おはようございます。
自己実現を繋ぐ
心理カウンセラーの井手章紀
(いであきのり)です。
幼少期、私は怒られるのが怖くて
母の言うことをきちんと聞く子供でした。
学生時代も先生から怒られるのが怖くて
先生の言うこともちゃんと聞いてきました。
また、怒られる場面すら見たくなくて
周りの子が怒られないように
自分がまきこまれない範囲で
立ち回ることもありました。
周りの子が怒られていると
何だか自分も怒られているような気がして
(連帯責任でもなく、あの空気が凍る感じです)
それが本当に嫌でした。
その結果、これだけが理由ではありませんが
同年代の人を
先生を怒らせる不穏因子のような存在として
下に見るようになりました。
よく問題を起こす人を
心の中で徹底的に責めていました。
ここまでするかと驚かれる方も
いらっしゃるかもしれませんが、
私にとっては怒られることは
死ぬことと同じようなものなのです。
例えではなく、
本当にその時間は、死を感じていました。
その結果、
私は怒られないための勉強をし
怒られないように優等生を演じ、
怒られないために自分自身の少しの緩みも許さず
そうして、私は高校卒業後
その他にも理由はありますが
パニック障がいになりました。
真面目に生きることは良いことじゃないと
思われるかもしれませんが
そもそもの原動力が
怒られないためにという
他者を基準にした恐れと言うのは
自分の人生を心地よく生きるという観点からは
大きくそれてしまいます。
それに私の場合は
その生き方が常軌を逸していました。
その中の一つにあるのが
どの学校にも、校則はあると思いますが
基本的に書かれていることで多いのが
「○○してはいけません」ですよね?
私の場合、逆にやっていいことを
書いて欲しいと思っていました。
やっていいことが
書かれていないから何もできない、
冗談に見えるかもしれませんが
当時の私は本気で思っていました。
ただ流石に、そのままだと
学生生活自体、難しくなってしまいますから
ある程度は周りを見ながら
合わせてはいきました。
でも内心ずっと何をするにしても
先生の視線を気にして
それに怯えながら生活をしていました。
少なくともこのような生き方をすると
どんな時も気が休まることはありません。
学校外でもこれは変わりませんでした。
少しでも気が緩んでしまったことで
学校に通報される(どんな些細なことでも)ことが
何よりも怖いことでしたから。
このようにお伝えすると
先生が特別怖かったという可能性を
考えられるかもしれませんが
そうではありません。
確かに怖い先生だと
余計苦しかったことはありますが、
そもそも怒られるという
完璧な自分または完璧な平穏が
壊れて、居たたまれないこと
そのものが怖かったのです。
また、こうした生き方を続けていく中で
気づいた時には
私は誰かの意見無しでは
生きられなくなっていました。
怒られたくないとは
言い換えると失敗を絶対に許さないことでもあります。
「少し怒られたけどこれはこれでいい思い出だよね」
みたいな学生時代一回はあるようなことでも
それは私にとっては゛失敗゛なのです。
怒られず、たとえそれが
一切自分の心地よさや楽しさに繋がらなくても
平穏に一日が終わることが
私にとっての成功でした。
それを求めて毎日生活をしていました。
その結果ルールに支配されて
それを見張る生活しかしてこなかった私ですが
そんな私が学生を卒業するとは
ある意味とても恐ろしいことだったのです。
先生の言うことを聞き機嫌をとるという
大きな失敗をしなくていい生き方が
もう通用しなくなるということですから。
それを表すがごとく
パニック障がいが少し改善したころ、
バイトをしていた時の話ですが
よく店長から「自分で考えて行動しなさい」と言われました。
でも、私はその言葉が告げられた瞬間
頭が真っ白になり、一切の行動が出来なくなりました。
何とか自分なりに頑張ろうとしても
ついつい以前言われたことの
延長線上の事くらいしかできませんでした。
自分のしたことが
怒られることならやらないほうがいいのでは、
余計なことをしてしまったら迷惑なのでは
そんなことしか頭をよぎりませんでした。
怒られないことと言うのは
一見すると確かに素晴らしいことかもしれません。
ですが、ここまでの話を聞いて
怒られたくないことを求め続けた末路と言うのを
知っていただけたかと思います。
そもそも行動を修正していくための怒られることが
怒られることが怖いから行動しないというのは
大きく意味が変わっています。
勿論、私の例は
常軌を逸しているかもしれませんが
大なり小なり皆様の中にも
在るのではないかと思います。
ではどうしていけばいいかと言うことですが、
私はある程度は
怒られても大丈夫、失敗しても大丈夫な
環境つくりというのは大切だと思います。
怒られたこと、失敗したことが
あなたそのものを否定していることではないことを
伝える必要があると思います。
学校では
どうしても言っても聞かないような生徒に
怒りの基準を合わせてしまうため
怒号が大きくなってしまうのは
仕方のないことかもしれません。
ただ、どんな時も
叱ることはあくまで行動を叱ること
そして相手のことを大切に思っていることは
伝えてあげて下さい。
どうしても怒号が大きくなればなるほど
相手の存在否定のエネルギーが
怒りにはいってしまいますから。
私が怒られた時というのは
このどちらもが抜けていて
また当時の低すぎる自己肯定感と
これが見事にかみ合ってしまい
数日間自分責めが
いつも以上に大きくなったということがあります。
少しずつ自分と向き合う中で
だいぶ楽にはなってきたのですが
正直今でも軽くトラウマですね。
こういった怒る怒られるというのは
とても難しい話題ですし、
簡単に答えは出ないことだと思います。
ただ少なくとも、怒られない平穏を守るために
全ての行動を抑圧するのは
とても危険なことだということ
これは確かです。
皆様も是非、中々デリケートで
話題に出ることはあまりないことだと思いますので
この機会に一度考えて見られてください。
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