とくに意図した訳でもないのに、『この世界の片隅に』に続き、終戦記念日を前にこの映画を観るというのは、何かに導かれたのでしょうか。

 

1987年公開で、数々の賞を受賞しドキュメンタリーとしての評価も高い。
というのも奥崎謙三と言う珍奇な存在あってのこと。

この作品を観る前は『ありふれた事件』のような映画を想像していたのだが、そういう感じではなかった。

ドキュメンタリーなのでしょうがないのだが、全体的に会話が聞き取りづらいのがネック。

 

 

ネタばれ

のっけから、祝言の最中、新郎が前科一犯、仲人である奥崎自身が前科四犯という衝撃的な挨拶。さらにこれから家庭を持とうと言う夫婦を前に「国も家庭も壁を作るだけなので無くした方がいい」とアナーキーな挨拶するぶっとび加減。

また、本人の著書である『田中角栄を殺すために記す』と書かれたお店のシャッターや右翼っぽい車。自らを“神軍平等兵”と名乗り、昭和天皇をパチンコで狙撃、皇室ポルノビラをばらまき、不動産業者を刺殺と、かなりいっちゃってる人という印象ではあるが、言ってることは割とまともで態度も紳士的である。

なんでこのドキュメンタリーでどんな過激な事が起こるのかとドキドキしたが、そこまでやばいことにはならなかった。というか、自分が所属していた独立工兵隊第36連隊内の中隊長ほか3名の殺害を計画し、中隊長の長男に向かって発砲するという一番やばいエピソードはこの映画では描かれていない。さすがにそこまでは追えないか。

「よい方向に向かう暴力なら自分の責任においてこれを辞さない」という考えの持ち主で、ところどころはもっともなことを言ってるようでもあるが、全面的に支持出来る人物ではなく、やっぱりある種の狂気を感じる。

監督も途中で撮影を止めようかと思うほどだったので、なんていうか、危険な人物であることには違いない。

 

しかし彼のこの狂気に満ちた反戦と「事実を明らかにして戦争の恐ろしさを後生に伝える」という使命感が、饑餓による食料としての生け贄、人肉食いが行われていたという軍隊の暗部を明らかにしたのも事実で、なんていうか、怪我の功名とでも言うのか。奥崎はもと陸軍軍人だし、リアルに戦争を体験した人物と言う意味では、その怒りには正当性がある。
また、奥崎が処刑の対象となった兵士の母親と共にニューギニアに行こうと約束するシーンなどちょっと心温まる人間性もあったりして、人間って複雑な生き物だなーと思う。
 

70年代あたりまではこういうストレートな反戦を訴える空気があったと思うのだが、80年代のやや軽薄とも思えるバブル時代を経て、その後どんどんこういう気概が衰退しているように思う。戦争体験者が減り生々しい怒りや悲しみが薄れていく分、冷静にあの戦争を検証しつつも、悪夢を繰り返さない方法も見いだせればよいのだが。