広島平和記念資料館に行って来ました。
ここには、コロナ禍の第一波が襲来していた2020年9月に、予約制で入館制限があり観覧が出来なくて、泣く泣く帰った思い出がある場所で、今回、2年越しでリベンジして来ました。
2020年のブログです。
↓
着いてみれば…
すいてる…。
小学生、中学生、そして高校生たちが、入口で先生たちの注意を聞いていました。
では、館内の展示を見て行きましょう。
平和な時代
みんなの笑顔、素敵な一枚…。
原爆は、みんなの笑顔を一瞬で奪いました。
広島で、人間に向けて、初めて原子爆弾が、炸裂しました。
新聞社に勤務していた重松さんが撮影した写真
暗い…
その中で…
絵画や悲惨な惨状の写真などが、投影されていました。
熱線によって焼かれた体…
この右下の写真については、私は高校生の時に購入した「原爆体験記(朝日新聞刊)」で、初めて目にしていました…。
あまりにも酷くて、衝撃を受けたのを覚えています。
教科書には載っていない、これらの写真や絵画を見て、子供達は、どう思ったのかなぁ…
遺品の展示…
このシャツやシミーズを着ていた方は、どんな思いで亡くなっていかれたのだろう…
広島 地方気象台の8月6日の記録
気温 最高気温31.5℃ 最低気温23.4℃ 平均27.4℃
冷房もない、窓も破壊された病室は、異臭やうめき声が充満していたに違いない。
看護師の娘に聞くと、医師の指示があれば、看護師も注射は射てる。勝手には射てない。との事。
膨大な患者数、少ない薬剤…。
不眠不休な看護は、どうやっておられたのだろうか…。
放射能に侵された体には、障害が芽吹き、寿命を縮めていく…。
三輪車…
3人の中学生の遺品…
衣服の遺品
捨てきれなかった、親御さんの想いがあるのでしょうね…
体のみならず…
佐々木貞子さん
闘病時に折られた 鶴
平和の尊さ
心の傷は、さらに深くエグれている…
2歳の時、原子爆弾炸裂時には無傷だったのに、母の背中におんぶされながら放射能を含んだ「黒い雨」にうたれ、6年生で白血病を発症し、12歳で死んでしまわれました。
投薬紙などを使った小さな 鶴 が作られていました。
川原から発見された無造作に埋葬されていた遺骨
被爆者同士の愛のあかし誕生
投下された原子爆弾のミニュチュア模型
左が長崎で使われたプルトニウム爆弾
右は広島に投下されたウラン爆弾
冷戦時代の核実験
アメリカ、ソ連をはじめ、フランス、中国、インドなど、大気中での核実験が頻繁に行われていた時代。
先住民達は、放射能汚染で、住処を追い出されました。
戦争で使用した場合の影響を調べるために
通常装備の兵士も、実験材料として使われました。
彼らの多くは、原爆症となり、苦しみました。
だいたい、こういう内容の展示でしたが、具体的な「怖さ」については、実感が伴いませんでした。
実物大の「爆弾模型」や、「人型の影」など、複製を作ってでも展示が出来なかったのでしょうか?
小さな子供への「恐怖心を潜在的に作るのは良くない」との理由で、リニューアル時に撤去された被爆された等身大の人形、あれは保存しておくべきだったのではないかと思いました。
爆弾も、1/10程度の大きさで、しかも金属色のまま、輝いたミニュチュアだけの展示とは、これで原水爆禁止の機運を盛り上げようとしても、それは「無理な相談だなぁ」のように感じました。
展示内容がスマートすぎて、見学に来ていた子供達の脳裏には、テレビゲームの延長のようにしか、写らなかったように感じました。残念です。
今回のおまけです。
路面電車が廃止になった京都から
動画です。
懐かしかったです。
ではでは またまた
まとめてみました。
「風化が懸念される広島平和記念資料館」
リニューアルされたと聞いた時から行きたかったが、コロナ禍で事前予約が必要となり、知らずに入口で断念もした、広島平和記念資料館に、やっと入館の機会を得た。
事前学習を済ませて来た小中高生達の集団にもまれての見学になったが、一貫して展示室の照明が暗く、説明文が年配の私には読みにくい。
原爆を体験された方が描いた絵も、実物ではなく、ディスプレイでの展示がほとんどあり、投下された原子爆弾に至っては縦横20センチ程度、しかも金ピカに輝いた模型が置いてあるだけだった。
こんなハイカラな展示で、果たして見学に来ていた小中高生に、原爆の酷さ、怖さ、恐ろしさが伝わるのかなと、疑問を抱かざるを得なかった。愚直でもいい、展示内容を再考し、精査されないと風化が進むように思えて悲しかった。
事前学習を済ませて来た小中高生達の集団にもまれての見学になったが、一貫して展示室の照明が暗く、説明文が年配の私には読みにくい。
原爆を体験された方が描いた絵も、実物ではなく、ディスプレイでの展示がほとんどあり、投下された原子爆弾に至っては縦横20センチ程度、しかも金ピカに輝いた模型が置いてあるだけだった。
こんなハイカラな展示で、果たして見学に来ていた小中高生に、原爆の酷さ、怖さ、恐ろしさが伝わるのかなと、疑問を抱かざるを得なかった。愚直でもいい、展示内容を再考し、精査されないと風化が進むように思えて悲しかった。
京都府 舞鶴市にある、「引き揚げ記念館」のリニューアル展示も、ご覧いただければ幸いです。
ここのリニューアル後の展示では、シベリア抑留時を実物大で体験出来、入館した者へのアピールに成功した事例だと思います。
これは体裁を重んじ、リニューアル後に何を残すべきかを見誤った典型的な事例だと思います。
残念な事だと思います。































