子供の頃はこうした古典的怪奇映画がテレビで放映されていたんですよね。
子供には十分怖い作品ですが、成長するとハマー・プロ作品は古いという印象で、まったく観なくなってしまいました。

クリストファー・リーのドラキュラシリーズは子供の頃に何作か観てますが、どれも同じ印象で何を観たのかよく覚えてない状態です。
今年、クリストファー・リーがお亡くなりになり往年の怪奇スターが失われた今、シリーズ一作目が実は未見である事に気がつき、原点とも言えるこの作品を見直して観ようかという気分になりました。

シリーズを重ねる内にドラキュラというキャラクターがひとりあるきして行きますが、さすがに一作目はブラム・ストーカーの原作に沿っています。

ただし、ジョナサン・ハーカーは早々にドラキュラにされて殺されてしまうし、ジョナサンの婚約者がルーシーで、本来ジョナサンの婚約者だったミナはルーシーの兄の妻というように多少改編が加えられております。

作品はやなり演出的な古くささは否めないのですが、子供の頃に観た印象しかなかった自分には、意外に面白かったというか、改めてクリストファー・リーの吸血鬼としての魅力を再認識した感じです。
異形を思わせるぬーっとした雰囲気と、身長193cmという迫力。そして、吸血鬼といえばどこかしらエロティシズムを感じさせるものですが、文字通り美女の血を吸うリーのなんともいえないなまめかしさは非常にぞくぞく致します。

そしてリーも確かに魅力的ではあるのですが、私が子供の頃に好意を覚えていた俳優は実はピーター・カッシングなんです。
もう、彼の風貌が完全に自分の好みなんですよね。はじめて彼を観たのが『フランケンシュタイン 恐怖の生体実験』でしたが、完全に一目惚れでマッドサイエンティストにも関わらず最後まで死んで欲しくないと願っちゃいました。スターウォーズに出演してた時も、やっぱり素敵でした。愛妻家であるカッシングは妻を失って一気に老け込んだとありますが、老け込んでも私にとってその魅力は衰えることのない存在です。
不思議なもので子供の頃に感じたこの思いは今も変わらず、いや、それどころか、ピーター・カッシングの知的で品があって優雅でまさしく絵に描いたような英国紳士っぷりに、大人になった今改めて恋してしまいそうですよ。

お話に関して言えば、ドラキュラがせっかく司書としてやとった人物に早々に正体がばれるというのはなんとなくまぬけな感じが致します。そもそもなんのために司書を雇ったんでしょうかね。えじきにするため?

また、吸血鬼たちが口から血をたらして棺で眠っている様は、「お口くらい拭いて寝ましょう」という気分になります。

ヘルシング教授は吸血鬼の棺に十字架を置いてそのまま吸血鬼を追っていきますが、自分で身につけた方が絶対安全なのに、吸血鬼退治に乗り出す割にはあまりに無防備過ぎです。少なくとも城まで吸血鬼退治に赴くなら、にんにくとか、十字架とかそれなりの装備をして欲しいものです。

なんてちょっと野暮なツッコミもしたくなりますが、それもご愛敬ですかね。

子供の頃はこうした作品が怖かったのですが、吸血鬼は十字架さえあれば身を守れるし、大概は神父なんかがやっつけてくれるんで、最後は灰になってめでたしめでたしなんで安心といえば安心です。
ただ、そういう作品のパターンになれた上で『エクソシスト』なんかをはじめて観た時はかなりショックでしたね。怪奇映画においては神父は絶対の正義、ヒーローだっただけに、そのヒーローの死が心底悲しかったのです。