遠藤周作の原作に最初に触れたのは教科書だったが、最後のイエスの言葉が非常に印象深い作品。 
映画もまだ1カ月ちょっとだけど今の時点で今年一番面白いと感じた。 
まるでSF映画を観ているような、日本がとんでもない異世界に感じられた。あたかもスターウォーズのジェダイが行方不明になったジェダイマスターを探しに異星を訪問するような感覚と言うか(これはきっとフェレイラ神父をリーアム・ニーソンが演じていたせいだと思う)。 
と言ってもマーティン・スコセッシ監督が描く日本は、実際に多くの日本人俳優が起用され、ちょっと日本人がみんな流暢に英語しゃべりすぎかなーってこと以外は、割と違和感ない日本像ではある。
司祭が食事にがっつき、信者が食前の祈りを捧げる気まずいシーンが面白かった。

この映画を観て、キリスト教ってマゾヒスティックだなーとしみじみ思った。 
わざわざこのような困難な状況に首をつっこまなくてもと言う気もする。彼らの行動は一種のヒロイズムさえ感じる。
とはいえ、このお話の怖さは、宗教というバックグラウンド抜きにして、やっぱり自分の意志に反した行為を行わざるを得ない状況に追い込まれることにある。踏み絵を踏むということは自分の信念を踏むことであり、それは時にものすごく辛く痛いことだ。
遠藤周作はその痛みに寄り添った優しい癒やしを投げかける。

キチジローが面白すぎた。憎みきれないろくでなしというか、キチジローはロドリゴ神父に宿命づけられた悪霊のようだ。
ロドリゴ神父がこのキチジローを忌々しく思いながらも聖職者としての勤めを果たす様が面白かった。窪塚洋介のビジュアルはアンドリュー・ガーフィールドのビジュアルにもひけをとらない。
塚本晋也は、ずっと『鉄男』のイメージしかないので最初気づかなかった。普通のおっさんになったねー。
海の撮影は役者も命がけだったのでは。
(磔刑の腕の縄がものすごくゆるいので逃げようと思えばいくらでも逃げられそうに見える)
 
そもそもなんで幕府はそこまで切支丹を弾圧してたんだっけって、今更感のあるすごく基本的な部分がわからなくなって調べてみた。これまで漠然と神の前で人間は平等であるというその思想が幕府にとって都合が悪いからなのかと思ったら、もっと具体的な理由があったことを知った。
映画でもそのあたりが漠然としていて、これだと若干切支丹だけが被害者みたいにも見える。仏教のお坊さんがキリスト教を嫌う理由も過去に宣教師やキリシタン大名によって仏教徒が迫害を受けたという背景を知れば納得なところがあるし。
イッセー尾形浅野忠信とロドリゴ神父とのやりとりも面白かった。しかし時代とはいえ石女への例えは気分が悪い。
 
映画を観ている間、諸星大二郎『生命の木』が頭をよぎった。日本という沼に沈むキリスト教の教えはあの漫画のように日本独自ものとして取り込まれ、奇怪に開花するのかなーっと。