殺が行われているというのに、優雅に暮らす一家と言うシチュエーションはまるでホラー映画のようではないか。
近所で工事なんかしていると、その騒音が地味にストレスになるんだけど、何かに集中することで一時意識せずにいられることもある。ルドルフにしてもヘートヴィヒにしても、あるいは子供たちにもしても、そうやって日常をやり過ごしているのかもしれんが、無意識のストレスは蓄積し、やがて精神的にも変調を来しているのではないかなーと思われる。
息子は確実に残忍になっているし、妻はただ理想の暮らしを追うことだけに集中していて、もはや本当にルドルフに愛情を抱いているのかも疑問だった。
ルドルフもルドルフで盲目的に任務を遂行しているけれど、やはり無意識のストレスに蝕まれていたと思われる。特に映画の最後で嘔吐していたのもそういうことかと。
『休暇』という死刑囚の死刑執行に関わった刑務官の邦画があったけど、人ひとり死刑にすることさえ、かなりのストレスがあるのに、ルドルフは自身の証言によれば250万人(諸説あり。今では110万人という見解が主流らしい)をガス室に送ったというのだから、そりゃー、もう、並の人間では絶えきれない状況だ。
そんなルドルフも最終的には取り調べで拷問され、絞首刑になっている。本人は命令、任務に忠実であったために、気が付かないうちに大量虐殺の歯車になっていたと言い、自分もまた悪人ではなく心を持つ一人の人間だったと言う手記を残しているそうな。
戦争で100人殺せば英雄という言葉もあるし、異常が支配する世界では、それは異常であるという自覚も失われるのかもしれない。
印象的なのは、ルドルフが広い家の電気をひとり消していく姿。あんな風に毎日ひとつひとつの部屋を全部点検して回るのは面倒臭そう。
そして、最後にひたすら階段を降りるルドルフ。階段の先はどんどん暗くなっていく。これはまるで地獄へと降りていくみたいな描写だなーと思った。実際、それを暗示しているシーンなのだろう。
映画の最後で、現在のアウシュビッツ収容所博物館が登場する。
110万人が殺されたガス室を淡々と掃除する係員。いやー、怖すぎる。私ならこんな仕事怖くて出来ない。
山のようなユダヤ人の靴や義足が収められた展示室を掃除する係員。こんな光景を毎日見ながら掃除って、心が病みそう。
でも、それを仕事と割り切っているのか、あるいは、後世にこの記録を残さねばという使命感からなのか、ひたすら職務に従事する係員の姿はルドルフやヘートヴィヒ同様に、ある種の鈍感さや図太さがなければやりきれないのではないかと言う気がする。博物館の職員とルドルフ一家を一緒にするなというお叱りを受けそうな気もするが、大なり小なり人は関心と無関心の領域を生きているのではないだろうか。
アウシュビッツはあまりに規模の大きいホロコーストだけど、自分にしても、日常、ホームレスが道で寝転がっていても、素通りしている訳で、そこは関心と無関心の領域が無意識的に選択されている訳だ。
良くも悪くも、人間とはそういう生き物なのだという気がする。無関心は自分を守る術でもある。だからこそ気が付かないうちにホロコーストに加担していたなんてことにならないよう注意しなければならないのかもしれない。
この映画では自分の身の危険をおかしても、収容所の人間の為に食べ物を隠すパルチザンの女性が登場するが、『白バラの祈り』の学生ようにナチズムに抵抗した勇敢な人たちもいる。それはそれで自分がそこまで勇敢な人間になれるかと問われると難しいところで、もし世界が狂気に覆われたら、抵抗できぬままに流されてしまうのではないかと不安にもなる。