ずっと観たいと思っていた作品ですが、なかなか機会がなくて、ここにきてやっと観賞ですよ。
まだストーカーという言葉がポピュラーではなかった1965年の作品。
この作品の主人公はストーカーの中でもエロトマニアに分類されるタイプです。
舞台がイギリスということもあるのか、テレンス・スタンプ演じる孤独な若者は非常に紳士的。
女性を監禁というのは過激だけど、顔もジュード・ロウ似のイケメンだし、相手の女性をリスペクトしているし、性的に陵辱するようなこともない。
彼女を監禁した直後に浮かれる姿などは可愛いとさえ感じてしまいます。
これはうっかりするとストックホルム症候群に陥りそうな。
「妻としてのつとめは果たさなくてもよく、すべて自分が尽くし、女性には好きなことをやってもらい、ただ側にいてくれるだけでいい」
なんて悪くない話だなーとつい思っちゃいました。
ピカソの絵画や『ライ麦畑をつかまえて』が理解出来ず、相手の女性にコンプレックスを抱く割には、彼女の趣味にあった画集や服を取りそろえ、毎度きちんとした身なりで食事を運び、洒落たディナーまで用意する。どこで身につけた?ってくらい非常に洗練された人物です。
なんで、被害者にしてみれば恐ろしい状況ではあるのですが、『ミザリー』や『羊たちの沈黙』に出てくるようなような過激なサイコパスでもなく、全体的に比較的マイルドなんですよね。
ただ、テレンス・スタンプが時折見せる冷ややかな目つきは怖いです。
潔癖なまでに女性を理想化しているので、色仕掛けも通用しない厄介な存在です。
オチはどういう風に持って行くのかなーと思ったらなるほどそういうオチかと。
ここにきて主人公の異常性とエゴイズムが如実に表れ、不気味な余韻が残ります。
相手の自由を奪い意思を剥奪した状況では蝶の死骸を飾るコレクターと変わらないということなですね。
ただ、極端ではあるけど、恋愛や結婚ってふりきってしまえばこういう側面もあるのかなーとも思います。
クロロホルムをかがせて気絶させるという定番描写は、今となってはクロロホルムで気絶させることはかなり困難であるとされ、違和感を覚えるシーンとなりました。
ところでこの映画、一瞬グレゴリオ聖歌の「怒りの日」の旋律が流れますね。
『シャイニング』『ザ・カー』の先駆けがここにあったとは。