今年映画館で観た最初の映画がこれ。
原作は筒井康隆の同名小説。私は未読。
筒井康隆原作の映画って『時をかける少女』以外あまりない気がする。
面白い作家なのでもっと映画化されればいいのにね。
主役である長塚京三の77歳元大学教授が実にはまっている。主演男優賞もんの演技。
他の俳優さんも皆自然な演技でドキュメンタリーを見ているようだ。
モノクロだし、昔のお話かと思ったら、新しいiMACなども登場しているし、舞台は割と近年のことのようだ。
ちなみに原作は1998年に出版されている。
最後の方はちょっと難解な感じもあるが、地味ながらも面白い映画ではあった。
とりあえず、筒井康隆の原作を読みたくなる。
ネタバレ
物語は夏からはじまる。
暑苦しい夏の朝、苦しげに目を覚ます主人公。
この映画では何度となく主人公が朝目覚めるシーンがあるが、どれもなんだか苦しげだ。
年をとると、朝すっきり気持ちよく目覚めるということが少なくなるのかもしれない。
私もまるで死から甦ったような疲労感を覚える苦しい目覚めが多くなってきたように思う。
妻に先立たれたったひとりで古い一軒家に暮らす彼は、いわゆる丁寧な食事、丁寧な暮らしをしている。
彼の食事のシーンはどれも美味しそうだ。
朝は鮭を焼き、夜は焼き鳥、昼はそばや、冷麺など、料理の描写もその食べっぷりも実に美味しそう。
だが、肛門から出血したり、次第に昔のように食べたいものも食べられなくなっていき、やがて彼の丁寧な食事はカップラーメンになっていく。
主人公が関わる元教え子や、フランス文学専攻のアルバイトの学生など、どちらも男心をくすぐる女性で、元大学教授も表面上は理性的だが、やはり下心は持っている。このあたりの赤裸々な性欲の描き方は筒井康隆らしい。
妻に、女性はあなたの肩書きに寄ってきているだけだと言わせたり、食事などに誘ってきた教え子にあれはセクハラですよねっと言わせたり、何か教授に恨みでもと言うくらい容赦がない。
パリに行きたかったと恨み節を言う妻に対する後悔や罪悪感。一緒に妻とお風呂に入りたかった彼の願望などがどんどん妄想の世界に取り込まれる。
女性の立場から言うと、こういう知的で理性的な大人の男性と言うのは惹かれる存在だし、そこには父性のような安心感を得たいと言う願望があるのは確かだ。元教授はそういう意味では魅力があるが、やはり男性としての下心を見せられるとちょっと引いてしまう。
だからこそ彼は世間が理想とする自分を必死に保ってきたのかもしれない。
彼のフランス文学研究者としての功績も、フランス文学自体が衰退し、エッセイの連載という仕事も失われる。
自分が築き上げたものが時代の流れと共に消えゆく寂しさも辛いものだ。
若い娘にはいいように利用された挙げ句逃げられ、貯金も底をつきかける。
もはやこれまでとなったとき、彼は自分の人生に自分で見切りをつける覚悟が出来ている。
と、老後、終活、誰もが身につまされるお話。
独身はもとより、夫婦でも相手に先立たれれば、また子供がいても独立して身近にいなければ、誰もが陥る境遇ではないだろうか。
そういう老いの寂しさ、悲しさがリアルさが迫ってきて、実に切ない。
そこで問題の「敵」だが、これは何のメタファーなのだろうか。
なんとなく、老いとか、死とか、そういったものなのかなーなどと思いながら観ていたし、一般的にもそのように解釈されているようだ。
認知症という話もある。確かにやたら夢オチを繰り返し、次第に何が現実か妄想かわからない世界にとらわれていく主人公はどこか認知症から見る世界のようにも感じる。
彼の教え子を演じる松尾貴史が手術後昏睡し、主人公とふたりきりになると突然目覚めて「敵」の存在を警告するあたりも、やはり死を表しているのかなーという感じはする。
記憶が錯乱し、いよいよ自分でもコントロール出来ない敵のまっただ中に追い詰められる主人公。まさに死の錯乱状態のようだ。
妄想の中で一度死んだ主人公は春にまた皆に会えるという穏やかな気持ちで唐突に終わる。
ある意味死の直前というのはこういう穏やかなものかもしれないし、本当の意味で彼が旅立ったことを表しているのかもしれないが、その解釈が正解かどうかもわからない。
「早く皆に会いたい」と言う言葉にはなんとも言えない切なさがある。
原作はここで終わるようだが、映画はさらにその続きがある。
主人公の死後、遺書によって遺産相続の話となる。家の相続として選ばれたのが従兄弟甥。
まあ、正直、私も親の家屋の処分などを実際にやったので、やれ本は価値のわかる人に渡すようにとか、家にはなるべく甥が住むようにとか、こんな遺言が残されたら大変だなーと感じる内容だった。私の実家にも本が山のようにあって、それらを無碍に処分するのは心苦しく、かと言って今の時代良い引き取り手を見つけるのも手間だったりするので、残された側としてはなかなか苦労する。
で、映画はここからが難解で、まず従兄弟甥が物置でアルバムを発見するのだが、そこで手にする写真は甥からすると曾祖父なのだろうか。甥にそっくりな感じもしたが、これは何を意味してるのだろう。
また、甥が双眼鏡で覗いた先に、何が見えたのか、ちょっと見落としてしまった。DVDとかなら巻き戻したり静止画に出来るが、映画館ではそうはいかないので、いずれメディア化されたら見直すしかない。
ネットで調べた感じだと、死んだ主人公の姿を見たらしいのだが、そうなるとなんだか怪談話のようだ。
自分的にはこのエンディングにはいまいちすっきりした解釈をつけることが出来ない。
誰かが、いずれはたどる老いの未来を見たのではないだろうかという解釈をしていて、まあ、そういう事かもしれないが、監督にどういう意図があったのか直接聞きたいところだ。
ホラーっぽいと言えば、敵を警告する文字がパソコンを埋め尽くすあたりはドキドキするくらい怖かった。
このあたりの演出はもはやホラー映画そのもの。
日常の不穏がカオスと化すという展開はちょっと黒沢清っぽさもある。
追記
そういえばひとつ気になるのは、主人公は大学を定年退職したのではなく、辞めさせられたようだけど、それってなんでだろう?