おはようございます。
自己実現を繋ぐ
心理カウンセラーの井手章紀
(いであきのり)です。
日常で使いがちな言葉と言うのは
潜在意識の表現だと言われることがあります。
ふとした時に出る言葉がネガティブなものなら
どれだけ綺麗な言葉を使っていても
実際の心の中はネガティブみたいなことですね。
これ自体は間違いだとは思いませんが、
ここに囚われないことをお勧めします。
特にこれを
相手に伝えるというのは違います。
心理を知ったり学んだりすると
相手の言動に意味づけをしたくなってしまったり
それを直接相手に言ってしまったりすることがあります。
これは本当にお勧めしません。
まず心理と言うものの大前提は
「自分が変わっていくためのもの」だということです。
それを他人に押し付けたり、
頼まれてもいないのに分析したりするのは
心理を他人に勝手に当てはめて
分かったような気分になりたいだけに過ぎません。
ですが、私もこのような仕事をしている以上
相手の言動で色々と「見立て」をする時はあります。
ですが、それを相手に伝えるということは
まずしませんし、
仮に伝える必要がある必要がある場合は
細心の注意を払ってお伝えをしています。
今このように発言したから○○である
と言ったような断定はまずしません。
私達は生きている中で様々な形で
言動を吸収し、それを体現する生き物です。
それを一時の言動でこうだと判断することは
不可能に近いことです。
仮にそれが合っていたとしても
その行為は相手に失礼だと私は思います。
それに、言動で逐一反応するとしたら
それを言っている人が勝手に
相手の言動に自分の見たくないものを見て
それに対して指摘しているケースもあります。
例えば最初に例で挙げた
ふとした時に出た言葉がネガティブだったから
心の中はネガティブという場合
それはそれを指摘した本人が
自分の中でネガティブを否定していて
それを相手に見たから指摘してしまう
といったことですね。
また、そのような指摘する言動が
繰り広げられた場では
人は本当のことを言おうとしなくなります。
それはそうですよね
相手から指摘されるようなことというのは
気持ちの良いものではありませんから
会話が閉鎖的になってしまうのは
必然なことです。
相手に指摘されないようにするための
上辺だけの会話が繰り広げられてしまいます。
関係が遠い相手なら
これでもいいかもしれませんが
友人間や近しい相手で
このような駆け引きをしなくてはならなくなっているなら
それはとても寂しいですね。
改めて言葉は確かに無意識の表現です。
ですが、そこに囚われないでください.
そこに囚われれば、心理の本質
そして自分自身を見失います。
楽に生きるために使う心理が
見張るための、結果的に自分自身を苦しめるものに
変わってしまいます。
ただ、人間である以上
そういった指摘したい気持ちや
欲求が上がってくることはあると思います。
そんな時はその気持ちがあることを
しっかりと認識し、理解し受け止めてあげて下さい。
そして、受け止めた後
自分自身にもそういったところがあるかもしれないと
自分を見つめ直す機会にされることを
お勧めします。
自分の指摘したいことというのは
自分の中に在る見たくない存在を
相手に見ていることがほとんどですから。
≪個人カウンセリングの申し込みは下記リンクからお願いします。
質問も随時募集中です。≫
最後までお読みいただき、ありがとうございます。