『ブラック・クランズマン』を観た流れって訳でもなく、たまたまレンタルしてたんですよねー。
『イントレランス』を撮ったデヴィッド・ウォーク・グリフィスの問題作。(私はこの監督は『イントレランス』の方で知ったんですけどね)
映画文法の基礎を築いたと言う意味では映画史的価値があるが、内容は大いに問題という、扱いに困る作品。
1915年公開の無声映画で上映時間165分に及ぶ長編。無声映画で165分ですよ!(無削除盤190分も存在すると言うのだからガクブル)。なんだか観るのが億劫になる。
監督、脚本のグリフィスは父親が南北戦争の南軍の英雄なので、思想的にそっちよりなのは納得というか、南部の人間の意識をリアルに知ると言う意味では『風と共に去りぬ』同様、意味があるとは思う。ただし、『ブラック・クランズマン』で語られるように、この作品によってKKKが復活したり差別が助長されたと言うのだから取扱要注意だ。
ちなみにこの映画が収録されていたDVDの最初に、淀川長治の解説が入っているのだが、「いかに北軍が南部の黒人たちを憎んだかが見事に出てるんですね。グリフィスが北軍の人で、北軍びいきなんですね。それで黒人を随分いじめるんですね」とか言ってたけど、それ全部南軍の間違いじゃないか?
さらに「KKKは黒人を見たら殺すんですね。黒人をみんななぐり、黒人の家を焼くんですね」と言ってたが、黒人を見たら殺して、みんな殴ってたらKKK凶暴すぎるし、大虐殺だよ。少なくとも初期のKKKはそこまで過激じゃないし、第2のKKKは攻撃対象は黒人に限った話ではなかったようだし、微妙に「ん?」と思ってしまう解説だった。
ネタばれ
実際、観ると、長いし、無声映画で登場人物が口をぱくぱくさせ、後に文章で説明されるという流れはかったるく、なかなかしんどかった。活動写真とはよく言ったもので、動く写真入り絵本みたいなものを延々みせらる感じ。
勿論、見所はある。リンカーン暗殺の再現などは暗殺当日劇場で上演された芝居の脚本を使い、リンカーンが暗殺される瞬間の台詞まで再現したのだと言うから、堂に入っている。
また、使用人ガスにフローラが襲われるシーンの緊張感や、KKKの集団が集結し南部の混乱を収めるシーンなども叙事詩的でよく出来ている。いやー、悪の象徴みたいなKKKがヒーローに撮られている映画なんて初めてみたよ。
第一部は史実に沿った記録映画的趣があり、南軍と北軍のふたつの家族が恋愛や交流がありながらも戦わねばならないという戦争の悲しさを描いた作品と言える。ここまでは別段問題ない映画なのにね。
問題は第二部。一部は確かにドラマというよりは南北戦争勃発から集結までを比較的史実に沿って描いたものとなっているが、第二部に関して冒頭で「再建の時代を歴史的再現したもの」と言いながら、どこまでが史実に基づいたものなのかは謎。例えば公職についた黒人が横暴にふるまったり、南部の白人が黒人の下に追いやられたり、黒人が選挙権を持つ反面、白人指導者は選挙権を剥奪され、黒人が選挙で圧勝し、州の下院が黒人に牛耳られ、議席数も黒人が圧倒的に多いなんてことがあったのだろうか? 1mmでも元となったネタがあるんだろうか?
(実際「いくつかの州では、州議会の下院議員の半数近くが黒人議員によって占められた。また、州政府の各種機関に多数の黒人が進出した。そればかりか、国の政治にも直接関与し、1869年から1876年の時期に、14人の黒人下院議員と二人の黒人上院議員がワシントンの国会に送られた。<本田創造『アメリカ黒人の歴史 新版』岩波新書 p.132>」(https://www.y-history.net/appendix/wh1203-061.html)とあるのだが、やはり多分に誇張され、偏見のある描写であることに違いない。)
この映画では黒人を演じる俳優は殆ど白人で、黒人のメイドにいたっては白人の男性が演じたと言うのだから、実際白人が黒人の下に追いやられるなんて状況とは真逆だった訳ですな。
当然KKKによる粛正もフィクションよね。
このあたりは、白人が考えるディストピアというか、潜在的に南部の白人が抱える恐怖心を描いているように思える。
ご丁寧に、南部北部両方のお嬢さんが、黒人(ひとりは白人とのハーフ)に求婚される流れもあって、黒人を成敗する大義名分として使われる(実際のところ、使用人ガスはフローラをレイプするつもりだったのかはよくわからない。具体的に手を出す描写はないし「何もしないから」と口では言っている。口で言ってるからと安心は出来ないけど、少なくともあの描写ではフローラを勝手にパニック起こして崖から飛び降りたようにもみえる。まあ、嫌がってる女性を追い回しちゃいかんよとは思うけど)。
だから、本来KKKの成り立ちはこの映画に描かれるような流れではないが、完全に白人を救い、アメリカに秩序をもたらす正義の使徒となっている。
なんつーか、まあ、ファンタジーなんですなー。
第一部が史実に沿っているだけに、第二部で急にファンタジーに振り切られちゃうのは違和感あり。
これじゃあ、第一部の流れから第二部も事実と思い込んじゃう人がいても不思議はないね。
そんな問題作ではありますが、1915年にこれだけの映画を撮っちゃうグリフィスが映像作家として類い希な才能があったのは間違いないようで、これで内容さえよければと惜しまれる作品です。
もっとも彼の作品の中でもこれが一番のヒットとなったようで、なんとも皮肉なものです。