原作は横山秀夫、1985年の日本航空123便墜落事故を題材に、とある地方新聞社の報道現場が描かれる。

著者が記者時代に実際に体験した事をまとめたもので、そういうリアリティは感じられる。

監督が原田眞人がちと微妙。この人、興味深い題材を扱うんだけど、なんとなく綺麗に撮るんだけどなんだかあまり心にささらんのよね。

 

あくまで報道現場視点なので、そこに事故に遭遇した被害者や、その遺族の視点は殆どない。どっちかと言えば日本航空123便墜落事故の方に関心があるので、そこはちょっと物足りない気もする。

御巣鷹の尾根現場は群馬県の倉渕ダム残土捨場の山林斜面で忠実に再現されたそうで、なかなか現場の雰囲気を知り得ない自分には多少なりとも臨場感は味わえる。

無線もつかえない、連絡は電話のとりあい、と、当時の報道機関の過酷さや、大変さもなんとなく伝わってくる。

 

 

ネタばれ

 

最初に、堤真一の息子が飛行機に乗る描写があったし、その息子の形見のように息子が預けた石を持っているものだから、てっきり息子が123便に乗って死亡したのかと思ったら、そういう訳ではなかった。まあ、これで息子が死んでいたら日航機事故担当全権デスクどころじゃないだろうけど、なんかミスリードっぽかったな。ミスリードとしてもあんま意味ないけど。

 

そこは、事故当日に植物人間状態になった髙嶋政宏同様、あんまストーリー上の必然を感じなかった。

その息子と主人公が山登りすることと、文字通りクライマーズ・ハイとなる報道現場がなんとなくリンクする仕掛けにはないっている。

 

未曾有の大惨事を扱いながら、なんとなく物語は堤真一が自分を子犬扱いする社長山﨑努から脱却する物語という印象があり、事故そのものはそれの添え物のようにも感じてしまう。

時代が時代とはいえ、秘書にセクハラしまくりのこの社長には嫌悪感を覚える。

 

ラストは擬似的父性から脱却することで、やっと自分の息子と向き合える父親となれたと言うことだろうか。

 

物語的にはやっぱりスクープをものにするというカタルシスが欲しいような気もしたが、実話が元になっている以上、あのネタを架空の地方新聞社がすっぱ抜くという展開には出来ないわなー。でもあそこで堺雅人「話が出来すぎている」などと言わなければなんてことをつい考えてしまう。

遠藤憲一とはあれほど対立してたのに、スクープを目の前にしたら急に協力的になるのね。