これはそれほど期待していなかったが、思いがけず傑作!
タイムトラベルものとしてはかなり秀逸ではないだろうか。
原作は ロバート・A・ハインラインの短編小説『輪廻の蛇』ということで、さすがSF界大御所の作品がベースとあって、作品の骨格がしっかりいている。
よくあるタイムトラベルクライムサスペンスものかと思ったが、そういう部分もあるにはあるのだが、もっと深い人間ドラマとしての側面を感じる。

マイケル&ピーター・スピエリッグ兄弟(今回彼らが双子だとはじめて知った)は、前作『デイブレイカー』もちょっと変わった作風で、独特のひねりが効いている。



ネタばれ

主演は監督のお気に入りなのか、『デイブレイカー』に続いてイーサン・ホーク
もうひとりの主演であるサラ・スヌーク笑顔が非常に可愛い女性。両性具有という難しい役だが、最初に登場した時は、ちょっとディカプリオ似で男性のようでもあり、ユニセックスな雰囲気もあるまさに作品の狙い通りの人物に仕上がっている。

女生としてアイデンティティを築いたものが、途中から男性に変わるというのは一体いかなる心境であろうか。前半主人公の語りを丁寧に描くことで思わず主人公の心情をおもんばからずにはいられない。

イーサン・ホークとサラ・スヌークが同一人物というのはちょっと無理があるというか、例え手術で顔が変わったとしても、頭蓋骨の形や、体の骨格まで違うものにはならんだろうと思う。
が、まあ、そこをツッコムのは野暮と言うものか。

かつては女性で今は男性となった自分が、過去の女性としての自分に出会ったら、どんな気分なのだろう。
人は自分と似た人間を愛し、また憎む者。
ジョンとジェーンの関係は、互いの孤独に共感し、いたわり合う関係となっている。
自分と同じ痛みを抱えた人間は格別に愛しい。その痛みがわかるほどに深く愛してしまうものかもしれない。
だけど、そこで体の関係を結んでしまうものだろうか?
その存在は自分であり他者でもある訳だから、そういうこともあり得るのだろうか。
なんてことを考え出すと頭がこんがらがってくる。
しかし、思考実験としては非常に興味深い。

一方、バーテンダーとテロリストの関係は憎しみに近い。
彼が追い続けた憎むべき破壊者は他ならぬ自分であった。
人は時として己の暗黒面を他者に投影する。実はもっとも嫌悪するものが、もっとも自分に近いとも限らない。
その結果、自己の正義に埋没し、まわりが見えなくなった自分をバーテンダーは葬らずにはいられない。
己が追い続けた影に結局飲み込まれた形で終わる主人公。

生まれた時から孤独だった人間は、自分で自分を愛することしか出来ない。その自己愛の強さが結局は破壊者となっていくのだろうか。
輪廻の蛇が己の尾を飲み込む地獄から解放されるのは、己で己を飲み込む行為をどこかで断ち切らねばならない。その打開策とは果たしてなんなんだろう。やはり他者との関わりにあるのだろうか。
この作品はそんな哲学的なテーマも内包しているような気がする。