マタニティブルー映画と言えば、ポランスキーの『ローズマリーの赤ちゃん』が筆頭にあがるが、これは『ローズマリーの赤ちゃん』以上に壮大で誇大なマタニティーブルー映画だ。

何しろ妊婦のブルーが黙示録にまで発展するのだから、めったやたらにスケールがでかい。ひとり流産した妊婦のふたりめに向けるナーヴァス感半端なしである。
しかしスケールが大きければ大きいほど、妊婦ひとりの行いで人類の命運が決まるという矮小感が際立つ。

で、あのオチである。
最後に「このことを語り継げ」とか言われましても、「はあ?」って感じでございますよ。
元々宗教的な内容なので仕方が無いのかもしれないが、教義臭ぷんぷんでまったく納得出来ない。
この違和感は丁度『エミリー・ローズ』を観た時の感覚に似てるな。妙な理屈で無理矢理誰かを神格化する感覚と言うか。

公開当時、内容がいまいちな気がしてスルーしていたこの映画、『ターミネーター』で久しぶりにマイケル・ビーンを観た流れから、格好良かった時代の彼のお姿を観たくて思わず借りてしまったが、過去にスルーした私の判断力に間違いはなかった。
お目当てのマイケルは殆どいてもいなくてもどうでもいい役柄だったし。

そういえばこの映画デミ・ムーアが主演だったのだな。
まだ初々しさがあって可愛い。

個人的にはユルゲン・プロフノウが出演しているのは嬉しい誤算だったが、確かに彼はちょっと神秘的な空気を持っている俳優とはいえ、あの役は似合わないんじゃないかと思う。そこまでのカリスマ性も感じないし。

この映画でかなり気になったのが、貸部屋とはいえ、やたらデミ・ムーアがユルゲン・プロフノウの部屋に不法侵入し過ぎな点。しかも勝手に部屋の中のものいじり回しすぎるし。
もっとも、ユルゲン・プロフノウの方もやたら勝手にデミ・ムーアの家にあがりこんでるんで、お互い様かもしれないけど、アメリカではあれがありなのか?

ネタばれ
近親相姦の両親を殺した子供が殉教者って扱いは納得いかんな。それを正統としてしまう宗教が怖い。

2000年前に神の呪いを受けたのがローマの一兵士というのもね。もっと呪うべき人間いるんじゃないかね。ユダならまだわからんでもないけど。

デミ・ムーアが演じた妊婦が象徴であることはわかるが、妊婦以上に自己犠牲的行動を起こす人間なんてもっといると思うので、彼女のあの行動だけで黙示録ストップってのはぴんとこない。
デミ・ムーアがマグダラのマリアの生まれ変わりというのも唐突感。