日本公開はまだかまだかと去年から首を長くして待ってましたよ。

被爆国としては、子供の頃から、原爆を落とされた側の視点はたくさん目にしてきました。

それこそ子供の頃は『はだしのゲン』は学級の必読書だったし、10フィート映画運動のフィルムや、写真集、映画、ドラマ、絵画、絵本、小説などなど、あらゆるメディアで原爆の悲惨さを嫌というほどたたき込まれてきました。

長崎の原爆資料館や平和公園にも訪れたこともあります。

ただ、落とした側の視点という意味では、なかなか目にする機会がありませんでした。

そんな中、日本では劇場未公開となった1989年の映画『シャドー・メーカーズ』を十数年前に観て、はじめて、作った側の視点というのを観た次第です。オッペンハイマーを演じたのは『特攻野郎Aチーム』のモンキーでお馴染みのドワイト・シュルツレズリー・グローヴスを演じたのがポール・ニューマンです。この映画はマンハッタン計画を中心に原爆が完成するまでを描いた作品で、いろんな困難がありながら完成に至るまでの流れはちょっとした『プロジェクトX』的雰囲気もあります。なんで、ついこっちも完成を願ってしまうような、でも我に返ると、作ってるのは原爆なんだよねーというなんとも複雑な心情になる映画なのです。

『オッペンハイマー』では、原爆を落とされた広島や長崎の現状を描かなかったことが問題になっていますが、『シャドー・メーカーズ』でも完成させた結果は描いていません。ただ、ルイス・スローティンの1946年に起こった臨界事故をモデルにしたエピソードを平行して盛り込むことによって、被曝した人間の悲惨な状況を示唆しています。この臨界事故が結構衝撃的で、かなり後味の悪いインパクトがあります。

 

ということで、オッペンハイマーを描いた作品としてはこれで二作目の鑑賞となる訳ですが、ノーラン監督が果たしてどのように描くのかは興味津々でした。

ちなみに原作はカイ・バードマーティン・J・シャーウィンによる伝記『オッペンハイマー 「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇』だそうです。

『シャドー・メーカーズ』はほぼマンハッタン計画だけに絞れた作品ですが、この作品ではマンハッタン計画のみならず、ソ連のスパイ容疑をかけられたオッペンハイマーのその後なども描いています。

ノーランらしく、学生時代のオッペンハイマー、マンハッタン計画、聴聞会、公聴会など時系列を平行に描く手法をとっていて、ちょっとわかりにくいかなーと思ったけど、まあまあ理解出来ました。特に公聴会のシーンは何故かモノクロだったので明確です。それにしても通常モノクロというのは回想シーンに使われるものなので、ちょっと時系列的には戸惑うものはありました。

 

あと、音ね。相変わらず音で煽ってくるんだけど、時々「そこ、そんな煽る必要ある?」ってくらい、終始緊張感を盛り上げようとする演出が、よく言えばノーランスタイル、ノーラン節、悪く言えば一本調子のワンパターン。

 

とにかく180分ですからねー。それはもう尿意との戦いです。2時間くらいでクライマックスがきたので、そこまでは我慢して、その後一度だけトイレに抜けました。やっぱり3時間超える映画はインターバル欲しいですね。

 

キャストも豪華というか、ちょっとした役に大物俳優を使っていて贅沢です。

アカデミー主演男優賞をとったキリアン・マーフィーや、授賞式でケチがついた助演男優賞のロバート・ダウニー・Jr.をはじめ、ポール・ニューマンが演じたレズリー・グローヴスマット・デイモンノーランはジミーちゃんが大好きね。

ちょい役のトルーマン大統領にはゲーリー・オールドマン

他にも私の嫌いなケネス・ブラナーやら、フレディのラミ・マレックなどなど。

ジョシュ・ハートネットやらデイン・デハーンも出てたようだけど気がつかなかったよ。

 

とまあ、アカデミー作品賞もとった大作ではありますが、いまいち自分が期待してたものとはちょっと違っていました。

まあ、そこは、ネタばれ感想で。

 

 

ネタバレ

 

まず、衝撃的だったのはオッペンハイマーが学生時代にむかつく教授のリンゴに青酸カリを注射する場面ですね。

これ、大問題ではないかと思ったんですが、このエピソードが事実なのかフィクションなのかは不明です。

結果を考えずに暴走して、後から自分のやったことの重大さに気がついて取り返そうとする彼の性質を、のちの原爆開発に関わる顛末への伏線として描いたのでしょうか。

とにかくこれが事実なら相当やばい奴だねオッペンハイマーという気分です。

 

実際、オッペンハイマーは不倫したり、私生活は品行方正とは言いがたく、また共産党との関わりも多かったので、ソ連のスパイとして疑われるのもわかるなーという感じではあります。

マンハッタン計画に関してはユダヤ人である彼がナチスを危惧して、その目的の為に原爆を作ろうとするのはまあわからんでもない部分もあります。ただ、ナチス敗北で目的を日本にシフトした時に反対しなかったのは?な感じではありますね。

科学者としても理論を実現化してみたいという願望はあるだろうし、マンハッタン計画の実験まではやり遂げたかったのだろうなという気はしますが、その結果がもたらすことを考えれば悪魔の誘惑だったのかもしれません。

とりあえずマンハッタン計画で原爆がはじめて爆発する場面はこの映画の最大の見せ場でした。原爆のパーツが徐々にはまっていく場面といい、このあたりの演出はさすがノーランという感じではあります。

 

映画の冒頭、プロメテウスが炎を盗み、神に罰せられたという序文がありますが、オッペンハイマーもまた、「原爆の父」とアメリカ国民から称えられ、栄華を極めるものの、彼の中に疑念と罪悪感が生まれます。

この罪悪感が生まれる描写がちょっと唐突というか、やっぱりオッペンハイマーは広島や長崎に訪れたことはないし、被害のフィルムでさえ罪悪感を理由に観てないということで、何をきっかけに彼がそこまで思い至ったのかが不明瞭なんですね。彼が想像の中で焦げた死体を踏み、皮膚がめくれる姿を観るのですが、所詮想像という感じも致します。

報告書でその悲惨な現状を知る場面はありますが、やっぱりオッペンハイマーの罪悪感を抱く動機が弱く感じられました。

まだ、『シャドー・メーカーズ』の方が被爆の恐ろしさや悲惨さを臨界事故で表現している事で伝わってくるのですが、『オッペンハイマー』は表現としてやはり甘い言う気がします。まあ、この映画が描きたいのは原爆の悲惨さではなく、あくまでオッペンハイマーの人生ということなので、そこまでの表現を必要とはしてないのかもしれませんが。

そんな訳で、彼が何故水爆に反対したのかもよくわかりません。どこかに水爆に関して自分が中心になれなかったからではないか?という見解もあって、その方が納得しちゃう感じなんですよね。

実際に彼は公職追放と言う立場に追い込まれ、ある意味神に罰せられた形とはなりましたが、これもまたルイス・ストローズの個人的恨みを買ったというだけなの?という印象で、なんだか拍子抜けな感じもします。しかも、アインシュタインとの会話は完全にストローズの誤解であり、そんなことで陥れられるというちっさい話というか、もっと原爆を作った男の苦悩の物語と思っていたので、そういう意味では期待はずれのようにも思います。

トルーマン大統領との会話で、自分の手が血で汚れているとまで後悔している描写もあるんですが、その苦悩があまり響いてこないんですよね。それにしてもオッペンハイマーがこれほど罪悪感を抱いていても、恨まれるならそれはおまえごときじゃなくて自分だと言い切ってしまうトルーマンはなんだかすごかったです。上にたつものはサイコパスが多いと言うが、ある意味サイコパスじゃなければ務まらないのかもしれないですね。

 

なんだかんだオッペンハイマーは1947年にリヒトマイヤー記念賞、1963年にエンリコ・フェルミ賞を受賞して栄誉に返り咲く訳で、そういう面では、本当に自分のやったことに罪悪感を抱いていたら賞など受領しないのではないかな?という気もします。炎を盗んだプロメテウスの神の罰ってそんなもんかというか。

『シャドー・メーカーズ』を観た時は、その後のオッペンハイマーが水爆開発に反対したという事実に多少救われた感を覚えたのですが、この映画を観て改めてオッペンハイマーについて調べてみると、そんな甘い感傷で救われた気持ちになるようなものではないのかもしれないという疑念がわきました。

ただ、遅かれ早かれ、オッペンハイマーがいなくても、誰かが原爆を作っていただろうと思うし、これもまた人間の業なのかもしれないなーと思うのです。

映画の最後に警告されたように、これが物理学のほぼ0%のほぼが表す比喩的な意味で、本当に世界を滅ぼす兵器とならないことを願うばかりです。

 

そういえば、オッペンハイマーが不倫している恋人と裸で椅子で座るシーンなど、なんだか妙というか、自分だったら絶対何か羽織るし、これは外国人だからなのか、ノーランは普段そんなことをしているのかとちょっと引っかかってしまいましたね。

あと、聴聞会の最中にオッペンハイマーと愛人が裸で抱き合っているシーンはなんだか気持ち悪かったです。妻の妄想ってことなんでしょうけど、にしても、実際撮影現場も、あんな真面目な雰囲気の中で、裸で演じる俳優も大変だなーと思いました。