おはようございます。
自己実現を繋ぐ
心理カウンセラーの井手章紀
(いであきのり)です。
嫌いな人というのは誰しもいますよね?
その人を見るとイラっとしたり
何だか心かき乱されるそんな存在です。
そういった人を見ると極端な話、
「居なくなってくれないかな」
なんて思うこともあるかもしれません。
ただ、私たちは嫌いが分からないと
好きが分からない人たちでもあります。
どうしても人は
好きな人とだけ繋がっていたいと
思ってしまいますが、それはできません。
仮に好きな人とだけに囲まれたとしたら
その方々の中で嫌いな存在を作り出してしまうのです。
どんなに好きな人とでも
その人とだけずっと一緒に居れば
その人の嫌なところが
ズームされたように映し出され
好きでいたいのに
ドンドン嫌いになるなんてこともあります。
嫌いな存在がいるからこそ
その好きを再確認できたり、
心地よさを感じられたりするのです。
また、そもそもの話ですが
好きな人と言っても
その人すべてを好きになることはできません。
どんな人の中にも
好きな部分、嫌いな部分があります。
いつも会話が嚙み合って
心地よいというのは難しいです。
それが違いというものです。
全て相手と合っているというのは
どちらかが何かしら我慢していると思います。
話を戻しますが
私たちは嫌いが分かるからこそ
好きが分かり、好きという存在に感謝できます。
好きな存在とだけ囲まれると
どうしてもその中で優劣をつけてしまったり
その好きが在ることが当たり前なんだと
ぞんざいな扱いをしてしまうことがあります。
これは好きだけ嫌いだけが
感じられない以上どうしようもないことです。
こうなってくると、好きを教えてくれる
嫌いという存在にも
何だか感謝が生まれてきませんか?
どちらかだけ感じられない以上
好きへの感謝は
同時に嫌いへの感謝でもあるのです。
好き嫌いが生まれること自体
問題ではありません。
問題があるとしたら
その好きを独占しようとしたり
嫌いを排除しようとすることです。
嫌いな存在を否定しないでください。
その嫌いがあるからこそ気づける
好きという存在があります。
すると、好き嫌いはあっても
どんな人や存在とでも「愛」と「感謝」をもって
接するようになります。
こうなってくると、好きや嫌い、
快や不快など、そのすべて含んだうえで
心地よい人生というのが目の前に現れてきますよ。
どれかだけがあるから心地よいのではなく
全てが在るからこそ
本当の愛だったり感謝だったり
心地よさだったりを感じられるのだと私は思います。
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