ホドロフスキー作品の中では一番普通というかわかりやすい、明確な物語だった。
それもそのはず、wikiによれば監督が“初めて商業映画を意識して制作した”という作品らしいのだ。
相変わらず鮮烈なビジュアルは健在だが、エルトポのように途中からぶっとんだり、ホーリー・マウンテンのように終始ぶっとんでる訳でもないので、入り込みやすい。
逆にちょっと普通の映画過ぎてらしくないぞとさえ思わせる。
途中の殺人描写などは演出面や色彩面など、まるでダリオ・アルジェントの映画みたいだった。
今回もアクセル・ホドロフスキーとアダン・ホドロフスキー、ふたりの息子が出演している。子供時代のフェニックスと青年時代のフェニックスを兄弟にやらせるとは、これ以上の説得力はない。
顔立ちもよく似た兄弟だし、『エル・トポ』『リアリティのダンス』のブロンティス・ホドロフスキーもいい、とりあえず使える息子は全部使うお父さんだ。
まさしくホドロフスキーが好んで描く大道芸とかサーカス一座のようである。
ネタバレ
言ってしまえば、これはホドロフスキー版サイコである。
少年期の悲惨な事件ですべてを失ったフェニックスの悲しみが強烈で、彼が狂気に陥るのも説得力があるし、とてつもなく悲しく感じる。
すべてが過去の幻影に生きるフェニックスにとって聾唖者の少女だけが救いであるが、再会してすぐに彼の事情を理解し受け入れる少女の存在もやはり幻想に思えてくる。
それでも、そんな救いを描いたというのはホドロフスキーのロマンティックな一面を見た思いである。