娘が「札幌から戻り、4日の朝は博多へ日帰りして夕べ遅く戻った」

この娘は「父親と同じ運勢を歩んでいるなー」とつくづく実感する。

 {長生きだけはしてくれよ!と飛行機が怖い私は、毎度、【目的地に着きました】【羽田に戻ってきました】その連絡を受けると、大きく息をしてやれやれと思う。}

 

 夫が今年の10月【51年回忌】を迎え、家族でお墓参りをした。

享年38歳という歳は実に勿体ない事だったと悔しくもある。

 

体力的に無理できる時は良い!しかし、一旦体調がつまずくと「心不全」という隠れた症状が目を覚ますのである。

あっけないものであった。

 

この歳になってお墓参りをしながら、娘、息子を観ていると【お義母さん(姑)が一番可愛そうだったなー】とそればかりを考える。私と違う悲しさがあったに違いないと思う。

 

お墓に着いて気が付いた事は、私は墓地に眠る人に対して、何の感情も無くなっている自分を知った。

《侘しさも、懐かしさも、逢いたいとも何も感じずただ墓前に立って、子供達の様子だけを見ている》。

51年の歳月が、泣き崩れた日々を【洗い流してくれたのだろう】

 

 

先月、亡主人の末子の弟から暫くぶりに電話が来た。

私と同じ歳である。

『k子さん、実はĀ子が一昨日亡くなったのです。』

 

「エーッ!私ねこの頃【選挙】になっても音沙汰も無いし、二人で来てくれないしどうしてだろうと思っていたのよ」

『3年程、患っていたのです。この立場になってね、一番先に思い浮かべたのがk子さんのあの時の事なのです。あの当時は何の力にも優しい言葉も掛けずにね、申し訳なかったと直ぐ気が付いたから、電話させて貰ったのです。寂しくてね、どうして良いか分からないのです。息子達3人は元気ですが、自分の寂しさはどのようにしても立ち直れないです。若いk子さんはもっと、もっと苦しかったでしょうね』

「元気を出しなさいと言っても今は無理だから、何時でも良いから電話して、思い出を語りましょう。待っています」

 

当時は、根強い『宗教問題』があって、どれだけ義姉にお通夜からどやされ(方言)たか?

それを「家族が一丸となって、見て見ぬふり」だった。

 

今更、何とも思っていないが、

『永年連れ添った妻との死に別れは寂しいものでしょう。その気持ちを体験して当時の私を浮かべて、お知らせ下さったという正直さには私は良かったと思う。』

 

息子を代表に参列させた。

 

『喪中はがき』を目の前にして、ふとブログを書いてしまった。

 

お気を落とされていることと存じますが どうぞお身体に気を付けて 新しい年をお迎えくださいませ    K子