ネタバレっぽいかもねー
『八犬伝』を観た流れで、そういえば子供のころ、葛飾北斎のヘンテコ映画があったなーと思い出し、再見することに。
昔観たときは、映画の途中から観たこともあって、訳が分からないとうか、印象に残っているのは、北斎が富嶽三十六景を描くところと、田中裕子演じる北斎の娘お栄が、70歳の老婆メイクをしながら、体がぴちぴちの20代というヌードシーンに母が大爆笑していたことだが、それより何よりやっぱり『蛸と海女』の制作風景にすべてもっていかれるというか、そのインパクトばかりが強烈に残っている。
今、最初からちゃんと観れば、当時訳分からん映画という印象を払拭出来るのではないかと思ったが、やっぱり訳の分からんヘンテコ映画という評価は変わらなかった。
が、いろいろ、面白い面もあった。
『八犬伝』では馬琴が役所広司、北斎が内野聖陽な訳だが、こちらは北斎が緒形拳で馬琴が西田敏行。『八犬伝』と違って北斎がメインであるから趣が大分違う。
まず緒形拳の北斎はぎらぎらしている。西田敏行はなんとなく風采上がらぬ駄目亭主っぷりに拍車がかかる。
乙羽信子演じるお百は亭主を尻に敷く姐さん女房だが、西田馬琴はそんな妻の尻に敷かれているのがまんざらでもないようで、むしろ妻に対する深い愛情さえ感じる。ここでは馬琴とお路のエピソードは出てこない。というか、息子の存在もなく、ただ妻と二人暮らしだったのか?という印象を受ける。
北斎も終始貧乏暮らしな感じで、絵師として豊かなら暮らしをしている描写はまったくなかった。
ようするに北斎の伝記映画的側面は殆どないのでそこはちょっと物足りない。
どっちかといえば樋口可南子演じるお直という女性に魅せられたファム・ファタール映画という趣。
のっけから柳の木の下に立つ樋口可南子は妖艶で魔性の雰囲気ぷんぷん。だから後半、まったく別人を演じる樋口可南子はすごいと思った。
この映画は裸描写がとにかく多い。
何しろのっけから男風呂で、男の裸祭り。終始緒形拳の胸毛が気になってしょうがない。緒形拳の胸毛ってあれは地毛なのか? なかなか個性的な胸毛の持ち主だったんだな。
16歳から70歳までを演じた田中裕子ものっけから胸もあらわに登場する。
田中裕子は顔が童顔なので、おぼこも違和感ない。私にとっての田中裕子は『マー姉ちゃん』で長谷川町子を演じていたことが印象的だったので、その後、色気のあるいい女的な扱いになったことは違和感ありありだった。この映画における田中裕子はあっけらかんとしたかわいさがあって良かった。
とにかく田中裕子も樋口可南子も惜しげもなく終始裸なイメージ。それでいてまったくイヤラシくないというか、エロスを感じない。ふたりとも胸が小さいところに好感がもてたりする。そしてふたりともめっちゃめっちゃ細い。樋口可南子は陶磁器のように真っ白で人形のようだった。
改めてタコのシーンを観ると、やっぱりここの力の入れようが半端ない。監督の思い入れの強さを感じるというか、結局やっぱりこの場面に映画が全部持って行かれている感はある。
お直、裸になるのが嫌だとあれほど抵抗してたのに、北斎にタコの説明を聞いた途端「やってみたい!」となる心理がようわからんわ。思わず「やるんかい!」と突っ込みたくなる。
個人的には北斎の養父が首つり自殺をして、それを観た北斎が突然唐辛子売りの口上を語り出す場面がへんてこで好きだ。
あの当時の唐辛子売りって背中にあんな巨大な唐辛子背負っていたのかな。
後半はとにかく老いた馬琴と北斎のぐだぐだした感じがなんとも言えない。
馬琴が最後にお栄の胸を吸うのは、もはやエロスというよりも赤ん坊に回帰した姿のよう。
北斎もいろいろぐだぐだ言っているうちにコロッと死ぬので、なんだかようわからんぽかーんとした気分に。
お栄も優れた絵師だったので、もう少しそういう描写があっても良かったのになーという気はする。
北斎の伝記を期待すると肩透かしをくらうけど、まあ、このヘンテコっぷりはもしかして癖になるかも。
そうそう、来年の大河ドラマ『べらぼう 〜蔦重栄華乃夢噺〜』の主役である蔦屋重三郎も登場する。蔦屋重三郎はあのTSUTAYAの由来なのかな。この映画では顔見せ程度だった十返舎一九、式亭三馬、歌麿などももうちょっとちゃんと描いてくれるんだろうなー。