ネタばれあり
エヴァンゲリオンに関してはTVアニメは観てなかったし、あの当時のブームにもまったく乗っかっていなかったのだけど、この新劇場版四部作は序、破、Qと一応全部観た。今回シンがアマプラでやってたので、これにてコンプリート。
昔からロボットアニメが好きじゃなかったけど、人気があるだけあって、なんとなくこれまで観たことのあるロボットものとも趣が違い、視覚的に面白いものがある。
女性キャラクターはいかにもなアニメっぽいキャラで好きになれないけど、でもところどろこ刺さる感じがあるのが興味深かった。
伊達に人気があるわけじゃないんだなーという感じだ。
ちなみに貞本義行のコミック『新世紀エヴァンゲリオン』は一応読破した。
テレビアニメはラストが崩壊したようだが、コミックはそれなりに納得いく作りになっていた。内容は殆ど忘れたが読み終わった後「納得」と言う気分にはさせてもらえた気がする。
崩壊したテレビアニメ版はその後の劇場版でさらに救われないままに終わったようだ。これも観ていないのだが、シンジがアスカの首を絞めて「気持ち悪い」と言われるラストだと言うことは知っている。
で、この新劇場版四部作は割とコミック版に近い感じでまとまったかなーと言う感じはする。
自分はエヴァンゲリオンの世界観と言うのはひとりの少年の心象風景なんだなーという理解であり、少年がある種のイニシエーションを経て大人になる物語だと思っている。
この物語は庵野秀明監督自身の投影だとする話しもある。
その為か、テレビアニメ版では登場しなかった新キャラ、マリが破から唐突に登場し、ある意味シンジ、レイ、アスカで拮抗した物語を破壊し、突破口を作り出す役割を担っている。
このマリが庵野秀明監督の妻である安野モヨコなのではないかという説もある。
シンジ以外はエヴァに乗るのは殆ど女性で、その女性皆がシンジを好きというハーレム状態な話しで、これが監督がこれまで関わった女性観に基づくものなのかどうかは知らんが、そう考えるとちょっと気持ち悪い話しだなーという感じもなくもない。
コミックや旧劇場版のラストを考えると結局シンジの本命はアスカなのかなーと思ってたのだが、新劇場版でマリと繋がるということは、アスカはかつて監督が好きだった女性だが、マリが登場したことによって過去の女性になってしまったのかなーという気もしてくる。
だからマリが「イスカリオテのマリア」と呼ばれ、イスカリオテのユダ同様、当初の物語を裏切る存在となり、聖母マリア、あるいはマグダラのマリアという意味で、主人公の最終的パートナーとしての役割を担っているのかなーと言う感じがする。
これは人との関わりの中でいろいろ失敗を犯した主人公の贖罪の物語でもあって、これまで関わった人を理解し受け入れ、最終的には自分がその責を負う覚悟を持つほどに成長する。ここはこれまでのうじうじシンジを観ていた者にとってはかなりカタルシスがある。
ちなみに自分がこの物語で興味深かったのは、やはり綾波レイとカヲルの存在だ。
綾波レイはシンジの母親のクローンと言う設定だが、これは男性が無意識に求める母親像なんだと思っている。
シンジは出会う女性にどこかでこの母親像を求め、ある種の女性はそのイメージに答えようと母親を演じる。だが、相手の求める姿を演じることで、己の自我を失い、結局崩壊してしまう。そして次の女性もまた、同じ過ちを繰り返し崩壊していく。レイがクローンなのは、シンジが女性に永遠の母親像を求め続けるから、出会う女性すべてがクローンのようにシンジの母親を演ずることになる為という解釈。
カヲルもレイと似たところがあって、これまたシンジが理想とするイマージナルフレンドみたいな存在。でも、現実の人間が相手の理想通りの存在を演じると結局崩壊してしまう。
カヲルとレイが最終的に崩壊してしまうのは、しごく納得というか、ある意味カヲルとレイは一対の存在みたいだ。それを意図してるのか、ふたりは髪色と目の色が同じだったりする。
シンジが生きる現実世界とおぼしき世界では、カヲルとレイのカップリングがちらりと描写される。なんていうか、ぴったりのポジションに収まった安堵感を覚えた。
しかし、アスカはここには登場しない。過ぎ去った女、互いに繋がる事の出来なかった存在として葬られてしまったかのようだ。
(ちなみに私の理解力が足りなかったようで、アスカはケンケンと結ばれたと言うことらしい。そういう意味では一応全員に救いがあるような仕掛けにはなっている)
にしてもアスカやレイは一応背景が理解出来るのだが、マリに関しては最後まで得たいが知れなかった。
やたら懐メロを歌い、語尾にニャなんてつける気持ちの悪いしゃべり方をして、よくわからないけどシンジに好意をもちまくっている。このマリがコミックではシンジの母親の友達だったということから色々裏設定はありそうだが、映画だけ観てるとさっぱりわからん。
結局のところ、マリもシンジが描く理想的な女性のひとりに過ぎないようにも思うのだが、どうなんだろう。
理解出来ないという点では彼女が一番理解出来ない存在だった。
そしてシンジはいろんなイニシエーションを経て確かに大人になったが、ちょっとチャライ大人になったなーという後味だった。
でも、とりあえずお話的にはやっと本来の着地点に着地出来て良かったねと思う。
ただ、胸が大きくて、主人公を犬のように可愛いと言い、無条件に愛情を注いでくれる新しいママが出来たようにも見えるのがなんとも…。
まあ、エヴァンゲリオンに関してはコアなファンがいろんな分析を試みているだろうし、にわかの私が浅い解釈するのも野暮とは思うが、自分が観た感覚としてはそんなところかなー。
戦闘シーンは相変わらず訳わからんけど、なんか視覚的には面白いかなーと言った感じ。
そうそう、途中で流れる「私があなたと知り合えたことを、私があなたを愛してたことを、死ぬまで死ぬまで誇りにしたいから」がずっと「知ってる曲だけど、誰の歌だっけ?」状態で、後で調べて松任谷由実の『VOYAGER〜日付のない墓標〜』だとわかって納得した。でも、この曲ってユーミンの中でもちょっとマニアックだよね?(映画『さよならジュピター』の主題歌で書き下ろされた曲だから私が思っているより認知度高いのかしら。いや、『さよならジュピター』自体マニアックだけどな)