2008年に起こったムンバイ同時多発テロという実話を基に描いた映画。

9.11のニュースは当時衝撃的であったが、こちらのニュースは全然記憶にありません。が、これもかなり大規模なテロ事件で、インドがターゲットとなることが意外に感じられました。いえ、どちらかと言えば今のテロってイスラム教圏対キリスト教圏というイメージだったので。さらにテロのイメージとしてはどちらかと言えば爆破的なものが多いが、これはどちらかと言えば虐殺に近い恐怖感を覚えます。

五つ星という国際的なホテルを有するムンバイが、こうしたテロに対抗する特殊部隊が存在せず、意外にもろいというのは、ある種盲点というか、これまでこういったテロの危機など想定する必要がなかったくらい平和だったと言うことでしょうか。

映画ではチャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅、タージマハル・ホテル、レオポルド・カフェの三箇所が取り上げられていますが、実際は南ムンバイでは8件ものテロが同時に起こっていたのですから、さぞ混乱の極みだったのでしょう。

対抗する警察が拳銃しか保持していないのに対して、テロリストは機関銃ですからね。勝ち目がありません。

 

私のインドの知識は浅いので、インド人は皆ターバンを巻いているものと思っていたのだが(そう思っている日本人は実際多い)、実はインドでターバンを巻いている人たちはシク教徒で1.9%ほどらしいです。

この映画のアルジュンもターバンを誇りにしていましたが、彼はシク教徒だったのかしら? ホテル客がターバン=イスラム教と捉えて彼を恐れる描写がありましたが、このあたりのターバンにおける宗教的背景に関しては自分はちょっと知識足らずだったなーと思います。

ちなみにインドはヒンドゥー教徒が多いとされていますが(約80%はヒンドゥー教徒)、実はイスラム教徒も存在しているようで、そうした宗教対立が20世紀以降目立ち始めているということらしいのですね。その対立を煽ったのがかつてインドを植民地支配していたイギリス人というのですから、西洋人はやっぱり罪深いなーという気が致します。

片や牛を、片や豚を神聖視する宗教観の違いが映画の中でも描写されていましたが、信仰のない自分の視点から見ると人間って本当に不思議な生き物だなーという気が致します。

 

インドといえば、カースト制ですが、まさに富裕層との格差のすごい国という印象で、金持ちはそれこそタージマハル・ホテルに象徴されるような五つ星ゴージャスホテルな世界に所属し、そのすぐ側には生活に困窮する人々の暮らしがある。2人目の子供を授かったアルジュンは自分の足を痛めてもホテルの従業員を首になる訳にはいかない状況だし、そんな彼らが富裕層の為に命をかけて彼らを守る姿はある主皮肉にさえ思えてきます。

「お客様は神様」とは嫌な言葉だなーとつねづね思っておりますが(日本においてはこの言葉を言い出した三波春夫の趣旨とは違う解釈で広まってしまった言葉のようですが)、多くの従業員が逃げずに客を守った姿は美談というよりも、どこか富裕層の為に命をかける彼らを悲しく感じてしまうのです。アルジュンはふたりめの子供が生まれるというのに何故ホテルに残ったのか、そこに信念とか、英雄的心情があったのかはちょっとわかりませんね。

とにかくこれが貧富の差の無いなかで、プロフェッショナルとして従業員が客を守るという話しならば感動もあるんですけど、この物語に関してはちょっと複雑な気持ちが致します。それでも、賢明に宿泊客の為に帆走する従業員の姿はテロと対比した人間の姿として恐ろしい世界の隣り合わせにヒューマニズムが存在すると感じる所ではあります。

 

とにかく自然と自分がこのホテルの宿泊客だったらどうするだろうなんてことを考える映画で、突然テロの恐怖にたたき込まれる臨場感を覚えます。

 

 

ネタばれ

さて、ホテル客としては、建築家アメリカ人とインド人の夫婦、そしてロシア人のVIP客がメインで登場します。アメリカはまさにイスラムとの対立、ロシア人はアフガン侵攻という、現在のテロの背景に関わりがある訳で、どこか因果応報的にもうつります。勿論建築家夫婦の悲劇は心痛いものではありますが、こうした富裕層の繁栄の影に、生きることに困窮する貧困層がいるという現実を痛感いたします。

ちなみにロシア人は最初からいい印象がなく、娼婦を物色するあたりから嫌な印象で、建築家の妻ザーラに対しては変な下心があるんじゃないかとずっと不快でした。結局思うほど悪い人物という訳でもなく呆気なく死んでしまったので、彼の扱いはちょっと物足りない印象ですね。

アメリカの建築家はなかなかイケメンで頑張っていたんですが、やっぱり呆気ない最後でした。

アルジュンやザーラが無事に生還し、赤ん坊と再会するあたりはこの恐ろしい世界に辛うじて希望を残す映画的結末になっています。

 

アルジュンの靴は意味深だったので、あとに裸足になった際、ガラスの破片を踏まざるを得ない危機に陥る『ダイハード』ブルース・ウィリス的伏線かと思ったら、それはなかったですね。

 

テロリストたちもね、彼らの苦しい人生が透けてみえるんですよね。まさに白石監督『オカルト』の江野くんの心情とリンクするものを感じるというか、彼らにとって現世はまさにクソみたいな人生なんだろうと思えるんですよ。

テロに協力すれば家族にお金が入る。自分はこの苦しい人生から脱却して死んでユートピアに行ける。神の御心のままに異教徒を殺すことは善であると誇りが持てる。こんな風に信じ切って無情に殺戮を繰り返す若者の姿も最後に制圧されてほっとすると同時にもの悲しく思えます。

そんなテロリストがタージマハルホテルという、自分の人生では絶対踏み入れられない領域に足を踏み入れ、その美しさに見ほれる描写など、この世の格差、不公平感をまざまざと思い知らされます。

しかし、盲信のあまりに視野が狭くなり残酷なことを平気で行ってしまうというのは本当に怖いですね。

フロント係に客室へ嘘の情報を言わせ、ドアを開けさせて殺すと言う一連の流れなど、フロント係の自分の電話が即殺しに繋がるという痛々しさで、辛い描写でした。

 

それにしてもこれだけの恐ろしい惨劇のあったホテルが再開し、また宿泊客が戻ってくるというのもちょっと驚きというか、自分だったら怖くて行けないなー。