私の好きなテレビ番組の1つに

男性俳優が視聴者からのお手紙を頼りに


視聴者の心の風景となっている場所を

自転車で訪れる、という番組があります。


様々な方の思い出の場所とエピソードを

観ながら考えてみました


私にとっての心の風景はどこだろう?



もちろん、50年も生きていたら

思い出の場所は1つじゃないけれど。


今の私があえて選ぶとしたら。。。



7年前の秋に両親を連れての北海道旅行


それまで北海道に行ったことがなかった

両親を私がコーディネートして連れて

行きました。


それまで飛行機に乗ったことが無かった

母に飛行機を体験させたいと


飛行機での移動



母を窓際の席に座らせたところ

女満別空港に着くまで


ずっと窓にかじりつくように雲の上の

景色を見ていました


飛行機を怖がるところか、興味津々で

子どものような無邪気な母の姿は

初めて見る母の一面でした。



女満別から道央を通り、札幌へ向かう

レンタカーでの横断旅行。


知床五湖を訪れた時は、知床の紹介

ビデオを撮影しているスタッフの方から

私達家族が観光している様を撮影したいと

五湖を巡る様子を撮影してもらった。


あのビデオは本当に使われたのかしらん?



移動中、レンタカーの前をジャガイモや

人参、玉ねぎを荷台にたくさん積んだ

トラックが走ります。


道の端には、トラックから落ちたと思しき

ジャガイモや人参などの野菜がポツポツ

転がっており、


ただでカレーが作れるね!

などと、北海道ならではの光景に大笑い。


そんな道中、旭川で一泊する日のこと。


夕方に旭川に着き、その日の夕飯を

旭川駅の近くで探そうと、繁華街を

ブラブラしていた時、無口になった母。


暫くすると、もう疲れた!

いつまで歩くの?そんなに歩くなら

コンビニで適当に買ってホテルの部屋で

食べたほうがマシ!


そう言って母が怒りだしたのです。


私はビックリして何も言えず。


父が気遣って、自分達はホテルに

戻るから、お前は好きなお店で美味しい

もの食べてきなさい。と言い、両親は

ホテルに。


驚きました。そんなふうに怒った母を

初めて見たのです。ショックでした。


しかも、私にしたら大して歩いてない

ので、毎日山仕事をしている両親には

疲れる程であるはずがなく。


訳が分からないまま、私は1人で海鮮料理を

食べ、ホテルに戻ると両親は既に就寝。


いくら家族でも、離れて暮らしていると

知らぬ間に理解できない部分ができるなぁ


母も年を取ってワガママになったもんだわ。

なんて、ボンヤリ考えていた私。


でも今にして思えば、あの頃は

母の病気は発症して間もない時期なんです。


きっと、疲れやすくなっていただろうし、

右半身も動きにくくなっていたと思う


一週間も旅行していたら、さすがに

疲れますし


娘の前では母親然として振舞おうとして

気を張るし


私と父はズンズン歩いていっちゃうし


重い体を奮い立たせて一緒に旅行して

くれていたんだと思います。


登別温泉で地獄谷まで山道を歩いていた

時、母の足音の異常に気づきました。


右足だけ擦っている音がして、父と私で

靴のサイズが合ってないのでは?などと

母に言ったけど


あれはもう、右足の麻痺が始まっていた

証拠だったんだね。



その北海道横断旅行の半年後、父から

母の様子が変だと連絡があり


そこから更に半年程が経過して、やっと

認知症かパーキンソン病を疑い、


認知症外来のある病院を私が調べて

父が母を連れて行き


パーキンソン症候群らしいと言われ、

もっと大きな病院で精密検査するように

言われ


1ヶ月もの検査入院の結果、

大脳基底核変性症と診断が下ったのです。


あの北海道旅行が、母が行った最後の

大きな旅行となりました。



北海道からの帰り、札幌空港から

ジェット機で羽田まで。


羽田近くになった頃、機長からの

アナウンスで、ジャンボ機がその月で

最後の就航となると聞き


羽田で飛行機を降りた後で、乗ってきた

ジャンボ機の写真を、母は熱心に撮っていた


機体にピカチュウが描かれたジャンボ機


その様子が、今も脳裏に焼き付いている


母の、母親じゃない一面をたくさん

知ることになった


何かと直ぐに忘れてしまう私の

色んな意味で忘れられない旅となった


思い出の旅