今日、16日は「癸酉」の日。

向いの大鳥神社では「二の酉」で賑わっている。

この時刻は、16時30分。

これから夜が更けると賑やかさが「ヨオー、シャンシャンシャン」と本格的になる。

今年は「三の酉」迄ある。

 

秋ですねー。 岡山から【柿】が届きました。ゆっくり熟して頂きましょう。

 
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何時だったか…
『Mさんがね≪一度で良いから、すっきりとした朝を迎えたい≫と呟いていましたが、エネルギーの低い人と言うのは体力的に大変な思いをしているのですね』
 
「身弱な人というのは、普通は特別な持病は持っていない場合でも、何時も病的なのよね。身体のどこかがすっきりしないのです」
ジワジワ~と身体全体に感じる弱さがある。それが毎日なのである。
しかし、病気で無くてね、そうかといって、元気で有り余るパワーを持ち合わせして無いから…。
例えばそれを、季節で表現したとしたら【梅雨時】みたいなじめじめした気分ではっきりしないのです
 

本来の病気ではないが、活気が無く身体が不調な状態で生活していかなくてはならないのである。

 

「何故?私は体調がすっきりしないの…かなー」

きっとこの様に自分の身体に「不満」を持っている人がいるはずです。

 

私は「高校時代」が特にそうであった。

何時も偏頭痛に悩まされ、そうかといって寝付きが悪く朝起きられなくてよく学校を休んだ。

今思う。

あの時に「精神安定剤・睡眠剤」というモノに出会っていたら、上手くコントロール出来てきっと楽しい高校時代が過ごされたのになー。悔しい思いがする。神経質で病的な処があった。

医者へ行くと何時も病名は決まっていた【自律神経失調症】と言われて、腹の中で「違う、もっと違う病名が無いのか?」

不足に思い乍ら、病院から帰った事が多かった。

そして「痛み止め」の強い薬が何時も処方された。

気分的に満足した治療が受けられなかった。それが悔しかった!
 

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今、住んでいる近くに「医院」が沢山ある。

隣のスーパーの3階が「歯科医院」と「内科」で歯科医院に通っている。

交差点斜めの道の先に4階建てのビルがあり「皮膚科・眼科・整形外科(リラクゼーション)・内科」があって、全部に罹っている。新しくて綺麗であるし、兎に角先生方は若い。

 

整形外科では「骨密度」=同年代と比較した値は114% で「標準値以上」あった。

子供の時から郷里の青魚が好きでよく食べていたからだろうか?

夕飯には絶対「魚」が出ないと嫌だから、焼肉であっても刺身も用意する。

 

内科医院では、色んな薬を貰っている。胃腸薬を始め、精神安定剤・睡眠剤も適当に利用している。

心臓・血圧・糖尿関係何でも揃っているが体力が無いから、一人前の薬の量は服用しない。又虚弱だから薬で補っている事が多い。

皮膚科:プラセンタを2週間に1回打っている。

 

今月初めて、眼科へ行った。これでビルの医院を全部に罹る事になった。

目の調子がよくないから、思い切って行った。

白内障緑内障を覚悟して受診したら、

『あら、白内障も緑内障も大丈夫よ。それに目の中も綺麗ですよ。一番奥に神経に密接している処があるのですが、そこだけが少し気になるから、目薬を出しますね。』

 

「あらら…。整形外科では骨密度を褒められ、眼科では、年齢から考えたら可笑しくないのですが、白内障緑内障も問題ないですからね…」

私の身体で褒めて貰える所があるのだ!嬉しかった。

 

病気では無いけれど虚弱だから、身体を使いすぎるとてき面その箇所にお知らせが来るのである。

無理はしないけれど、この体力で「散歩」もままならないから、「医院」へ行くだけである。

 

虚弱者が病気になり手術などすると、元の体力になる迄、何倍も普通人より時間が掛かる。

神経質だから、時間を掛けると言うのが本当かもしれない。

疲れが溜まって「病気を懸念する様に感じたら、一先ずゴロゴロと休養をしていれば、自然治癒する」

 

又、反対に元々元気な人がたまたま病気になったとしても、パワーで跳ね返す事ができる。

 

大体が「虚弱者」と言うのは、「宿命」を見たら【総合エネルギーが少ないか?星の中でも(この世の星=現実的。あの世の星=死の世界)と別れるが、あの世の星を多く持っている人に間違いない)

 

死の世界の星とは=現実的なセールスマン等競争の世界では生きられない。

精神世界の星とは=(競争のない職場)で活躍する方が自分を生かせる事が出来る。

 

【短命】な人ですと言われたら、無茶して暴れて命を無駄にする事は無い。

仕事や趣味がある程度まで高みに上れば、さっと手を引いて次の事に専念する。

命を捨てるのでなく、真面目に務めて出来上がったら手をサッと引いて切り替える事が出来るかどうかにかかって来る。

 

「何か?」を手短に手放す事で次に移る。

こういうやり方をして生き抜くのが【短命】という宿命に従う方法なのです。

 

自分に与えられた「宿命」に不足を持たないで、素直に従う事が人生のさざ波にのれる幸せな生き方です。