ワンカット風に見せるカメラワークという試みは面白かったのですが、まさかの画面酔いで途中からどんどん気持ちが悪くなってしまいました。

楽屋ネタ満載という感じで小ネタが面白かったです。
セルフパロディ的なマイケル・キートンの熱演もよかったです。
ドラムなどの緊張感を煽る音楽の使い方も格好よかったです。特にアバンタイトルで文字とリズムがシンクロするあたりが洒落てました。

エドワート・ノートンはおいしい役でしたね。
飄々とした感じがよかったです。

さて、肝心のお話の方ですが、正直ぽかーんとしちゃいました。
後から自分なりに「こういうことかなー」と解釈したのですが、なんだかいまいちすとんと落ちてこない感じです。
他の方のレビューも読みましたが「そういう見方もあるかもね」という感じでした。

ここからネタばれ。

額面通り受け取ると、過去にアメコミヒーローで一世風靡した俳優が起死回生をかけて舞台に立つものの、いろいろ問題があって、しまいには影響力のある評論家に観る前から酷評を決められ、舞台の失敗が確定した為に、優秀の美を飾るべく舞台での自殺を試みるも失敗。
で、自殺未遂が逆に良い方向に向かい、新たな道が開けてハッピーエンド。

もしこれがまんまとするならば、お話自体は特にひねりのないストレートなお話だなーっと。

比喩的な意味では自殺は転換を意味するのですが、この物語では主人公は4度自殺しています。
1度目は入水自殺を試みてクラゲに刺されて失敗したことを妻に告白。
2度目は屋上から飛び降りてバードマンという過去の栄光に現実逃避。
3度目は舞台上での拳銃による自殺。
4度目は病院の窓から自殺。バードマンとの決別と新たな未来への希望。

3度目の自殺はなんだかぴんとこなかったです。拳銃というアイテムが出てきた時点で、最初からこの結末に向けてのフラグは立っていたのですが、2度目の自殺後からの唐突な展開に思えました。
何故主人公は舞台で自殺しようとしたのでしょう。バードマン以上の栄光を望めないと悟った時点で優秀の美を飾ろうとしたのでしょうか。

ここにきてワンカット風の演出が終了し、ひとつの節目となります。

そして4度目の自殺。主人公はバードマンに別れを言っていたし、上空を見つめる娘の明るい笑顔は主人公に新たな道が開けた希望を感じるものですが、上空と言う意味で「またバードマンになった?」という混乱を感じるのです。
多分、あるいは真の意味でのバードマンになったということなんでしょうかね?
どうも全体的にひとつひとつの場面は理解出来てもいまいち主人公の感情の流れがつかめない感じです。

自殺という転換が何度も繰り返されるので、それぞれの自殺に違う意味があるのでしょうが、ちょっとわかりにくいなーという感じもいたします。

まあ、タイトルが説明する通りのお話ってことなんでしょうね。
だとするとタイトルで説明し過ぎかなーという気もいたしますが、見せ場はそこじゃないってことなんでしょうね。
ちなみに、この長ったらしいタイトルはまた日本の配給会社の仕業かと思ってたんですが、原題まんまだったんですね。

そうそう、例え程度が低いと言われましても、途中に挿入されるバードマンの映像は面白そうで、本編を観たくなっちゃいましたね。あの巨大メカ鳥が気になります。
少なくともレイモンド・カーヴァーの芝居よりは面白そうです。