↑から既に9日も経過してた、というのが題名です💦
何かあったわけでもなく、単に書く気が起きなかっただけですがネタも無いしネ〜。宝塚ネタもドロドロな嫌な話しかありません。私は宝塚へ夢を観に行ってますので裏のドロドロ話なんてもううんざりです😮💨
夢を作るための努力が3Kと呼ばれるような重労働であってもそれは美しい裏話ですが、今の宝塚は純粋な労働に伴う「汚い、キツイ、危険」ではなくて人の心の闇を意味するものになっています。
ハラスメントがこんなにも重視される時代にあって宝塚は私に言わせたら旧石器時代のようです。昭和の社会に例える人もいますが少なくとも昭和はまだ教養と文化と矜持を持ってましたが宝塚のハラスメントは旧石器時代ですわ!💢
宝塚歌劇団に関わる内部者(経営、制作、製作陣、表現者)全てに自分たちの仕事に対する矜持が何も無い人たちなのですネ。だからこんな恥ずかしい不祥事ばかり次々と明るみに出るのでしょう。人間の業や欲がここに極まれり、です。
いや、百歩譲ってその業や欲が作品として爆発させれば宜しいが、宝塚ファンの皆様どうでしょうか?このン十年のうち佳作と呼べる作品がどれだけありましたでしょう?
観劇しても寝てばかり、な私。それはただ単に作品がつまらんから!
東宝レミゼラブルは何回観たかもはや忘れたくらいのリピートしてますが何度観ても寝ません。(少し劣る回数ながらオペラ座の怪人は最近寝る💤)
ハラスメントと脱税大王を自ら名乗る大物演出家の傑作潤色初演を観劇した時感じた劇場の興奮をもう一度味わいたいです。あの時の幕間の劇場の空気は何とも表現できない興奮具合でした。オーストリア皇后も草葉の陰で泣いてますわ🥺
TVのアイドルが新人でも舞台の主役、ドラマの主役になるのと異なり宝塚は初舞台から主演を務める人はいません。だんだんと段階を登り最後に舞台0番に立つ事を夢見てファンは生徒を育て応援していきます。このシステムこそ宝塚が他のエンターテイメントと一線を画すところでしょう。推しを育てていくファンです。(もちろんOSKさんもそうでしょうが一度も観たことはないのでここでは言及せず)
その推しに対してのファン心理はもはや「オカン」「オトン」の親目線。浅田真央さんを応援してきた人と同じ目線でしょう。
親目線だから推しの不祥事を信じたくない気持ちもわかります。庇いたくなる気持ちも。しかしながら推し以外の問題事には厳しい目線。
なぜですか?
現在宝塚を覆おう黒い影は推しも製作陣も経営陣も全て含めた上での話。なぜ宝塚全体を考えようとせず推しだけを庇うのでしょう?
この後に及んでも推しを庇うあまり、彼女のせいで推しの未来が台無しになった、無責任だ、のと問うのはなぜですか??
はたまた亡くなった事で被害者になる、亡くなって人を悪く言えないから良いことしか言わない、とするのはもはや私の理解の範疇を超えています。
別に私に理解してもらわなくても良きでしょうが命を投げ出した人の胸中がどれほど辛いものであったか、少なくとも理解しろとは言わなくても心を寄せるべきではないでしょうか?
逆縁の不幸くらい悲しいことはありません。親御さんの気持ちになれば「なぜ?どうして?」と慟哭するのはわかりますよね?子供が無念のうちに亡くなったのであれば親としてそれを追求し晴らしてやりたいと思うのは当然では?それをモンスターペアレン○と呼ぶのは推しのためですか?
モラハラ、セクハラ、パワハラ、脱税、もはや万能ハラスメント。ハラスメントの宝庫、宝塚ではハラスメントをしても力を持つものだけが生き残り、力無きものは去る(生き残る)・行方不明になる・亡くなる、しか選ぶ道が無いなんて異常だと思いませんか?
この宝塚のどこに夢がありますか?
今日も舞台を彩る演者達は自分達の職務を全うしようとしているわけですがその裏では負の感情を解消する為に他人に刃を向けているかもしれません。
彼女の悲しい出来事以来、宝塚の何を観てもどうしてもその感情がぬぐえずイマイチ舞台に集中できないしスッキリしません。
観客が宝塚で夢を見れなくなったらおしまいです…