ネタばれで行きます。

 

1902年(明治35年)に起こった210名中199名の死者を出すという世界最大規模の山岳遭難事故、八甲田雪中行軍遭難事件を元に書かれた新田次郎の小説『八甲田山死の彷徨』原作の映画化。

実際に事故のあった八甲田山でロケをし、3年の月日を費やした大作である。

撮影中、俳優が逃げ出し、凍傷になり、遭難しかけたと言われる本作は、いや、その臨場感たるや、古い映像もあいまって、時にドキュメンタリーのような趣さえある。

その鬼気迫るまでの映像が、この大惨事を際だたせる力作となり、169分に及ぶ作品であるが、まったく長さを感じさせず、ただただ極寒の悲劇に見入った。

 

あまりに有名な事件であり作品であるだけに、なんとなく知った気になっていたが、ちゃんと作品を見るのもはじめてなら、どのような事故であったかを知ったのもここに来てという感じで、今更ながら事件の衝撃に圧倒される。

 

小説も映画も事実そのままを描いた訳ではなく、多分にフィクションも加えられている。

特に、弘前第31連隊の高倉健演じる徳島大尉(モデル福島泰蔵大尉)と青森第5連隊の北大路欣也演じる神田大尉(モデル神成文吉大尉)との交友はフィクションである。

wikiによれば「両連隊は、日程を初め、お互いの雪中行軍予定を知らずに計画を立てた」とあり「行軍競争などは創作」とされる。

ただ、このフィクションの要素が映画的には効果的であり、両連隊の対比を際だたせているし、最後の徳島大尉と神田大尉の再会シーンはひとつの感動シーンともなり得る。それがなければ両連隊の繋がりは希薄となり、ただただ人がばたばた死ぬだけの映画で終わってしまっただろう。それ故に、さらに兄弟でそれぞれの隊に参加し、弟の死を察知するなどのエピソードを加えることでより両隊の関連性を効果的に盛り上げている。

もっとも、映画のように実際福島大尉と神成大尉が交友関係にあって、先に冬の山岳に対する福島大尉からのレクチャーがあったならば、あんな悲惨な事にはならなかったと思われるが、そこは、行軍競争という側面があった為に、本来は弘前第31連隊同様少数による行軍であったにも関わらず、急遽210名という大所帯となり、指示系統の乱れもあって、悲劇が誘発されたというフィクションを加える事で辻褄を合わせている。

 

この為三國連太郎演じる山田少佐(モデル山口鋠少佐)は悪役のような立ち位置となり、彼の状況判断ミスにより事態が悪化する超本人のような扱いである。まあ、物語としてはその方がわかりやすいし、盛り上がるのだが。

実際のところ、山口鋠少佐は指示系統のトップであったことは確かだが、遭難事故が彼ひとりの状況判断ミスによるものとは言い難く、また彼の末路も自殺他殺と説はあるものの(映画では銃による自殺)、最終的には治療中のクロロフォルムによるショック死とされる説が有力なようである。

 

徳島大尉と神田大尉はあたかも上層部の無茶ぶりと知りつつも、命令に背けぬ下っ端の悲哀のように描かれているが、実際は福島大尉率いる弘前第31連隊は雪中行軍における研究の3年がかりの総決算で、かなり用意周到なのに対し、青森隊は雪中行軍の備えに対する経験、知識、情報、すべてが脆弱で、神成大尉に至っては前任の指揮担当者が急遽任を解かれた為に、3週間前に指揮官となった為に余計に予備知識が不足していた模様。

映画でも有名な台詞「天は我々を見放した」の元となった言葉「天はわれわれを見捨てたらしいッ!」と言う言葉を発したことにより、隊の士気を一気に下げ、惨事に拍車をかけたとされる。映画でもこの言葉と共にばたばたと隊員が倒れる様は不謹慎ながらちょっとしたコメディのようにも思えた。いやいや本来怖いシーンなんですけどね。

神田大尉は舌を噛み切り、自殺を果たすが、最近では舌を噛み切っても死ぬことはないというのは定説。

山田少佐にしても神田大尉にしてもフィクションの世界では責任を取って自害するという日本的美学にのっとっている。

実際の神成大尉は凍死寸前できつけの注射の針も通さぬほど体が凍り付いたところを発見され、一瞬意識を取り戻すもそのまま昏睡状態に陥って死亡されたとされているようだ。

 

加山雄三演じる倉田大尉(モデル倉石一大尉)は比較的聡明な人物として唐突に登場する。いや、もっと前からいたのかもしれないが、印象薄いっていうか、なんとなく唐突に現れたように感じられた。実際俳優の顔が暗すぎて誰が誰だか時々わからなくなるというか。
そもそも倉田大尉が最初からいたなら、何故最初に山田少佐が夜明け前に帰営するという決断を止めなかったのよ、と言う気分ではある。

まあ、実際倉石大尉はたまたま身につけていたゴム長靴が幸運となり凍傷にかかることなく、五体満足で生還した希少な人物であり、そういう意味では実際優れた判断力があったのかもしれない。

 

映画だけでは状況がわかりにくい面もあり、あらかじめ実際の事件に目を通していたので、極寒における矛盾脱衣という現象や(私が矛盾脱衣を最初に知ったのは坂本眞一『孤高の人』である)、手がかじかみ放尿出来なかったものが、衣服に染みた尿が氷り凍傷に至って死亡したなどの描写は理解出来たものの、予備知識がないと若干わかりにくい。

最初に死亡した隊員の死因について、医者が説明するシーンなどは二度見直したが何を言ってるのかさっぱりわからなかった。ようするに汗が染みた衣服が凍り付いて凍死したということらしいが、あの描写もわかりにくい。

峡谷から滑落する場面は凄まじく、どうやって撮影したのかわからないが、非常に臨場感があった。

 

青森隊の悲惨さに対して、弘前隊は過酷ではあるものの、非常に用意周到で堅実。何しろあの健さんが率いているのだからどこか安心感がある(途中ずっと数を数えている描写が気になったが、あれは歩速を調べるためだったのか。なるほど。)。健さんは終始紳士で、案内人に対しての敬意も忘れぬ完璧な上官。実際は案内人に対する扱いはもっとひどいものであったようだが、ここも映画的に実に美しく描かれている。

同じ過酷なミッションを受けた同志としてその死を悼む涙も美しい。

 

こうした過酷な状況をせっかく生き延びた福島大尉と倉石大尉がその後日露戦争で亡くなるとは、なんとも勿体ない気持ちがする。

ちなみに仮死状態で発見されたという後藤房之助伍長の銅像は見てみたい。この銅像を見るためのスキーコースで雪崩が起きてあらたな犠牲者が出るというのも若干呪いのようにも感じられるのだが。

 

映画では、緒形拳演じる村山伍長(モデル村松文哉伍長)がラストを飾る。

その銅像の知名度から言って後藤伍長が最後を飾ると思っていたので、これはちょっと意外な。

僅か11名の生き残りは、その殆どが凍傷で手足を失ったという。村松伍長も両足と指を失ったそうだが、後藤伍長に至っては四肢を失っても尚、乗馬を嗜み、結婚し、子供もいたというから、まだ救われる。

 

青森隊と弘前隊の比較は、南極点を目指したスコット隊とアムンセン隊の明暗を分けた悲劇を思い起こさせる。ここでも寒冷地におけるアムンセンの経験や知識、堅実さが功を奏し、対してスコット隊はその種の知識も経験も希薄だった故の全滅という、まさにと八甲田山の事件と被る所ではないか?

やはり困難に挑む時、知識、経験、もしくは地元民の進言には耳を貸すべきだという教訓である。←そういうまとめ?

 

※そうそう、極寒の中、子供の頃の夏の風景を思い出すシーンがあるが、私だったらあんな寒さの中で水遊びしている時のことなど思い出さないなー。夏はともかく冬は水遊びなんて考えただけで寒くなるよ。

 

※当然ながら色気のない映画でございますが、いや、あのふんどし男に色気を感じる人もおられるかもしれませんが、とりあえず秋吉久美子の存在が一服の清涼剤というか映画に華を添えます。