おはようございます。

 

自己実現を繋ぐ

心理カウンセラーの井手章紀

(いであきのり)です。

 

 

皆様は承認欲求という言葉に

どういった感覚をお持ちでしょうか?

 

 

「ああ、振り回されてるなあ」と

思われる方もいらっしゃれば

 

「あんまりよくない欲求だよね」と

否定的な方もいらっしゃるかもしれません。

 

 

かく言う私もこの承認欲求に対しては

様々な感覚を抱きながら人生を歩んできました。

 

 

最初は承認欲求という言葉も知らない頃ですが

 

誰かから認められること、褒められること、

応援されること、喜ばれること

 

そういったことを常に求め続けていました。

 

 

そして、そういった承認欲求が満たされた際は

とても気持ちが良く、自分が特別な凄い人間なんだと

思うようになりました。

 

 

ですが、周りから承認を貰えなかったときは

いつも心のどこかで悶々としていました。

 

 

 

それから心理学を知り、

承認欲求が自分をブレさせる原因だと知った時は

 

今度は承認欲求を否定し

自分の中から排除しようとしました。

 

 

ですが、承認欲求を否定すればするほど

その欲求は浮かび上がり、

 

誰かに何を伝えるとしても

承認欲求が出ていないかと自分を監視するようになりました。

 

 

また、他人が承認欲求を出している

(と勝手にこちらが解釈している)姿を見たときは

 

とてもイライラし、

そういった方に対してひどい見方や解釈を

 

心の中で勝手に当てはめていました。

 

 

 

勿論、こういったことを続けた先で

承認欲求がなくなるかというとそうではなく

 

むしろ承認欲求はさらに増加し、

そして「そんなんじゃだめだ」と否定してを

繰り返しました。

 

 

 

私は承認欲求に追い求めている頃と

承認欲求を排除しようとしている頃、

 

そのどちらであっても

 

自分の中にある承認欲求に

振り回されていました…。

 

 

 

 

私たちはある感覚を排除しようとした時、

その感覚に常に焦点を置くため

 

自分や他人の至る所に

その排除しようとしている感覚を見ます。

 

 

すると一般的にはそれくらいあっても良くないかと

思うような小さな感覚にも目が向き

 

それを徹底的に敵にして

排除しようとします。

 

 

これはその否定したい感覚が

すべてなくなることで

 

良い人生になる、

素晴らしい人間になれるという

 

極端な考えが根底にあるのだと思います。

 

 

ですが、そういった考えだと

今回の承認欲求のようなものは敵になりやすく

 

また他人のそういった感覚

(何ならその感覚を持っている他人そのもの)が

 

淘汰すべき存在にしか見えなくなっていきます。

 

 

仮にそれが淘汰できたとしても

終わりはなく

 

次の淘汰するべき相手や自分が見つかって

それを叩く、この繰り返しです。

 

 

こうなってくると

心が落ち着く、楽になることは難しいですね。

 

 

このような繰り返しから脱却するためには

自分の中に承認欲求が在ることを

ただ認め受け入れることです。

 

 

それで得られる快感を追い求めるのでもなく

それを排除し、無かったことにするのでもなく

 

ただ、それが在ることを認め受け入れる、

すると承認欲求に対して感情が動かなくなっていきます。

 

 

それが在ろうとなかろうと

自分のするべき選択に迷いがなくなるため、

 

結果として承認欲求からの

行動というのは減っていきます。

 

 

他人の承認欲求を見たときも

「ああ、そういうところもあるよなあ」と

 

その他人を敵にすることなく

冷静に見ることができるようになります。

 

 

 

改めて承認欲求を追い求めても

それを排除し、無かったことにしても

 

結果は同じです。

 

 

承認欲求にどういう形であれ目が向いている限り

それから解放されることはありませんよ。

 

 

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