『ROOM237』を観たら本編も当然観たくなるこの流れ。
ネタばれでいきます。

キューブリックの『シャイニング』は、『エクソシスト』同様、悪霊の存在は曖昧で、主人公自身の狂気なのか、悪霊に操られたのかははっきりしない。
ただし、ホテルで起こった出来事がすべて狂気がみせた幻影だとすると、一点、物理的に説明付かないのが、食料庫に閉じ込められたジャック・ニコルソンを解放した力がなんだったのか?と言う点だ。
これについて『ROOM237』で「ダニー」が開けたという説があり、これに「なるほど」と思った私はダニーが開けたを前提に考察してみた。

まず、ダニーは勘の鋭い子供ではあるかもしれないが、最初からホテルに対して怖いビジョンを抱いている。一種の脅迫概念である。
ダニーにハロランの信じるシャイニングという能力が有るか否かはこの場合非常に曖昧だし、ハロランの思い込みのようにも見える。しかし、ハロランとの出会いで、ダニーは自分のビジョンがホンモノだと信じることになり、余計に脅迫概念が強まっていく。

一方、ジャックはもともとアルコール依存症の傾向があり、短気で、自制が利かない面がある。ホテルでの暮らしは徐々に彼のそういう面が際だっていく。
彼の狂気に拍車をかけるのがダニーである。ダニーは「僕とママをいじめないで」と唐突にジャックに訴えたりする。勿論ダニーはジャックにその要因があることを感じ取ってのことであるが、ジャックは息子の言葉に自分自身への不信を強く覚える。その直後彼は前任の管理人グレイディと同じように家族を惨殺する悪夢にうなされる。
自分の中に伺える狂気の兆候、不安を煽るダニーの言葉、まるで自分の未来を見るようなグレディの事件。
あまつさえ、ダニーは何者かに首を絞められ、妻のウエンディに嫌疑までかけられる。

ではこの237の部屋を開けたのは誰なのか?
それはダニーである。ダニーはどこからか鍵を持ち出し、不吉とされる部屋の扉を無意識に開け、自ら生み出した悪霊の幻影により、自分を傷つけ、そのことを記憶していない状態なのだ。
ジャックが自分で自分を傷つけたのだという指摘はあながち間違っていないということになる。

家族を惨殺する悪夢、ダニーやウエンディに対するプレッシャーや罪悪感、それに伴う苛立ちが、ジャック自身の中にもホテルの悪霊が彼の本心を具象化する存在として彼の中に棲み着き始める。

しかし、実はこれはダニーのエディプスコンプレックスにジャックが操られている状況でもある。ダニーは無意識下に母や自分を傷つけるジャックに、家長としての不信感を抱いており、ジャックを追い詰め、究極的にはジャックを破滅させ、母親とふたりで生きることを望んでいる。

このような願望により、ダニーは自ら悪霊を演じ、ジャックを食料庫から救い出す。勿論ダニーは自分の行動を記憶していないし、彼は都合の悪い記憶はトニーと言う別人格に成り代わることで封じている。
ちなみに、子供の頃虐待を受けたものは人格が乖離しやすい傾向にある。ダニーは脱臼のみならず日頃父親からなんらかの虐待を受けていて、トニーという人格を作り上げているのかもしれない。

ハロランに関しては、彼はシャイニングという力を信じているし、ダニーの不吉な幻想に追い打ちをかけたのも彼だけに、ホテルの悲劇を予想して駆けつけたと言える。
実際彼が本当にシャイニングという能力を持っていたら、ジャックの待ち伏せくらい勘づいていたんじゃないかと思うのだが。

ということで完全に狂気に堕ちたジャックは、家族に見限られる形でひとり冷え冷えとした迷宮で凍結するというのもある意味象徴的と言えるのかも。
ダニーは母親と逃げ、ジャックは死亡し、ここにエディプスコンプレックスは完結する。

って、まあ、無理矢理そんな解釈も考えられるけど、多分それは考え過ぎ。

ところで、この映画はラストが不可解という声が聞こえてくる。
実はこれ1976年に制作されたダン・カーティス監督による『家』に非常に酷似したエンディングで、先にこの映画を観ていた私は後に『シャイニング』を観た時に非常に既視感を覚えたのである。
片や家、片やホテルという違いはあれど、建物の悪霊によって狂わされる家族という点もよく似ているし、家族構成も父母息子(『家』は+伯母)と同じだし、写真に取り込まれるというエンディングも同じ。ちなみにスティーブン・キングの原作にはこんなくだりはない。
私はキューブリックは明らかに『家』の影響を受けていると感じたし、若干「二番煎じやん」と言う気分になったので、難解と変に頭を悩ますものではないと思っている。
ただ、『シャイニング』の場合は、ジャックがあらかじめ「ここにはデジャブを感じる」と言っており、まるで過去のホテルの支配人が転生して今のジャックになっているような印象も受ける。あるいはジャックはホテルに訪れた瞬間から、このホテルに取り込まれる運命を予見していたとも言える。卵が先か鶏が先かわからないが、彼の運命はこのホテルと共に過去と未来をループしているのかもしれない。
このあたりは『家』の方がすとんと合点がいく作りになっていて、映画自体はいまいちだったけどオチはいいなーと思わせるものがあったのだが、『シャイニング』の方はジャックが今ではなく過去にとりこまれたことが、映画を変に混乱させてしまったように思う。
別のエンディングとしてラストでダニーが投げた球が映画の途中でどこからかダニーのもとに転がってくる球だったというバージョンも用意されていたようだが、それだともっと訳が分からん感じになるのでやめて正解だと思う。