日本の映画監督第一人者と言える黒澤明監督作品。
意外にあまり観てないんですよ。
これまで観た作品も『羅生門』『七人の侍』『用心棒』、あと『夢』をちょこっとってレベルでして。
これだから映画レベルがミディアムレアからあがらんのです。
で、この『生きる』も評価の高い作品ですが、子供の頃テレビ放映の際にチラ見した程度で、のちにちゃんと観ておけばよかったと後悔した作品でもありました。で、いつかちゃんと観ようと思いながら幾年月、今になってやっとそのいつかが来たようです。
正直、あらすじは知ってるし、ほぼ観たような気がしちゃってました。
特に最初の役所のたらい回しは子供の頃に観た印象に残っているし、ポスターにもなっているあまりに有名な「ゴンドラの唄」とブランコのシーンは何度か目にしてるので、まったく初見の気が致しません。
でも当然ながら細かい部分は知らない訳で、今回やっとちゃんと観られた言う自負を得ることが出来ました。
いや、映画って自負を得る為に観るもんじゃないんですけどね。
ネタばれ
自分の老い先が短い事を知った主人公がねー、もう、志村喬がおめめを見開いて鬼気迫る演技を見せる訳ですよ。
その演技がちょっと怖いというか、彼につきあう小田切みきがね「気味が悪い」と言い出すのもわかるような形相でしてね。
役所仕事というただただ事務的な仕事を淡々とこなして日々を無為に過ごし、ミイラとあだ名がつくようなリビングデッドである主人公が己の死を目前に、残りの人生をどう生きようかとあがく姿をちょっと退屈とさえ思える尺で見せられるので、やっと生きる意味を見いだした主人公の新たなはじまりを象徴するようにハッピーバースデーが歌われる階段のシーンはすっきりしましたね。
で、目覚めた主人公が公園作りに踏み出す一歩であっさり数ヶ月後の葬式シーンに飛ぶという急展開。
ここからは回想によって、いろんな人の視点でその後の彼の姿が語られる訳ですが、公園の工事を太陽の光を浴びながら満足げに眺める主人公のアップなど印象的です。
主人公の息子が何故癌であることを自分に話さなかったんだと愚痴る場面は、「おめーが言いづらい空気にしたことに気付かんのか!」とイラリとしました。なんかこの息子にはもうちょっとお父さんの思いに気づいて欲しかったなーと言う気分です。
ブランコのシーンはもはや「きたー!」と言う感じで、「命短し恋せよ乙女」と歌ってはおりますが、まったく老いらくの恋の話しではないというね。
命は短い、だからこそ恋するように何かにエネルギーを注ぐことこそが生きるということを意味しているのかもしれません。
ただ、こんな主人公の生き様に感銘を受けても、結局いつもの日常に忙殺されるというのもまた人間の姿であり、少しもの悲しい現実でもあるのですが、でも、時に人がみせるこうしたパワーが次の世代へと繋ぐ礎となるのだなーという微かな希望を抱かせるものでもあるのです。
自分はクリエイティブな仕事についているので、はなっから物を作り出す日々を生きていますが、死を目の前にして、主人公のような大きな満足を得られるものかはわかりません。
突き詰めると「生きる」ことに意味があるのかないのか、意味は見いだすものなのか、作り出すものなのか、何を持ってこの人生を生きたと満足出来るのは人それぞれかもしれないし、よくわからんのです。
いい映画だなーと思うのですが、生きることのひとつの答えであったとしても、自分にとっての正解であるかどうかはまた別のお話という感じで、完全に腑に落ちたという気分でもありません。
若い頃だったらもっと感動したかもなーという気分です。ある意味ちょっと生きることに疲れているのかもしれません。
