戦後間もない日本にゴジラ襲来!
この設定だけで期待度があがる。
しかし、映画ファンにはすこぶる評判の悪い山崎貴監督とあっては、ちょっち不安。
でも予告ビジュアルはよさげなんで、思い切って映画館で観てみた。
結果、予想してたよりずっと良かったというか、そりゃーいろいろ気になることはあるんだけど、それを凌駕するほどゴジラパートがあがったので、相殺されたかなーという気分。
やっぱ伊福部昭の曲が最高に格好良かったなー。彼の曲がかかるとめっちゃ痺れて、テンションあがるもの。
伊福部昭は私が卒業した中学の校歌も作曲していて、同じ北海道出身というのもあるし、ちょっとご贔屓にしちゃうよね。
ちなみに、私の中学の校歌もやたらかっこいい曲で、入学当時はこれから三年間こんなかっこいい校歌が歌えるんだと嬉しかった。
(校歌はYouTubeにもアップされているけど、私が歌っていた当時は勇ましい演奏だったのに、今はおとなしい演奏になっていてかっこよさがなくなってしまった)
『シン・ゴジラ』と比べられる向きもあるけど、アプローチの仕方が全然違うのでなんとも。
どっちも良さも欠点もあるけど、私はどっちも面白かったよ。
ネタバレ
良い面はやっぱりゴジラパート全般かな。
まずは大戸島の守備隊基地でのゴジラ前身との遭遇ジャブ。ジュラシックパーク感はあるけど、こいつがビキニ環礁での水爆実験によって、さらに脅威の変貌を遂げるとどうなっちゃうんだろうという不安を植え付けられる。
ところでゴジラ登場前に深海魚が浮いてくるのはどういったことなのか?
普段深海で暮らすゴジラが時々海上に浮上する際に、一緒に浮上してきて死んじゃうってことか?
で、次に変貌したゴジラが初登場する海上でのシーンは、ゴジラの脅威と絶望感をよく描いていた。
機雷撤去の小さな作業船でゴジラと対峙しなければならない恐怖感。まさに『ジョーズ』のオルカ号とジョーズの攻防戦のようなスリルと恐怖感があった。
そこへ救世主のように現れる重巡洋艦高雄。その希望を打ち壊すように高尾がゴジラの熱線であっさりやられる絶望感。
ここはかなりがつんとショックを受けたなー。
こんな絶望を前に、なぜかあっさり救出される主人公たちには???となったけどね。
しかも、かなりの至近距離の熱線だったのに、主人公以外皆火傷も怪我も負ってないし。
でも、こんなやばい怪獣が日本上陸したらオワコンだなーという恐怖感をしっかり植え付けられた。
次は銀座襲撃。
やっぱりお馴染みの場所が攻撃されると、身近なだけに心が痛むね。ああ、銀座ワコーが…ってなるもん。
浜辺美波演じる典子が電車で遭遇するゴジラの演出は良かったし、かなり怖かった。
ただ、典子が落ちた場所って東京湾だよね? よく自力で這い上がって、さらに銀座の町をふらふら歩いたり出来たなーっと。
一瞬、銀座を歩いてるのは典子に似た別人なのかと思ったよ。
そして、神木隆之介演じる敷島はあんな状況でよく彼女をあっさり見つけ出せたな。
ゴジラを中継するテレビ局の人たちのプロ根性ははらはらさせるね。
ゴジラが放出する熱線はまんま原爆そのもので、ここでも戦後間もない弱った日本にこんな怪物相手に勝ち目無しという絶望感を覚える。
ただ、放射能による汚染や、黒い雨まで降っているのに、それによる被爆とか後遺症といった描写が一切ないのは、中途半端かなーと思う。
こんだけやばい怪獣に対して政府もGHQも何もしないというのは不可解。原爆並の威力を持つ怪物にソ連うんぬん言ってる場合か?
ゴジラが東京を縄張りとする意味もよくわからない。
このままがんがん日本を攻撃するのかと思ったら、あっさりまた海に戻っていくのもよくわからんかった。
まあ、そこは対抗策を考える時間が欲しいという大人の事情なのだろうと思うが、このゴジラといかに対抗するのかというところが後半の見所で、私は一作目の『ゴジラ』のオキシジェン・デストロイヤーなる武器でゴジラを葬るという結末がいまいちな気がしてたので、この映画のような作戦の方が面白く感じた。
ただ、いつまたゴジラが襲撃してくるのかわからないのに、飛行艇の整備に過去の因縁がある橘にこだわる敷島にはちょっと疑問というか、気持ちはわかるけど他に優秀な整備士がいるなら、こだわっている場合じゃないんでは?という気持ちがしてしまう。
さらに、特攻から逃げた敷島に理解を示した橘が、ゴジラを恐怖から撃てなかった件に関してはやけに敷島を責めて彼ひとりに十字架を背負わせるのも理解出来なかったな。
クライマックスの海神作戦でゴジラのテーマ曲がかかったときは最高に気分があがった。コアなゴジラファンにはこのタイミングでゴジラ登場時のみにかかるはずのテーマ曲が使用されたことに不満を覚える人もいるようだが、私は単純に気持ちが高まった。
私は素直にこの作戦の成功を願っていたので、ゴジラが沈むにせよ、浮上するにせよ、いちいちはらはらさせられた。
結局は作戦は失敗し、敷島が最終的に特攻してゴジラ内部破壊という結末になってしまうのだが、そのあたりの伏線は大変わかりやすいので、特攻しても「助かるんだな」というのが見え見えすぎで、意外性もなく感動にも至らない。
この物語のテーマが生き残るための戦いであるから、そのような結末になるのはわかるけど、さらに典子まで生きているのはやりすぎというか安藤サクラのもとに電報が届いた時点でこの結末もお察しだったし、さすがに無理があってすっかり冷めた気持ちになったことは否めない。
まあ、死を美談としない姿勢は買うけどね。
ゴジラが死んだ時、皆が敬礼する意味もよくわからんかったなー。
最後にゴジラはまだ死んでません的演出も蛇足。
『シン・ゴジラ』もそうだったけど、あわよくばシリーズ続けるよ的結末はもういいよ。
特にこの映画に関してはそういうのはいらなかった気がする。
1作目のように、核実験を続ける限り新たなゴジラが生まれる可能性を示唆する程度でよかったんでは?
でも、まあ、総じてゴジラパートの絵面は全般的に良かったと思う。
さて、人間ドラマの方に関しては、まあ、いろいろ引っかかるよねー。
まずこれはもうどうしようもないことなんだけど、俳優がどうしても皆現代人って感じで、戦時中や戦後の空気感にリアリティを感じられないのよ。役所広司が『日本のいちばん長い日』のリメイクの際に、今の俳優ではどうしても当時の人々の雰囲気が出ないことを認めていたけど、やっぱりいくら俳優が頑張って演じてもそのあたりに無理を感じてしまう。
朝ドラなんて揶揄されてもいるけど、いくらその点に目をつぶろうとしても、やっぱりそこがネックとなってドラマに没入出来なかった。
あと、時々舞台劇を観ているような気分にもなった。
なんだかいかにも芝居芝居した演技だなーと。
敷島が焼け野原になった東京に戻り、安藤サクラが彼を責めるシーンも、いくらなんでも復員兵にそんなことを言うか?という疑問を覚えてしまった。よしんば、空襲で家族を亡くした痛みから思わず言ってしまったのだとしても、安藤サクラの演技では空襲を受けた人間の苦しみがいまいち感じられず、ただの嫌な女性にしかみえない。
だから、感じの悪い女性だけど実は根は優しいみたいな展開もいまいちのれなかった。
というか、彼女普段何してるの? 何で生計たててるの?
見ず知らずの子どもを預かり、敷島の所に居座る典子もいまいち魅力を覚えず、この三人が家族となる過程もやはりいまいちかなー。
このあたりは人間ドラマを描くのがいまいちと評される山崎貴監督の限界か。
一番疑問に思ったのが、敷島が海上で再度ゴジラと遭遇した際に、ゴジラが東京に向かっていることを知っていながら、暢気にその後も普通に生活している点である。あれだけゴジラの脅威を目の当たりにしたんだから、それこそ典子や明子を連れてどっか逃げればいいのに、なんで典子を銀座の仕事に送り出しちゃってるの?って思った。危険な怪物がいつ上陸するかわからんのだから、止めろよって思う。
で、いざ、ゴジラが上陸したとラジオで知って動揺するのだが、おまえ、この可能性知ってたのに今頃動揺かい!って感じだったね。
佐々木蔵之介は好きな俳優だけど、あのキャラクターはちょっと過剰だったかな。
吉岡秀隆は相変わらずといえば相変わらずなキャラクターなんだけど、いずれにせよ、登場人物がちょっと漫画チックな印象を受ける。
モブシーンに橋爪功に似た人をみかけたが、あれは本当に橋爪功だったらしい。友情出演的な?
そんな感じで、いろいろドラマ部分に薄さを感じなくはないが、それでも、最近戦死した伯父のことをいろいろ知ったので、なんとなく伯父のことを思って、最後に敷島がゴジラと対峙するあたりは少し泣けたな。伯父は特攻ではなかったけど、やっぱり飛行艇で偵察からの帰還途中で撃墜されて死亡したので、なんとなく、伯父も生きたかっただろうなーとふと考えてしまったんだよね。
ゴジラの被害は本土では銀座だけにとどまったけど、あれだけの被害を受け、そのゴジラの脅威から救われた庶民の反応とか姿とかも描いてほしかったね。
せっかく終戦直後の日本を舞台にしながら、主人公敷島の個人的成長を描いた作品だけで終わった感がもったいない気もする。