謝罪の気持ちと罪の意識、事実と真実 | 宝塚あんこの部屋

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宝塚宙組問題で彼女の悲しい死から半年経ち、劇団がパワハラを認め直接関係したと思われる一部の人たちの謝罪文を提出したことで一連の決着が着いたと判断したのか宙組公演再開が発表され数日経ちました。この公演再開に対しネットや私のような弱小ブログも含めて是非の意見が飛び交っております。


宝塚OGは公演再開を祝うSNSを発信。しかしその発信時でのご遺族やかつて仲間であった彼女への悼みの言葉は無し。


これが宝塚なんですネ…ショボーン


事件直後にOG会では一斉に箝口令をひいたそうです。であるならば公演再開に関しても同様にして欲しいものです。彼女の死から公演再開まで全て関連のあるものでしょう?今の今まで一切語ってこなかったのなら貫き通してほしい。事件直後に数人のOGがインスタライブなどで肉声発信しました。内容はどう割り引いても在団生徒への擁護でしかなく、そこには亡くなった彼女への悼みの言葉があったとしても彼女がこうなってしまった事実に対し原因追求を求めるまでもなく、公演中断したことで在団生徒へのストレスを心配してました。


在団生徒も仲間であったから案じるのは分かります。でも亡くなった彼女も仲間であったのに、そしてその命はもう帰ってこないのに、それを悲しみ、二度と同じことが起きないよう問題提起や追求、そして自分を省みての反省はなかったのはなぜなんでしょう??


何故自分を省みることができないのか?


OGも在団生徒も、制作サイドも、経営サイドも、です。


下級生の中には自分たちも彼女を追い詰めてしまった1人かもしれない、とご遺族へ直接謝罪の気持ちを表しているのが聞こえてくるだけです。尤も、その気持ちがあるならサッサと行けよ、ですが。


それでも罪の意識が芽生えたのは少しだけ溜飲が下がりますわ。


謝罪文を提出し、ご遺族との合意が図れた事で解決に至った、と考える人たちが理解できません。解決?これは謝罪から反省へ続く始まりでしょう?


謝罪は終わりを意味するのではなく始まりを意味すると考えなくては又同様の悲劇が起こりかねません。いや、実際宝塚は終わりとしか考えていないから過去舞台での事故死以降も音楽学校の96期冤罪裁判も、ジサツ未遂による飛び降りも一切反省なくなので改善も図れず今の事態に陥った事を全く分かっていないのでは?と勘ぐります。


そもそも96期事件で過去現在に至る宝塚生徒間での悪習、慣習を反省と見直しで制作サイドも含めた風通しの良い風土への道を目指していればその14年後にこんな世間を騒がすほどの大激震は無かったのではないでしょうか?たられば、の話ですが。


それならばせめてこの後、今度こそ本当に本当の「清く正しく美しく」を目指せる集団になっていくよう生き残った人々みんなで実施するべきです。


それには罪の意識を自覚し反省と真の謝罪がなくては何も前には進んで行きません。


彼女の死に直接だろうか間接だろうが関わった人達は罪の意識を持っているのでしょうか?自分が関わった人が自死を選んだ、となれば普通の感覚の人なら震え上がりませんか?そして激しく罪の意識に苛まれませんか?その罪の意識を軽くしたい、いや何よりも謝りたい、とご遺族へ謝罪しようとしますでしょう。会ってもらえなかったら日参して土下座してでもそうしたいと思うでしょう。違いませんか?それとも勝手にシンだんだから私のせいではない、という図太い神経ですか?


殺人犯が減刑目的で拘置所や刑務所にいる時に遺族へ謝罪文を書くというのがありますが犯人は拘置されているために遺族の元へ出向くことはできませんので文章提出の方法しかないのは分かります。


しかし宝塚の場合は違いますよね?勾留されているわけでもなく、しかも同じ関西圏。罪の意識と真の謝罪の気持ちがあれば劇団の反対があったとしても、それを押し切り謝罪行脚すると思いますけど…そして責任を感じる人であればすぐに退団を申し出ていたと思いますわ。


少なくとも事件直後にパワハラと騒がれた時点でこの行動と進退があれば事件から宙組公演再開までに対する今ほどの批判は無かったように思えます。


さだまさしさんの歌に「償い」という実話に基づいたものがあります。交通事故の加害者の友人の視点で書かれた歌詞は真面目一徹だった人が交通事故加害者となってしまい被害者の奥さんへ謝罪の手紙を添え毎月わずかばかりでも送金を続けた話。歌詞の最後は加害者の手紙を読むたびに亡きご主人を思い出し辛い、だからもう送金はしてくれるな、という半分許しのような言葉で締めくくられています。実話はさだまさしさんの友人がこの被害者の奥さんに該当し、歌詞に出てくる真面目な加害者「ゆうちゃん」に該当する人は奥さんが許しの手紙を送った後も送金を続けたそうです。



どこまですれば許されるのか

どこまでさせれば許せるのか


永遠に解決はありません。

許しに限度も終わりもありません。始まりのその後は無いのです。


「ゆうちゃん」は例え奥さんが「もう良いよ、あなたの気持ちは充分伝わったから」と言っても「ゆうちゃん」自身が自分を許せないのでしょう。またそうしないと自分の気持ちが納得いかないのでしょう。「ゆうちゃん」自身の気持ちに終わりは無いのです。墓場まで続くのです。反省は一生続くのです。これが人の命を奪った事への謝罪と罪の意識と反省の姿ではないでしょうか?


そう書きながら宙組公演を野次馬根性で観劇したいと思う己が最も恥知らずだと反省してますが…それでも宝塚から離れられない自分に嫌気がさしてます。そしてさらにそれでも宝塚が好きであることにも。好きだから反省してファンが生徒のパフォーマンスを勘繰らないで無の気持ちで観劇できる集団になってほしいと切に願っています。


宝塚関係者の皆さん、ファンはモヤっているんです。このモヤモヤを安心させてくれる態度を、誠実な姿を、ずっと待ってます。